オオカミになりたい(遺言)

ずっとそばにいるよ

新形三十六怪撰より 「おもゐつゝら」

2018-11-16 | 新形三十六怪撰

~ さぁ、あたしにも葛籠をお寄こし! ~

『おもゐつゝら』

(おもいつづら)

 

 大蘇芳年筆


昔話 「舌切り雀」

心優しい爺が助けた雀が、婆が用意しておいた糊を食べてしまい

怒った婆に舌を切られて雀は家から追い出されます

山から帰ってこのことを知った爺は悲しみ、を探して山の中を歩き回り

いくつかの苦難を越えて宿にたどり着き、そこで雀たちから歓待を受けます

帰り際、出された2つの葛籠(つづら)のどちらを土産として持っていくかと訊かれ

「ありがとう。儂は年寄りだから、こちらの小さい葛籠をもらうことにしよう」

爺は小さな葛籠を受け取って家に帰りました。

葛籠の中には金銀財宝がいっぱいに詰まっているではありませんか

これを見た強欲な婆は自分も貰おうと雀の宿へ向かい

そして大きな葛籠を奪うように受け取っていきました。

雀たちから「家に着くまでは開けてはならない」と言われたのに

待ち切れずに帰り道で開けてみると、中から魑魅魍魎妖怪変化が現れた

「ヒェー!たっ、助けておくれー!」

驚いた婆は腰を抜かしてしまい、一目散に家へ逃げ帰りました。


さて、儂はどちらをもらうことにしようかのう



「新形三十六怪撰」 全作品の関係話完了しました。

【目録】



新形三十六怪撰より 「秋風のふくにつけてもあなめあなめをのこはいはしすゝき生けり 業平」

2018-11-12 | 新形三十六怪撰

~ 小町の髑髏 ~

『秋風のふくにつけても あなめあなめ をのこはいはし すゝき生けり 業平』

(あきかぜのふくにつけても あなめあなめ おのとはいわじ すすきおいけり なりひら)

 

 大蘇芳年筆


在原業平(ありわらのなりひら)は平安時代初期の貴族・歌人


『無名抄』 第81話【業平本鳥きらるる事】

第82話【をのとはいはじといふ事】

在原業平はまだ入廷していない二条后をさらっていくも

その兄たちに取り戻され、業平は髻を切られて邸に籠っていたが

同じ人前に出られないのなら『歌に詠まれた場所を見に行こう』 と思い

東のほうに出かけます。 奥州の八十島という所で宿をとった夜

野原から 「秋風の 吹くにつけても あなめあなめ」

(秋風が吹くたびに、ああ、目が痛い)

という歌の上の句だけを詠ずる声が聞こえてきました。

声の主を探し求めても、人の姿はなくただ眼窩から

薄(すすき)が伸び出た野晒しの髑髏が見つかっただけでした

どうやらこの薄が風になびく音が歌のように聞こえたらしく

怪しげなことと思った業平はあたりの人にこのことを尋ねました。

ある人は、かつて小野小町がこの国に下って終焉を迎えたというから

髑髏はきっと彼女のものであろうと語ります

そこで哀れに気の毒に感じた業平は、涙を抑えて下の句を付け

「小野とはいはじ 薄生ひけり」

(小野とは言うまい、ただ薄が生えているのだから) と

変わり果てた小町を慰め、弔いとしたと云う

 

 

 

 


新形三十六怪撰より 「蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒図」

2018-11-09 | 新形三十六怪撰

~ 我は 土岐何某と言い 日本無双の剛の者也 ~

『蒲生貞秀臣土岐元貞甲州猪鼻山魔王投倒図』

(がもうさだひで かしん ときもとさだ 

こうしゅう いのはなやま まおう なげたおし の ず)

