よしGの百歳イブまで

喜びの「 よ 」良かったの「 よ 」よろしくの「 よ 」で、今世を生き抜こう。

よくぞ描いたぞ120編あまりの4コマ漫画

2016年01月21日 | 家庭菜園、畑、栽培

2010年8月1日から描きはじめた4コマ漫画、題材は菜園日記である。

女房に勧められての菜園であった。

野菜が助かる家庭貢献、趣味の幅が広がる自分貢献、収穫時の配布と手伝いで喜ぶ娘孫貢献と我が家族が喜ぶ図が描けて二つ返事でやろうという気になった。

女房には、三次の農家に育ったせいか一冊のノートが存在する。栽培ノートである。

そこには、細やかにいつ種まきして、肥料はどうして何を使ってどう植えてなど書いてある。

そこで思いついたのが4コマ漫画である。栽培日記を4コマと文章で記録すれば女房殿のノートに負けないノートになると思ってからせっせと描き続け、気が付けば120編あまりとなった。

半年、1年、3年しか根気が続かない私は、やはり残念ながら栽培日記は半年で終了。菜園は女房の後押しで今だに続いているが、ジャガイモ・さつまいも・ブロッコリー・玉ねぎ・トマトだけである。

一発発起して2012年10月、それから1年10か月ぶりに再開したがやはり3か月しか根気がもたなかった。

さあ、4年たって再び挑戦。4コマ漫画に縛られず、89歳のおばあちゃんによって気づかされた「魂・愛・心・命」の見えない世界のことをどう料理していこうか楽しみである。

しかしながら、立ち上がりからの4コマ漫画を通して見ると、これはこれでおもしろい。

菜園日記、日暮し日記といい感じである。今度は自分史で4コマ漫画スタイル挑戦しようと考えている次第である。

 

http://blog.goo.ne.jp/morinoya/m/201008/1

 

ぜひ、ご覧あれ!


止められない止まらない!シケモク狂想曲。新品煙草ごとゴミ箱へ!

2016年01月20日 | 日記

人は、意識が強いという禁煙である。

親父は、何十年も吸っているので止められるか!と癌になっても、病棟のベランダで吸っていた。(何十年も前の話)

吸い始めは、映画のかっこいいしぐさから、口パクの一本で始まった。

次は、肺に吸い込む。あたまクラクラ!飛んだ。この状態が欲しくてまた一本。ついには毎日4箱のヘビースモーカーになった。

悲しい沙我か、ないときには山盛りになった灰皿を漁ってシケモク狂想曲。ジャジャジャジャ~ン、ちょっと苦くヤニ臭いがリズムに乗って1本2本。

人生3度、煙草を止めた。

1度目は、1か月止めようと期限を切った。3日目で1本くらいならと……。元の木阿弥、倍になった。

2度目は、絶対3か月は吸わないと決めた。3か月頑張った。人の吐く煙草の煙を吸っていた。それでも頑張った。たしか願掛けをしたから(なんの願掛けかは忘れた)。3か月過ぎた初日に、ご褒美に1本吸った。また2倍になった。

3度目は、子どもが煙草を食べる手前までいった。これはやばい!止めようと禁煙したが、残念ホタル族となった。

痰は出るわ、肌シャツは黄色くなるわ、家じゅうの白いところはヤニで黄色くなるわ、窓ふきをすると雑巾はヤニ色!なんじゃこりゃ!である。

4度目は煙草を止めたというより、思いを捨てたかな。(だから止めるに入れないのである)

仕事で外回りをしているとき、事件は起こった。

今なら、胸に入れている煙草を捨てれば俺は一生吸わない。と声がした気がした。

迷わず、吸い殻のくすぶった煙漂う街頭灰皿付の近くのごみ箱へすべて捨てた。

あれだけ、止めようとして止められなかった煙草が、

吸いたい思いを捨てただけで、内なる神聖なる神の意志なのか、あれから吸いたいというかつれた意識もなく現在に至っている。

(※みなさんお気を付けください、なんとヤニ付の黄色い痰は5年にわたって出続けました。呼吸器系の壁につきまくっていたのですね)

