もう60年もの話になります。
広島の旧市内北に位置します三篠にカソリック教会があります。
母は60年前に神様に、いえシスターに助けられたとお礼がしたいといいます。
自分史、家族史のことで母にむかしばなしをしてもらっていて、感謝の念が沸き起こったのでしょう。
元来、恩に着て恩返しをよくする性格の母でしたから、友達も逆に母のことを気にかけていただきありがたく
思っています。
私は無神論者?いえ非宗教論者であります。
母と同じように神の存在は信じています。がどうしても宗教団体になじめません。
どうして、同じ神仏を崇めながらそれぞれ違う?(あがめる神様・仏様が違うからでしょうか)と感じざるを得ません。
しかも他宗教他宗派をあまりよくいいません。
自分史を語るうえで四国八十八か所サイクリングお遍路は欠かせないものです。
20日間で完全走破。お接待文化にも触れました、神がかり的なことにも会いました。感動のお遍路でした。
しかしお寺さんによって売らんかの姿勢まるだしが見えたりして閉口したものです。
ある人に言われました。どのような宗教に関わりあっているにせよ、その動機が「愛」からくるものであれば神様は見守ってくれる、と。
その動機が「組織」「お金」であるならば神様からいつかは(今生か来世)報いをお与えになられる。
「愛」から行動をされている宗教人の方はたくさんいらっしゃいます。
わたしも、「愛」あふれる人に最近なりたいと節に思うようになりました。(歳だから……かな)
非宗教論者でありながら
神を信じ、その創造物を大切にして、嫌うことなく、自分の心を「愛」で溢れさせ信じて行動しようとおもいます。
なにせ、神はみこころにある。ですから。
思いが母と同じであったのが嬉しく、改めて決意した次第です。
写真は、60年前の恩を受けた話をしに行った三篠のカソリック教会です。かすかな記憶がよみがえりました。マリア像も建物もそのままです。教会の中を見学させていただきましたが、その当時は畳敷きだったそうです。いまは土足で入れるように板張りでした。