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オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

新形三十六怪撰より 「大森彦七道に怪異に逢ふ図」

2018-09-09 | 新形三十六怪撰

~ 女性の身にて 盛長を騙し討たんとは 何者なるぞ ~

『大森彦七道に怪異に逢ふ図』

おおもりひこしち みちに かいい にあう

 大蘇芳年筆

 

大森彦七(おおもりひこしち)は南北朝時代の北朝方の武士。名は盛長。

 

矢取川の鬼女

健武三年(1336)湊川の戦いに足利尊氏方に味方して

敵将の楠木正成を自刃に追いつめたその功により

足利尊氏から伊予に所領を与えられた。

その領地内の金蓮寺で猿楽を催すこととなり

大森彦七も舞を舞うため「金蓮寺」に赴くこととなった。

道中、館を出て魔住ケ窪をぬけて矢取川にさしかかり

もう日も暮れかかってきた川を渡ろうとしていると

なにやら河畔に佇む美しい姫がいたので声をかけると

「川向こうに行きたいけれど、流れが速く深い川に難渋している」と答える

そこで、背中を貸して矢取川を渡り始めたところ

背中の姫が急に重たくなり、川面に写る様子を見ると

口は耳まで裂け、振り乱した髪からは角が生え恐ろしい鬼女となり

大森彦七の頭髪をわしづかみにし天空へ舞い上がろうとしていた。

大森彦七は鬼女の手をシカと離さず岸へ取って返し

「おのれ 妖怪」と押し返すが、「正成参上」と鬼女は手向かってきた。

格闘の末撃退するが、それ以後も七度にわたって襲われ

大森彦七は正気を失いかけたが、大般若経の功徳で救われたという。

 

 

 

 


新形三十六怪撰より 「藤原実方の執心雀となるの図」

2018-09-08 | 新形三十六怪撰

~ この世にし 楽しくあらば 来む世には 虫に鳥にも 我はなりなむ ~ 大伴旅人

『藤原実方の執心雀となるの図』

ふじわらさねかたの しゅうしん すずめとなる のず

 

 大蘇芳年筆

 

藤原実方(ふじわらの さねかた)は平安中期の歌人

 

長徳一年(995)、一条天皇の面前で、藤原行成と口論になった時に

怒りのあまり持っていた笏(しゃく)で行成の冠を打ち落としてしまう。

このため、藤原実方は京都から奥州・陸奥守へ左遷させられ

遠く離れた不案内な土地に配されたまま失意の内に歿した。

 

ある日、京都の勧学院に勤める僧の夢枕に一匹の雀が現れる。

「我は実方なり。身は陸奥に歿したが、魂は雀となって

都に戻ってきた」 と語り自分のために誦経するよう頼んだ

翌朝、境内の林の中で雀の死骸を見つけた僧は

実方の変わり果てた姿と哀れに思い

実方を弔うために塚を築いたとの伝承がある。

 

 

 

 


新形三十六怪撰より 「武田勝千代月夜に老狸を撃の図」

2018-09-01 | 新形三十六怪撰

~ 木馬なら木馬らしく黙っていろ ~

『武田勝千代月夜に老狸を撃の図』

たけだかつちよ つきよに ろうりをうつ のず

 

 大蘇芳年筆

 

武田勝千代は武田信玄の幼名

 

ある夜、乗馬の練習にはげむ勝千代に

突然木馬から呼びかける声が聞こえる

「勝千代、軍術と剣術、どっちが妙(優れている)か?」

不審に思った勝千代

「いずれも妙なり。これが剣術の妙ぞ」

と、答えるやいなや太刀を抜いて木馬に斬りかかると

その正体は老いたタヌキであったとか。

 

 



 


新形三十六怪撰より 「蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図」

2018-08-16 | 新形三十六怪撰

~ 帰ろう... 帰ろう... 妙国寺へ帰ろう ~

『蘭丸蘇鉄之怪ヲ見ル図』

らんまる そてつの あやかしをみるず

 

 大蘇芳年筆

 

森蘭丸(もり らんまる)は安土桃山時代の武将

織田信長に小姓として仕える

 

ある夜更け信長は庭の方から「妙国寺へ帰ろう。」と声がするのを聴いた。

原因を突き止めてこいと命じられた蘭丸が、灯りを手に深夜の庭に立ってみれば

遠い地鳴りのように「帰ろう... 帰ろう... 」とやっぱり聞える

声を頼りに正体を突き止めると、犯人は蘇鉄だった。

しかし秋の虫が鳴きはじめれば聞き漏らしそうな声でもあり

これが天主上層の信長の耳にまで届いたのだから

きっと城ごと念によって揺さぶっているのである。

この城では安息できないとでも云うのか。

少年とはいえ信長の信任を得てきたほどで、蘭丸の肝は据わっている

魔物と見れば斬り捨てんとばかり、臆することなく大蘇鉄に近付いて

左手に持つ灯りを寄せた。すると蘇鉄は黙った。

遠ざかってみると、また呻き声が聞えはじめた。

 

その後、蘇鉄は元にあった妙国寺に戻された。

 

 

 

 


新形三十六怪撰より 「三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図」

2018-08-15 | 新形三十六怪撰

~ 頼豪、大なるねずみとなりて山の聖教を食ひ損じける ~

『三井寺頼豪阿闍梨悪念鼠と変ずる図』

みいでら らいごうあじゃり あくねんねずみと へんずるず

 大蘇芳年筆

 

頼豪(らいごう)は平安時代中期の天台宗の僧

阿闍梨(あじゃり)は天台宗・真言宗の僧の職位

 

『平家物語』によれば平安時代、頼豪は効験があれば

 思いのままに褒美を取らせるという白河天皇との約束のもと

皇子の誕生を祈祷し続け、承保元年(1074年)見事これを成就させた。

頼豪は褒美として三井寺の戒壇院建立の願いを申し出たが

対抗勢力である比叡山延暦寺の横槍のため、叶えられることはなかった。

このことを怨んだ頼豪は、自分の祈祷で誕生した皇子・敦文親王を

今度は祈祷で魔道に落とそうと断食に入った。

やがて100日後、頼豪は悪鬼のような姿に成り果てて死んだが

その頃から敦文親王の枕元に、妖しい白髪の老僧が現れるようになった。

白河天皇は頼豪の呪詛を恐れて、祈祷にすがったが効果はなく

敦文親王はわずか4歳にしてこの世を去った。

 

頼豪の恨みは皇子を取り殺してもなおおさまることはなく

怨念が巨大なネズミと化し延暦寺の経典を食い破ったとされる。

延暦寺は頼豪の怨念に怖れをなし東坂本に社を築いて

頼豪を神として祀りその怨念を鎮めた。

出典先:ウイキペディア