89歳のおばあちゃんのことからいろいろ振り返ってみると、今までも見えない世界かなにかが私を司っている気がする。

思えば、止めようと期限を切ったり願かけたりする行為は、意識が「終わったら吸ってもいいよ」ということでスケジュール化していたということですよね。

一生止めるでは無く、期限まで止めるだったのです。都合のいいご褒美で再開のスイッチが入るのも当たり前です。

私の場合、徹底して気持ちが悪くなるまで家族に徹底的に嫌われる喫煙になるまで極限吸い続けたので、内なる神が声を発してくれたのではと思っています。

参考になるかはわかりませんが、徹底してやってみてるとそのうち答えが出るかもわかりませんね。

内なる声で私は助けられ、産声を上げた時のから傷つけといた授かった体をとりあえず一つ捨てたという答えが出ました。今思えば一つ幸せになったのですね。

今日思うことでした。

 


今日、浅井さんの夢を見た。おりしも誕生日の日に!

2016年01月19日 | 日記

今日1月19日、浅井さんの夢を見た。広島でみんなとワイワイ楽しくしている夢だ。(すみません、浅井さん以外の人は思い出せない)
最後に、「なんでビッグウェーブも終わったのに広島まで来たん」っていうと、「楽しいから来た」と言った。
そして、目が覚めた。
おりしも、今日は浅井さんの誕生日!
こんなことあるんだな!...
確かに、ビッグウェーブでの仕事は厳しかったが楽しかった。
浅井さんはその中でリーダー的存在だった。
「俺の事、忘れないでくれよな!」っていうことかな?
会えて嬉しかったです。ありがとう。

なぜか、いわゆる霊的な寒気などしない温かいほっこりとした今である。
あっちでは、幸せに過ごしていらっしゃるのだろう。
ご冥福を信じて。
もう一度ありがとうと言います。

それ以外、三度起きをしてサブロー広告の夢も見たが思い出せない。
なぜ、今日なんだろう?
普段、あまり夢なんて見ないのに?
89歳のおばあちゃんが命・魂・こころを私に語ってくれた自分史を残して星になられて、見えない世界を自覚してからかな?
おばあちゃんのご冥福も信じて。

 

 


害虫か益虫か?一寸の虫にも五分の魂!

2016年01月18日 | 家庭菜園、畑、栽培

あ、あなたゴキブリよ!

あ、あなたムカデよ!ゲジゲジよ!スズメ蜂よ!

今まで、何匹殺してきたことか。

人間様に害を与えるから害虫である。の論理で殺害。不潔だから害虫。不気味だから害虫とすべて人間の都合によるものです。

人間関係にしてもありますよね、自分にとって都合の良いことをしてくれる人はいい人、反抗してくる人はカミ付いて来る人は悪い人(それが愛から来ると分かればいい人に変身)。

近年生態系のことがよく取沙汰されます。それはその土地においての生き物の循環が必要べからずものだからです。すべての生き物がなくてはならないものだからです。

神様のお作りになられた生き物たちはすべて大切だからです。しかしながら私たちはそれを食し生きています。それがなければ命がなくなります。

それを殺して食べて生きながらえているわけです。大切な命をいただいて命をながらえています。

だからすべての命に感謝して、ありがたくいただく必要がでてきます。

そしていつもこころに思っていなければなりません(まだ未熟ですから時たま美味しさにがっつくことがあります。ごめんなさい)、この万物をお作りになられた神様に、私という人間が存在できるのは両親・ご先祖様であるので感謝、そして私が今愛に満ち満ちていることに感謝、こうして今幸せに暮らしていける家族・すべての人たち・動植物さんたちに感謝しつつ、日暮しの必要があります。

と気づかせていただきました。(キリスト教の方が食事の前によく手を合わせて言ってますよね。あれがまさにそれです)

最近、玉ねぎを植えている畑に根切り虫が発生!玉ねぎを植えている順に1日一つづつ玉ねぎの根をきれいに無くしていきます。

箸で土を掘り返して見つけることもできますが、この根切り虫も大切な生き物です。(大量発生すれば私たちが食べる必要な植物のために謝りながら駆除せざるを得ない事態もあることがあります。駆除=生息場所を変える方法しか思いつきませんが)

そこで思いついたのは、つまようじで玉ねぎを囲むということです。

これは、間隔のせいでしょうか間隔の狭いところをさけて次に移ってしっかりやられました。

次にボール紙で囲んでガード!これはOKでしたよ。

あれから、根切り虫はどこかでひっそりと暮らしているのでしょうね。他の菜根の被害もなく安心しております。

食べるという行為は、命をいただく行為です。ですが食べないわけにいきません。

食べるために自分がどう思うかを考えさされた今です。

すべての生き物に、「ごめんなさい、そしてありがとうございました」とこころから念じています。

そういえば、89歳のおばあちゃんの初版本は「ありがとう、すまんのう」でした。

おばあちゃん、勉強になりました。


私は神の存在を信じる軟弱な非宗教組織論者である

2016年01月17日 | 魂、愛、心、命

いつのころからだろうか?