 大蘇芳年筆


室町後期~戦国初期の武将・蒲生貞秀の家臣 土岐大四郎元貞は

甲州猪鼻山の魔王堂において、仁王の妖怪と仏陀に相撲を挑まれこれらを投げ倒した


老媼茶話(ろうおうさわ)  『猪鼻山天狗』

蒲生貞秀が魔所として知られた甲州・猪鼻山に陣を張った時の話である

昔、この山に棲みつき人を喰う大頭(たいず)魔王が

空海により巌窟に封じられ、魔王堂というものあると聞く

訪ねて行って帰ってきた者はいない。

誰かいないか、この山分け入り魔王堂を見届ける者は

この言葉に蒲生家無双の大力・土岐大四郎元貞が進み出て

「それがしが見届けまかり帰りもうすべし」と、白綾の鉢巻をし

黒腹の鎧を着て白柄の大長刀を杖に山中へ向かった。

ー 中略 -

魔王堂にたどり着くと門前に破れはてたる仁王門があり

2丈(約6m)ばかりから成る仁王が此門より戸を押開き

元貞の前に出て来て、目を見張り足を力強く踏みしめて

「いかに客人、角力(すもう)を一番取るべし。相手に立ちたまえへ」と云う

元貞は「望(のぞみ)ならば參らん」と甲の結を強く締め、鎧を揺り合わせ

くだんの仁王と四っ手に引っ組み捻じ合うが、元貞の力が勝り

仁王を小脇にかかえ強くしめて、橫ざまに投げ倒すと

元より年久しく風雨にされたる仁王なれば、五體ちりぢりに砕けたので

元貞は「これで懲りなん」と言うと一息ついた。

その後、阿弥陀仏とも闘い 長刀(なぎなた)の柄で仏を散々に打ち砕くと

その破片は数百万の蝶となり元貞に群がり、さすがの元貞もその場から逃げ出します。





新形三十六怪撰より 「奈須野原殺生石之図」

2018-11-07 | 新形三十六怪撰

~ 妖狐 玉藻の前伝説 ~

『奈須野原殺生石之図』

(なすのがはら せっしょうせき の ず)

 

大蘇芳年筆


玉藻前(たまものまえ)は平安時代末期の伝説上の人物


能 『殺生石』あらすじ

玄翁という旅の高僧が奥州から下野国那須野原に辿り着いたとき

ある石のまわりを飛ぶ鳥が落ちるのを見て不思議に思っていると

一人の女が玄翁に声をかけ、それは殺生石と言って

生き物を取り殺す石だから近づかないように言い、その石の由来を語る。

女によると 昔、鳥羽上皇の時代に玉藻前という才色兼備な女性がおり

上皇の寵愛を受けていたが、上皇が衰弱している原因が

玉藻前にあると陰陽師の安倍泰成(あべのやすなり)に見破られ

白面金毛九尾(はくめんこんもうきゅうび)の狐の姿となって宮中から逃走する。

その後、朝廷の討伐軍と那須野の地で激突し

一度目は8万からなる軍勢を退けたが、二度目の戦いで敗北し

那須野原の露と消えた玉藻前は、なおも執念が残り殺生石となって

以来この場で生物を殺し続けている。と語り

また、女は自分が玉藻前の化身だと語り、石に隠れて消え去る。

玄翁は仏法に導いてやろうと法事を執り行うと、石が割れて中から狐の精霊が現れ

「このような遇い難い仏法を授けられたからにはもはや悪事は致しません。」と

約束し硬い石となって鬼神の姿は消えていった





新形三十六怪撰より 「茂林寺の文福茶釜」

2018-10-14 | 新形三十六怪撰

~ 今は昔、上野の茂林寺に守鶴という老僧あり ~

『茂林寺の文福茶釜』

(もりんじ の ぶんぶくちゃがま)

 

大蘇芳年筆


『甲子夜話』

元亀元年(1570)七世月舟禅師の代に茂林寺で千人法会が催された際

大勢の来客を賄う湯釜が必要となりました

その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて

茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことに

いくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。

殊にこの茶釜は八つの功徳があり、中でも福を分け与えるゆへに

守鶴はこの茶釜を「紫金銅分福茶釜」名付け

この茶釜のお茶を飲むと八つ功徳に授かると言いました。

それからしばらく経ったある日、守鶴は熟睡していて手足に毛が生え

尾が付いた狢(むじな)の正体を現わしてしまいます

実は、守鶴の正体は数千年生き続けた狢だったのです。

これ以上、当寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ

人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます

人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり飛び去りました。

時は天正十五年(1587)二月二十八日

出典元:ArtWiki