『新古今和歌集』『新勅撰和歌集』の選者であり、
中世を代表する名歌人・藤原定家が撰んだにしては、
『百人一首』には駄歌が多いと言われています。
額田王・山上憶良・大伴旅人など代表的な歌人がもれているし、
また選ばれた歌人の作品でも、もっと優れた歌があるのに、
他の歌が選ばれていたりしているので、
「百人秀歌」が発見されるまでは、定家の撰集ではないのでは?
と疑われていた程だったらしいのです。
では、なぜ藤原定家は、わざわざ『百人一首』で名歌を捨て、
多くの駄歌を拾ったのでしょうか?
百人一首は、元は1冊の本として生まれたのではなく、
蓮生の求めに応じて、小倉山荘の襖の装飾のために
定家が100人の歌人の優れた和歌を一首ずつ選び、
色紙にしたためたものなのだそうです。
そして襖に並べる順番によって、ある暗号が浮かんで来ると言うのです。
後鳥羽上皇の寵愛を受けていた藤原定家ですが、
やがて仲違いし、その後後鳥羽上皇は承久の乱で隠岐へ流罪され憤死されます。
逆に出世して行くの定家には、後鳥羽上皇への後ろめたい気持ちがあり、
『小倉百人一首』は秀歌を集めた歌集ではなく、
隠岐へ流され非業の死を遂げた後鳥羽上皇に捧げた歌集となった、
という説があります。
しかし、この「百人一首に隠された藤原定家の暗号」で、
関裕二は更なる暗号を解き明かします。
お正月にぴったりのこの本は、上質のミステリーかも知れません。
是非読んでみて下さい
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