我が家系は浄土真宗である。仏教には13宗派存在する(法相宗律 宗華厳宗真言宗天台宗日蓮宗浄土宗浄土真宗融通念仏宗時 宗臨済宗曹洞宗黄檗宗)だそうだ。

世界でみても、キリスト教教派には(西方教会と東方教会から分派して数多くあります)。イスラム教ではスンナ派・シーア派から指導者の後継者により派閥が分かれて多くの学派があります。ユダヤ教には、正統派・保守派・伝統派・サバタイ派・改革派・再建派・カライ派・フランク派とあるみたいです。

日本神道はもともと八百万の神と言われるように多神教であり祖霊崇拝の傾向の強いものであったので、他宗教との融合も強く神社仏閣が融合された時代もあった。覚えている限り現在では出雲の流れと伊勢の流れとがあるようだ。

新宗教といわれるものも続々と登場している。有名なのが、エホバの証人・モルモン教・統一教会他である。

昔、叔父が深くはまって一緒に入信した新宗教団体に天道総天壇があります。叔父はその指導者が一夫多妻的な考え方で女性にだらしないとみるとさっさと止め浄土真宗一辺倒となった。その後私はイベントに参加したりしたがいつのころからか叔父と同じ違和感を感じ去ったのである。しかしながら考え方の根底の開祖や指導者による教義は絶対神がおられおっしゃっているということである。どうやら元の神は一つのようだとこのころから思った次第です。その開祖や指導者から組織が生まれ、組織が安定化資金化のためにいろいろなしきたりが決められたのではないかと思い始めたのであります。

お墓様相、葬式手順、お参りの方法、手の合わせ方まで千差万別です。もちろんお気持ちでと言われるものも違ってきます。

親父の法要の時に、叔父(先ほどの叔父とは違う、かなりお金持ちの叔父)の法要と同じお坊さんでやってもらったときのことです。明らかに対応が違い仕事としてそそくさとすませそそくさと帰って行ったお坊さんだったのです。またある時に聞いた話ですが、葬儀で導師にお渡しする金額も(一般的に金額がわからないので葬儀社にお聞きしますよね)〇〇葬儀社の時は多いので〇〇葬儀社がいいとかお坊さんが言っていたとかを耳にすると、さもありなんと思うようになったのです。もちろんすばらしいお坊さんもいらっしゃいます。

※でも、仏壇は捨てられないし、墓を守るという意識も捨てられないし、家族の葬式もやるだろうな?軟弱な私です。しかしながら、自分のことは自分でかたをつけたいので、子どもたちよ、葬式は焼き場のみでOK、戒名・院号は無し親からいただいた氏名でOK、墓は市の安い合同墓(お骨は土に返してもらいたいのだが、どこでもというわけにいかないので)でOKです。子供たちのこころの中にあればいいんです。

元に戻って、個人のすばらしい聖職者の方々を否定するわけではありません。組織の一員になると素晴らしい人も組織のしがらみで泣く泣く折り曲げて行動するのが組織人の辛いところです。(自分の会社の組織人生と一緒にすな。反省)

マザーテレサをはじめ、それでも頑張っていらっしゃる方が多数いらっしゃいます。その教えや行動は全く感動を覚えこころに響くものです。

こころの中に神聖が宿る、神はみこころにある。

なぜ、他の何かに自分をゆだね助けをこい、手を合わせるのでしょうか?とココに行きつきました。

人間って弱い存在です。神社仏閣教会に行って、一心に「うまくいかさせてください」「なんとか成就を」と神頼みするのはわかります。それは自分に宿っていらっしゃる神を否定して他におすがりすることです。しかもそれを組織となった神様にお頼みする行為は以上のことで私はやめにいたしました。

