フランスぶらぶら滞在記

中年の元数学教師がフランスでフランス語を初歩から勉強するという悪戦苦闘日記。フランス人や多くの外国人との交流にも注目。

パリ第296日  気温7度

2009-04-30 03:23:38 | Weblog
パリ第296日  気温7度

 幾何のレポートに必要な資料をもらいに久々に学校へと赴いた。駅での表示は気温11度。日本は暑いくらいだというのに、こちらは3月上旬まで戻ってしまったようだ。
 相変わらずA子ちゃんはとぼけている。「モリタさん、仕事することにしたの?」ときたもんだ。K先輩は忙しいらしくてあたふたしているし、後から来たEちゃんもA子ちゃん並にぼけていた。いつもと変わらぬ慣れ親しんだ風景であった。
 中2のテキストを2ページ分コピーさせてもらい、小学校の教科書名を控えて終わり。K先輩にコピー代を託して失礼した。帰りはエースマートでキムチ・りんごを買い、レンタルビデオ屋に行ってかばんを探したが、借りていたDVDが見当たらない。今日は何も借りずにそのまま帰宅する。昼過ぎに帰ってきて、証明問題を解いていたら眠くなったので昼寝。夕方からレポートの打ち込みに入った。
夕食後買い物に出たが、雨が降りとても寒い。天気予報によると7度のようだ。ずいぶん寒いが暖房をつけるまでもない。
レポートの進み具合であるが、昨日仏訳をだいぶ仕上げて合ったにもかかわらず遅々として進まない。理由は仏語入力が面倒くさいためだ。日本語入力(ローマ字)にしないと入力できない文字や記号もあるし、なかなか大変なのである。油断しているといつのまにか仏語入力に戻っているし、間違いをしまくっている。明日中には完成予定なのだがどうなるかは神のみぞ知る。
昨晩の試合、バルサVSチェルシーを見られたのはいいが、バルサがフィジカルであんなに弱いとは思わなかった。ボールキープ率も70%といつもより低かった。チェルシーの選手に当たり負け、まるで子供が大人にぶつかって転ばされている感じだった。
おかげでパスミスから決定的なピンチに陥ったが、キーパーは落ち着いていた。バルサのシュートは入る気がしなかった。アンリが倒されたのは明らかにPKになると思ったのだが、主審は笛を吹かず、チェルシーのホームでの試合に決勝行きがかけられることになった。しかしあれだけ反則して、バラック1人が退場しただけというのはどうなんであろうか。 

パリ第295日 幾何のレポート

2009-04-29 01:19:57 | Weblog
パリ第295日 幾何のレポート

 さすがに期限が迫ってきて今日は幾何のレポートに取り組んだ。買い物などは午前中に片付け、アントニーの図書館で2週間ぶりに勉強した。先週さぼったからだが、さすがにヴァカンスが明けたからか学生も少ない。僕の斜め前に気難しそうな女子学生が勉強している。今日は目のやり場に困る事態にならなかったこともあって一心不乱に勉強した。2回トイレに立った以外は、5時半までの3時間半レポートを頑張って書いた。
 実はアイデアがなかなかまとまらずに、ここ2週間悩んでいたのだが、昨日寝ながら補助線を考えていてひらめいた。そこで図形の求積や証明における補助線についてまとめてみることにした。まず日本語で概略を作って仏語に直していった。今のところこれ以外に方法は無い。日本語だとA4、2ページにしかならなかった。不安だったが仏語に直していく時にいろいろな言葉やら説明を補足していったらA4、6ページまで膨らんだ。でもWord文書にしたら、きっと4ページくらいじゃないかな。問題は図の入れ方である。これはすぐには無理なのでメモ書きで手渡しにする。ちょっと情けない。
 後半の2時間は仏作文となった。これは頭がパンクするくらい、辞書を引きながらの作文だが、やはり上手い言い回しは出てこないは、同じ表現を何度もつかうはで、外国人が精一杯書いたという出来だ。さすがに腹が減ってエネルギーが切れたので、今日はここまで。美味しい晩飯が待っているはず!?いやカレーの残りだっけ。

パリ第294日 やってもうた!

