いままでなかなか言えなかった言葉があります。
「母ちゃんの子供でよかった」 とか 「母ちゃん、母ちゃんの息子に生んでくれてありがとう」
33年前に亡くなった父、68歳(1983年他界)であったが「父ちゃんの息子に生んでくれてありがとう」を伝えることなく逝ってしまった。
33年たった今、天に届くように心から叫ぼう、「父ちゃん、母ちゃんの息子に生んでくれてありがとう」
昨年末、母が入院した。人生のちょっとした休憩である。
入院前は、一人でなんでもこなし元気であった。
抗生剤の服用で、菌が死滅して最後に残った強烈な菌が原因して胃か腸をやられ大量の下血での入院であった。
ちょっと軽度のボケが入っているが、テレもあったが思い切って言わせてもらった。
「母ちゃん、母ちゃんの息子に生んでくれてありがとうな!」
それから20日あまり、ことあるごとに「母ちゃんの子どもでよかった」 「母ちゃんのいたけえ俺は頑張れた」など感謝の気持ちを伝えた。
軽度のボケが入っているので解っているかなあ?
母と話しているうちに、昔のことを多く語るようになった。
しかも、私の幼稚園時代のことだ。
本当に貧乏だったみたいで、その中であるカソリック系の幼稚園のことを話し出した。
そこのシスターさま(当時は”どうていさま”と呼んでいたと記憶する)に大変お世話になった。お礼しなくてはいけない。と。
そこの教会に寄付してくれ……。しかもいや教会でなく、シスターさまに寄付してくれと言い出した。
さっそく、翌日に寄付したことは言うまでもないが、どうしてか詳しく聞いてみると。
1番目に、借家も窓は板がガルウィングのように開き棒で支えて開ける時代的な古い家を安く借りなければいけないくらいの貧乏のそん底であったのを、ここのシスターさまが親父の働く口として園の送迎バスの運転手に雇っていただいたこと。
2番目に、私を保育園・幼稚園に預かっていただき、共働きができ大変よくしていただいたこと
3番目に、私が脳膜炎になって入院した時に、お袋にとってまことに神さまと思えるくらいの対応をしていただいたこと
母は神様がおられたとさえ言い切ったのである。
また、親父が癌の時に、蓮見ワクチンが効くと聞きつけた時に、藁をもすがる思いで飛行機で東京に2度ほど行き、ワクチンを打ちつづけ
自分のことより「父ちゃん頑張った、頑張った」と告げた。
母の幼少のころの話、
弟の八丁堀から雨の振る中お袋のいる縫製工場までずぶぬれになって歩いて来た話、
父が入院中に、お世話になった看護婦さん・調理師さんと友達になりその方となれ初めとかの話。
貧乏だったが、こころは貧乏でなかったお袋だ。
いまは、1か月近い入院で足腰が弱まり歩くことが難しくなっていますが、母ちゃんなら大丈夫、持ち前の頑張りで入院前の一人で何でもやった時に戻ると信じています。
なにせ、母には神様が守ってくれていますから。
家に帰ったら、弟と三人(父の影膳で四人前)で寿司を取ってビールで乾杯しようや!
入院中にお袋と語った大切な時間をいただきありがとうございます。
感謝いたします。
それにしても、しわが増えたなあ。苦労をさせた年輪かなあ!
自分史に関わらさせていただいた89歳のおばあちゃんの初版本「ありがとうすまんのう」を
すまんねえ、でもありがとう
に変えて、母に贈ります。