今の私は、自分自身に宿っていらっしゃいます神に反しないように、当たり前に自然に準じて私自身のこころを愛に満ち満ちさせて日暮しをさせていただく。結果は因果応報で間違ったら間違ったなりに良かったら良かったなりに気が付けば反省!そうしていけば神様はお守りいただけ、なんとかなるみたいです。(この世界をお作りになられた神との関わりがいまいちまだわからないのですが、こころがなぜかすっきりくるのです)

みこころにいらっしゃる神様に”私は自分自身のこころに愛を溢れさせて行動する”と何回も唱えるています。(しかしながらいつも、反省することばかりです。無意識の思考が差別したり強欲であったり嫌悪したり拒否したりカチンときたり、未熟者の私です。でも頑張ろう)

昨日、女房と一緒に出雲大社広島分祠に交通安全と家内安全のお札を買いに行きました。交通安全のお札が千円。もちろん私はお参りも手も合わせたりしません。鳥居の中に入らずです。車にもお札はいらないのです。

女房が信心しだしたのは、私が家の神だなを拝まなくなってからであります。

そういえば、出雲大社にはまっていた時もありました。特にここ広島分祠は神さまとつながる方がいらっしゃって年に何回か自分の悩みの解決を教えてくださるとかで、神頼みをしに数回通いました。神道の祝詞も日本語ではなく、神語?のどの奥からとも腹の奥からとも不明な言葉で祝詞をあげられます。なぜか感動したものです。これもよくわかりませんが、気持ちが離れてしまったのです。

毎朝の祝詞の行事をしなくなり、毎朝の仏壇に向かっての正信偈をやらなくなってからかと思います。(女房は知りませんが般若心経の写経は大学ノートにたしか千回は写したと思います。それは遠い昔の話です)

それはそれで尊いので、彼女の思うことやっていることを尊重いたします。魂の命ずるままに!

ありがとうございました。人生悔いなしに邁進いたします。

 

 

 


早10年前になった四国八十八か所サイクリングお遍路

2016年01月16日 | 日記

人生の転機となったお遍路です。

前職の広告代理店を半分以上退職決意で答えをだすべく行ったお遍路でした。答えは固まっているのですが人生を振り返る意味もあったのでは思っています。

歩いては50日以上かかります。車で行っては意味がない!そこで20日間くらいでいける自転車で回ることに至ったのです。

自転車はマウンテンバイク(タイヤが太いのでパンクがしにくいし悪路でも大丈夫)。大半をテントで野営する、朝夕は自炊、昼は朝弁当作る。

テントは一人用をネットでゲット。炊飯はキャンプ道具一揃い。結構な大荷物であったが経費のことを考えるといたしかたなし。

準備に結構ワクワクしたものでありました。

広島からフェリーに乗って松山の52番札所大山寺からスタート。本堂とお大師堂へお参り(お賽銭は1円とほほ、気持ちですから勘弁勘弁)

宿泊は55番札所南光坊の裏の公園で初キャンプ。お参りは5時に終わるので食材の買い物と宿泊場所探しはそれからとなります。

わかったことは、自転車であるので登りは本当に苦しかったが

「登りつづければいつかは頂上に着く」ということ。

「苦しみの後の爽快さを思うこと」自転車だから当たり前か!下りの爽快感は格別のものがあります。

「安心の眠りが必要」運がよかったのか、他のお遍路さんに教えてもらった無料の宿泊家を市民の方が提供してくれてる。ふとんで寝れる喜びをしった。

結局、その時々を一所懸命に生きていればなんとかなると悟ったのであります。

その時々の生き様が人生を作る。

まず、自由な時間と行動ができること(お遍路でこころの自由と自分主体の時間を味わった。人に左右されない、縛られない時間場所)、

お金が人生ではないがないが不自由なので生活使える範囲内と多少の蓄え(お遍路ではないと回れない、不自由となるのを体感した)、

自分や人を愛すること(お接待での精神を学んだ気がする)、

健康であること

を知ったのです。

そして、人生に無駄はなかったと、また今後も一所懸命生きれば人生の最大の目標である、「人生悔いなし」と笑って旅にでれると思うにいたったのです。

神はいらっしゃいます。そして自分のこころに忠実に生き、神のお作りになられた万物を嫌うことなく愛し、自分の溢れる愛でもって接していこう。

と思った次第です。そして最初の大山寺に戻りフェリーに乗って20日間のお遍路を終了いたしました。嬉しかった!