2009-04-28 03:19:14 | Weblog
パリ第294日 やってもうた!

 パックのヴァカンスが明け、久々の授業である。30分ほど前に大学に着いてノートの整理をしていたが誰も来ない。アーティグ先生に質問に行ったが、彼女も不在である。パソコン室にパトリシアを見つけた。するとパトのやつは変なことを言う。
「今日の授業はここではない。別のところだ。」
「ええ~?」
「とにかく一緒に行こう。」
「じゃあ準備するから・・」
と急いで準備したのが2時10分前。授業に間に合うはずもない。
2人で地下鉄の駅に向かった。途中パトは「腹が減った。」とパン屋に並ぼうとするが
美味しそうなものが無いとあきらめて地下鉄に乗る。6番線でイタリア広場に行って7番線に乗り換え、ジュシュー駅で降りればよい。液で降りるには降りたが、パトのヤツは以前怪我した足をひきずっていて、速く歩けないし、階段もゆっくり下りるので我慢して待つ。その上駅前のサンドイッチ屋で固まって動こうとしない。結局店員と押し問答を繰り広げサンドを1個買った。さっそく歩きながら食べ始める。結局授業中も食べていたが・・。
パリ第6大学の建物はでかい。パトのメモによると119番教室だそうだが、まったく別の授業がそこでは行われていた。その階の受付に行って教えてもらったら115番教室だとやっとわかった。ところがその教室が見つからない。パトのヤツは「フランス流だから難しいのよ。」とけちをつけている。結局また受付に戻って尋ねたら、わざわざ案内してくれた。わからないわけである。113番教室の中に別のドアがあって、そこが115番教室なのだから・・・。しかも開いていない。ロックがかかっている。そうしたら113番の助手のような女性が、「ノックしなさい。」というので、ノックしてやっと入れてもらった。ちょうど30分の遅刻である。名前を確認して着席したが、この建物はすべてパソコンがついている一大情報センターなのである。パソコンを授業で使うのでここに教室変更したようだ。TICEの授業の3回目である。前回の2回目もこちらでやったようで、道理でシュバルレの教室で待っていても誰も来ないわけだ。
休み時間にさらに重大な事実が判明した。先生がわざわざ僕の席まで来てくれて、
「お前の名前は無いが、本当に登録したのか?」と名簿を見せる。
「修士課程の学生ですが、このTICEに登録してないですか?」
「お前はこの科目に自分で登録したのか?」と再度訊かれ、
「いえ、覚えが無いです。」と答えたら、
「残念だけどもう登録期限が切れている。」と言われた。
同僚に訊いたら、サンドリンが12月頃に送ってくれたメールに返事をしなければならなかったらしい。ちょっと見てわからなかったのでそのままにしていたと思われる。どっちにしろ来年取らなければいけないことがわかった。
 授業でパソコンを使うと言っていたが、前半は先生の話のみ、後半残り40分のところでCDロムが配られた。4つのグループに分かれて先生から与えられた課題に取り組んだ。テーマから1つ選んで、授業のシナリオを作れというものだ。僕とパトは戦力外だが、ジュリアとフランス人の男の二人で発表をしてくれた。テーマを選ぶときだけ、僕とパトも参加したが、後はすべてこの2人が僕たち外国人に説明してくれた。でもやれやれだった。授業が終わってみんなはそそくさと帰っていくのに、パトの奴はパソコンをいじくっている。
「急がないと!」と言っても「何で?」とわからず屋である。
「この部屋は管理しているから、ほら助手のお姉さんが片付けてるでしょ?」と促してやっと出る。足が悪いパトはエレベーターを探している。でもエレベーターの前に「まずトイレ」と駆け込んでいく。もう6時を過ぎたためか、外に出ることは出来るが中には入れないしくみになっている。やっと地下鉄の駅まで来たが、パトはしばらく歩いてから帰ると言う。僕はもう腹が限界だったので、今日のお礼を言って帰った。パトは来年どうするかまだ決めていないと言っていた。どうするんかねえ?なんて人事ではない。


パリ第293日 キング牧師とマルコムX

2009-04-27 02:25:11 | Weblog
      パリ第293日 キング牧師とマルコムX

 金曜日に購入した新書のもう1冊、「キング牧師とマルコムX」を読み出した。感想はまた後日と言うことにする。ところでキング牧師は教科書にも載っているので有名だが、マルコムXは映画を見るまでその存在すら知らなかった。アメリカの黒人差別がいかに根強く残っており、この両名の努力によってもなかなか改善が難しかった歴史が物語っている。ただフランスにいるとあまり人種差別は感じない。昔、奴隷貿易で栄えたボルドーにもパリと同じくらい黒人の人達が暮らしているが、すでに3世以上と思われ、完全にフランス人だし、フランス語も上手い。あまり差別があるとは思えない。給料とか雇用条件でも差はあるようには思われない。フランスはアフリカに植民地を多く持っていたためかコンゴのある中央アフリカやアルジェリアのある北アフリカから移民が多く流入してきている。ベトナムなどからのアジア系移民も多い。実に多くの人種が混じり合っているため差別については法律できちんと規定されている(と思われる)。ただ市民感情はどうであろうか。
一時問題となったパリの北部郊外地区は相変わらず危険地域のようである。パリで小学校を選ぶのもやはり文化水準を考えて選ぶ保護者もいるようだ。場合によってはわざわざ引っ越して選んだ小学校に通わせる親もいて、やはりフランス語をしっかり話す地区で育てたいと考えるという。前に住んでいた地区の近くに中国人街があった。そこにいると、フランス人もいるのであるが、聞こえてくるのはほとんどが中国語である。こういう環境の中で綺麗なフランス語を身につけるのは難しいのであろう。
 今日もカレーライスがおいしい。この間エースマートで買ってきた「ふじりんご」を食後に食べてみた。とてもおいしい。でも日本製ではない。形があまり綺麗でないからだが、おそらくふじりんごを韓国で栽培したものだろう。つい食べ過ぎた。

パリ第292日 日仏カップル事情

2009-04-26 01:01:21 | Weblog
パリ第292日 日仏カップル事情

 昨日買ってきた新書のうち1冊を読んでしまった。その名も「日仏カップル事情」光文社新書、夏目幸子著である。筆者は新進気鋭の外国語大学助教授である。もちろんフランスの大学やENSでも学んでいる。
 一番多くのページを割いているのは、フランス人男性と日本人女性の出会いから結婚に至るまでと、その後の経過および問題点である。ただ筆者も断っているように、綿密な調査を行ったわけでもないし、科学的に分析しているわけでもない。だが筆者の主観が入っているゆえに、読者(多くの場合日本人女性)の知りたいところをしっかり押さえて説明してくれていると思う。ただ僕の周りにいる当事者、K先輩やA子ちゃんなどは、「こんなことは実情とかけ離れている。」と思うかもしれないが、僕はけっこう的を得た指摘が多いと思う。
 筆者の知人、特にフランス人男性からの意見・感想を多く取り入れているのが僕には興味深かった。というのも、今まで多くの日本語を学ぶフランス人の男どもは、日本人女性にある種の幻想を抱いているなあと感じたからだ。「そんな日本人女性はこの現代にいるわけない。自己主張は強いし、わがままだし、最初だけ猫かぶっているだけだ。」と何度も口を酸っぱくして説明してきたが、彼らは聞き入れてくれなかった。でもこの本を読めば納得である。
 キーフレーズは「日本の女の子はやさしいから好き」である。ということは、フランス人女性はやさしくないってことか。そうではない。フランス人女性は常に自分の意見を持ち、意見が対立すれば納得のいくまで議論する習慣がついていると筆者は言う。であるならば、そのようなフランス人女性を持て余したフランス人男性が日本人女性に魅かれるのである。これは一見良さそうに見える。僕たち日本人男性も実はこの傾向はもっと強い。「女性は男性の言うことに従ってくれれば良い。」と口には出せないが内心思っている。議論を好むかどうかは個人によるが、仕事で疲れて帰ってきた時に、理論立てて攻められても反論する気にならないことはよくある。そういう女性はちょっと面倒だから敬遠しようという風潮は、日本人男性には年代を問わず多数存在する。勢い結婚生活は子供が生まれれば夫婦間で会話が減少してしまう。「空気のような存在」という表現を、夫婦が互いに求める理想像だと考える人もいるくらいである。ここを筆者は厳しくえぐる。
 自分の意見をぶつけて来ない日本人女性を好むフランス人男性が結婚すると同じようになるという。夫婦間での会話が減り、妻は子供の母親になってしまう。そして早いうちに手を打たないことが多いので、恐ろしいのは日本に住んでいると夫がものすごい疎外感を味わうということなのだ。結局離婚して単身フランスに帰る場合がけっこうある。ここを読んだら、日本の熟年離婚の原因がより鮮明になった。一生の伴侶に対しいつでも逃げてはいけないのだ。常に本気で向かい合って対等に会話していかなくてはならない。フランスでは共稼ぎがほとんどなので、家事も平等に受け持ち、議論も対等にする習慣がついている。そこのついていけない男たちが日本人女性を選ぶとしたら、日本人女性も喜んではいられないであろう。逆にフランス人女性の間で、日本人の男が鼻も引っ掛けられないのは、自分の意見を滔滔と述べるだけの力がないからであろう。日本人の女の子だったら面白いことを言って笑わせるほうがいいからね。真面目な話をすると嫌われるといった風潮は日本だけだろうね。