思い出し出しながらつづりました。自分のおこしてしまった現実と見えない神がかり的な出来事である見えない世界を信じて毎日を一所懸命生きていく所存です。

ありがとうございました。


神はおられると信じると母は言った

2016年01月15日 | 日記

もう60年もの話になります。

広島の旧市内北に位置します三篠にカソリック教会があります。

母は60年前に神様に、いえシスターに助けられたとお礼がしたいといいます。

自分史、家族史のことで母にむかしばなしをしてもらっていて、感謝の念が沸き起こったのでしょう。

元来、恩に着て恩返しをよくする性格の母でしたから、友達も逆に母のことを気にかけていただきありがたく

思っています。

私は無神論者?いえ非宗教論者であります。

母と同じように神の存在は信じています。がどうしても宗教団体になじめません。

どうして、同じ神仏を崇めながらそれぞれ違う?(あがめる神様・仏様が違うからでしょうか)と感じざるを得ません。

しかも他宗教他宗派をあまりよくいいません。

自分史を語るうえで四国八十八か所サイクリングお遍路は欠かせないものです。

20日間で完全走破。お接待文化にも触れました、神がかり的なことにも会いました。感動のお遍路でした。

しかしお寺さんによって売らんかの姿勢まるだしが見えたりして閉口したものです。

ある人に言われました。どのような宗教に関わりあっているにせよ、その動機が「愛」からくるものであれば神様は見守ってくれる、と。

その動機が「組織」「お金」であるならば神様からいつかは(今生か来世)報いをお与えになられる。

「愛」から行動をされている宗教人の方はたくさんいらっしゃいます。

わたしも、「愛」あふれる人に最近なりたいと節に思うようになりました。(歳だから……かな)

非宗教論者でありながら

神を信じ、その創造物を大切にして、嫌うことなく、自分の心を「愛」で溢れさせ信じて行動しようとおもいます。

なにせ、神はみこころにある。ですから。

思いが母と同じであったのが嬉しく、改めて決意した次第です。

写真は、60年前の恩を受けた話をしに行った三篠のカソリック教会です。かすかな記憶がよみがえりました。マリア像も建物もそのままです。教会の中を見学させていただきましたが、その当時は畳敷きだったそうです。いまは土足で入れるように板張りでした。


父方の家系から

2016年01月14日 | 日記

父方のいとこが(私より10歳?年上女性)謄本をとって家系を調べていました。それを引き継ぐことにしました。

引き継ぐときの話です。

①広島と三次を結ぶ出雲街道の普請を請け負って財をなした。

②その子供がその請負金を持って逃げたらしい。

③原爆ドームの建設に関わった人がいるらしい。

④ハワイに渡航して儲けて帰った人がいる。

曽曾祖父(K次郎)--曽祖父(S吉)--祖父(M市)--父(S)--私

年代でこの普請を調べてみると、どうやらK次郎の30歳前後にあたるのでこの普請を請け負ったのはK次郎であろう。

その子供というとS吉以下数人であるがわが家計はこのS吉にたどり着く。

疑うわけではないが、ネットで調べてみると同姓同名で津山の教会で初めて洗礼をうけた3名の中にいるではないか。(これは津山に行って調べるしかない)

もしS吉だったら、逃げて津山までたどり着いて反省して洗礼を受けたのかも?そして回心して帰ってきたのかもしれない?

そのS吉の三男が曽祖父のM市である。M市はすでにK次郎の家ではなく、観音に住居を構え宮大工であった。原爆ドームを手伝ったのは宮大工が多かったと聞いたことがあるので、多分M市ではないかと推察する。広島市の古文書館へそこらへんの資料がないか探してみなくては?

ハワイ?いたいた、S吉の長男と次男が広島にいても食えないのでハワイで一発あてようと、渡航して財をなして帰ったそうな。

それにつけても、金持ち(曽曾祖父(K次郎))--貧乏(曽祖父(S吉))--金持ち(祖父(M吉))-貧乏(父(S))-私

これでいくと、金持ちが回ってこなくてはいけないのに?

ま、考え方なのでこころの金持ちでいいか!