パリ第291日 心地良い筋肉痛

2009-04-25 04:00:56 | Weblog
パリ第291日 心地良い筋肉痛

 パリにお出かけの金曜日。支度をして11h30に出発。まずはエースマートで買い出し。残念ながら「カテキン茶」の1.5リットルはなく、替わりに韓国製の「17茶」を薦められた。りんごなどを買い満足。次にレンタルビデオ屋に行った。「寅さんシリーズ」はDVDに焼いてもらうため、もう1週間かかる。仕方が無いので「博士の愛した数式」を借りてきた。
 その後うらばすに行き雑誌などを眺めた。ついでに少しメールの整理もした。そして隣のJUNK堂に入って前から気になっていた新書などを買ったのだが、レジで変なことが起きた。まずレジに並んで待っていたとき、奥の男性の店員さんが「お待ちの人どうぞ。」と言ったので、僕も前のフランス人男性に「どうぞ。」と声をかけた。この人は小さな娘さんにねだられて日本のコミックを買わされていたのだが、僕が促したので奥へ行ったら、
その店員さんはレジの係りでなく、別件で待っていたお客さんに声をかけたのだった。そのフランス人の男性は僕の方を見て「何だよ!」と言いたそうな顔をしたが、レジが空いたのでそそくさと会計を済ませて帰って行った。日本語がちゃんと理解できなかったのはちょっと恥ずかしかった。
 そして僕の番が来た。3冊で45ユーロだと言われたので、45ユーロ出したら10ユーロ札が1枚帰ってきた。「えっ!?45ユーロじゃないんですか?」と念のため訊いたら、「いえ35ユーロです。」と力強く答えられた。
 実はほんの5分ほど前、店員さんに質問しているマダムの発音がとても綺麗で聞きほれていたのだ。久々に綺麗なフランス語を聞いた気がした。テレビニュースの仏語は視聴者に訴えるためか、時々耳障りなのだ。これは僕がよく聞き取れないから余計にそう聞こえるのであろう。とてもいい気持ちになっていたからJUNK堂の店員さんの日本語が聞き取れなかったのだと思う。日本語だとそれだけでもう簡単だと決め付けてしまう。これは反省せねばなるまい。
 朝起きるのに苦労したが買い物にとくに支障をきたさなかった。昨晩も念入りにストレッチをしたおかげであろう。でも階段を上り下りするうちにだんだんきつくなり始めた。家に着く頃には太ももが張りを訴えている。明日、明後日が心配である。

パリ第290日 屋上の屋内コート

2009-04-24 02:13:55 | Weblog
パリ第290日 屋上の屋内コート

 前から約束していた兄弟とやっとテニスの試合ができた。結果から書くと3人とも1勝1敗である。
 約束の時間に地下鉄の駅まで行った。街中なので、どこにコートがあるんだろうとキョロキョロしたが、まったくわからない。そのうち二人が到着した。二人と一緒にテニスコートに向かう。何とビルの屋上にあった。わからないわけである。直行エレベーターで屋上に着いた。屋根がついている室内コートだ。1面しかないがけっこう広い。
 まずは軽くアップしたが、やはりうまく当たらない。僕と弟くんとで始めたが、息が切れたらすぐに兄ちゃんに代わってもらって息を整える。1時間しか借りれなかったので、3人とも暖まったら3ゲーム形式の試合を始めた。最初は僕と弟君である。昨日も練習したとはいえ、僕の遅いボールに合わないらしくミスを連発してくれた。最初のゲームを落としたが、デュースを繰り返した結果だったので、2、3ゲームと続けて取ることができた。
 次は兄弟対決。僕に負けて奮起した弟が兄貴に逆転勝ちした。負けず嫌いなところはとてもいい。この試合も1ゲーム目を兄貴が簡単に取ったのが、2ゲーム目のきれいなリターンエースから流れが完全に逆転した。
 さて体が悲鳴を上げてはいるが、兄貴との試合である。1ゲーム目、10-45とリードされたがそこから逆転で取った。2ゲーム目の30-0まで僕のペースだったが、ドロップショットをミスしてから流れが変わり、このゲームを逆転されて落とすと、次のゲームもデュースを繰り返したが粘り負けした。やはり技に走ったらだめだね。
 「明日もできるから来てくれ。」と弟君は納得がいかない様子。「明日はデートの予定なんだよね。」と言い訳をしたら、「冗談は顔だけにして下さい。」と厳しいコメント。おそらく今晩から筋肉痛が始まり、明日は起きれるかどうかってとこだろう。年寄りの体がどんなか知らないから挑戦してくるのである。また次のバカンスに挑戦を受けることにして今日は帰った。地下鉄に乗った時点でもう腹筋がつりそうだ。
 兄貴の方は僕に逆転勝ちして喜んでいる。「もしもう少し前なら宿題半分にできたね~。」とホクホク顔。「残念だね。M先生に自慢できたのに・・。」と僕も調子に乗らせる。
 二人ともこちらのクラブで練習しているだけあって、フラットドライブがフォア・バックとも打てる。ただフットワークはいま一つ。というか僕が自分でも信じられないくらい前後左右によく動けた。ランニング・壁打ちの成果である。のろいけれどサービスも良く入った。ネットプレーが予想通り駄目だったが勝負を急いでネットを取って墓穴を掘った。
この分なら日本で生徒と試合しても勝てるね。やっぱり人間と練習したほうが面白い。
 帰りはアントニーで降りて、モノプリで買い物をした。本当に明るい1日だった。パリ市内は観光客がぞろぞろ歩いていたが、こちらは地元民ばかり。平和である。隣の家の前に可愛い若い女の子が3人談笑した。まだ挨拶する勇気は無い。

パリ第289日 良寛

2009-04-23 07:16:18 | Weblog
        パリ第289日 良寛

 昨日2冊読み終えたのをいいことに、今日から「良寛」を読み出した。こちらは難しい。資料として古文書がどんどん出てくる。フリガナ付きの漢文だ。弟なら苦もなく読めるのだろうが、僕は解説だけ拾い読みする。ところで良寛の漢詩も評価が高い。国語の授業でやる漢文と言えば、中国人が作った物と相場が決まっていたが、なぜ昔の日本人が、教養のある人なら戦前・戦後も、漢詩を作っていたということをきちんと子供たちに伝えないのかまったく謎である。以前K先輩から、ラテン語の文章といえば古代物しか扱わないと伺ったがつい先ほどまでラテン語だって使われていたのである・・。
 さすがに難しいのと、試験がちらついて、勉強を始めた。ただ能率は悪い。最近朝起きると喉が枯れている。どうも軽いいびきをかいているようだ、口で呼吸しているから喉が痛いのであろう。
 急に予定が変わって明日テニス勝負になった。果たして走れるか?今日ははやく寝る。