お袋のご先祖を紐解く

2016年01月13日 | 日記

母方のご先祖は桜島の大噴火の時、桜島から都城に逃げ延びて土着したとお袋から聞いた。

お袋幼少のころは大邸宅の子女だったとのことであったが、祖父の散財によって財をなくしたとのこと。その墓はひっそりとしている。

ただ、お袋は大正15年(1925年)生まれであるから、1914年(大正3年)の大正の大噴火の時ではなくその前の140年前の桜島安永の大噴火と推察する。

吉都線谷頭駅前の通りに面して、しまうつりの碑と石川理紀之助の胸像が並んで建てられています。

100年たっても移住者の生活は苦しく前田正名の要請をうけ秋田の農聖といわれた理紀之助とが自費で1902年から再興に取り組み6か月で復興。その裏付けがネットでHITした。

桜島ドライブインのHPに桜島噴火の歴史記述がある。この中で『安永8 (1779)年10月1日、南岳の南側中腹から爆発が起こり、井戸水が沸騰、海水は紫色に変わり、激しい鳴動が小石や灰を一面に飛ばしました。あたりは真っ暗、火山雷まで引き起こり、死者は140人余りに及びました。噴火口は高免と古里の2カ所で、当時の模様を描いた絵が残されています。この噴火で海底噴火や隆起が起こったため、6つの島が現れました。現在でも残っているのは新島(雄島)、岩ばかりの硫黄島、獅子島、中之島といった島々です。

この噴火で、住民たちは宮崎県の山田町谷頭(たにがしら) などへ移住しました。とある。

谷頭には30数家が移り住み、十字路の一角に移住の記念碑が建っています。高さ2mぱかりの粗末な自然石で、正面には"しまうつりの碑"、左側には安永8年に桜島が噴火したこと、裏には移住者の氏名が刻まれています。桜田、桜森、島盛、新島と桜島に縁のある姓で、明治になって農民も姓が許されるようになったとき、桜島を懐かしく思って付けられたのでしょう。記念碑の根元には桜島の溶岩が積んであります。』宮崎県山田町谷頭とは現在の都城市山田町谷頭のこと、おじさんが谷頭に住んでいます。

今から約240年前のお袋が生まれる前約150年前の桜島安永の大噴火の時のことである。

その150年で財を無し祖父で財をなくしたということになる。

お袋が言うには、谷頭に大きな門があって屋敷へは結構歩いたと聞いた。まだまだ調べなければいけないことが山ほどある。

曽祖父までは、謄本でなんとかたどり着けたが、それ以降がかいもく見当がつかない。

この写真は、

HPから参考にさせていただいたものである。

ま、ぼちぼちしらべるか?


笑えば心の中も明るくなるよ

2016年01月12日 | 日記

おばあちゃんの自分史原稿を整理していたら、出てきました。

笑えば心の中も明るくなるよ。

昔、「神はみこころの中にある」と教わりました。本当ですね

そして「小さな幸せの積み重ねが、大きな幸せを呼ぶ」とも教わりました。

積小為大ですね。

営業の世界でも、「お金のかからない心の営業を大切に」もつながります。

笑顔でこころから感謝の意を!

見えないこころの世界を大切にすることが幸せに通じると感じています。

今はいないこのおばあちゃんに、出会ったことに感謝します。

大きな愛を感じます。

私は、こころの中を愛でいっぱいにしてこぼれる愛で皆様方に接したいと

このことを通じて、またある方のアドバイスで思った次第です。

そういえば、以前 「人を殺そうと思っただけで、神様は悔い改めなさいとお教えがありますよ」と教えられました。

現実殺してもいないことにと思ったりしましたが、こころの中が現実に結びつく。

恐ろしいことです。恨み辛みのなれの果てがこの思いにつながっています。

消そうと思ってもいったんついた恨み辛みの思いはなかなか消せないようです。

それより、心の中を愛で溢れさし、こぼれでた愛を相手に接するイメージしなさい。

だそうです。

まだまだ、未熟な私です。

「愛」を満たす!頑張るしかないですね。

何せ、幸せは自分で決めるしかないのですから。

自分は自分しかないのですから。

今日も、「愛」でこころを溢れさす意識をイメージしたいと思います。

自然にこころがいつもそうなるまでに……。