パリ第288日 一休禅師

2009-04-22 07:55:38 | Weblog
パリ第288日 一休禅師

 昨日予想したとおり、図書簡に行くのも取りやめて「一休さんの門」上・下巻を読了してしまった。今まで自分が持っていた一休さんのイメージとはかけ離れている。川口氏もあとがきで述べているように、水上氏の作品の方が実情に近いであろう。だが川口氏が敢えて生き生きとした一休像に挑戦した理由が解説に述べられている。自分と似た出生である一休に親近感を憶えての創作に違いない。それにしても明治時代において、両親共に不明な孤児が存在していたという事実には驚く。江戸時代の「天一坊事件」のように、高貴な人の落とし胤は何かと由々しき問題を引き起こす。そうなると一夫一婦制は良い制度なのだろうか。
 小学生の頃から、曹洞宗のお寺での早起き座禅会に参加していてあまり疑問に思わなかった。もちろん我が家も檀家なのだが、葬式では般若心経を読む。禅宗のお経というものは無いのだ。ただ幼き心に和尚様のお話は本当に面白かった。お釈迦様を筆頭に、西行・良寛・一休などの有名人にまつわる話は聴き応えがあった。そして禅宗特有の頓知も出された。
 体が硬い僕にとっては、15分強の座禅は足が痺れて大変だったが、確かに集中力はついたと思う。だからと言って坊主になる気はなかったし、ましてや一休のような現実から逃げない勇気を持てるまでには至らなかった。
 実はもっと幼い頃、双子の片割れだった僕は、どういうわけかお寺に養子に出された。実の両親からはとうとうその理由が聞かされなかったが、そのお寺でめでたく男児が誕生してお払い箱になった僕は実家に戻った。そのときずいぶんショックだった記憶がある。それはあまりにそのお寺で可愛がられたからである。食事も毎日すごいご馳走だった。今でも忘れられないのは、毎朝温かいご飯に味噌汁、生卵をかけて食べられたのだ。
 それが帰ってきたら、毎朝ご飯は冷たく、卵も僕が鶏小屋まで行って取ってくるという仕事があった。親父はいつも怒っていたし、家族はいつもぴりぴりしていた。どうしてお寺から連れ戻されたのだろうか?と子供心に悩んでいた。
 でもお寺を継ぐことにならないで良かった。罰当たりであるが、自分で仕事を選ぶことができたのは幸いである。臨済宗と曹洞宗の区別もままならないが、道元和尚は尊敬している。でも齢50にして迷うことばかり。人生は厳しい。


パリ第287日 鳥のさえずり

2009-04-21 04:29:52 | Weblog
パリ第287日 鳥のさえずり

 今朝は早くから鳥のさえずりが聞こえる。ウグイスにた綺麗な声ではあるが、「ホー、ホケキョ」では無い。おそらく仏語であろう。でもとても耳に残る声である。この界隈はどの家にも緑があり、本当に自然に恵まれている。どの家の木に止まっているかはわからないが、ほぼ一日中聞こえていた。
 今日は川口松太郎氏の「一休さんの門」を読む。マンガで有名な一休さんも実は知らないことばかりであった。もちろん創作された部分もあるのであろうが、実際の生い立ちを踏まえ、一休禅師に実像を浮き彫りにしていると思われる。おそらく明日までに上下巻を読んでしまいそうな勢いである。ここの大家さんは日本語と仏語の文庫蔵書が玄関にあって、いつでも借りて読めるのが嬉しい。