ゴダールよりもデ・パルマが好き(別館)

ホンも書ける映画監督を目指す大学生monteによる映画批評。

Jew Suss - Rise and Fall

2010-02-28 22:03:40 | 映画(数字・アルファベット)
2010年・オーストリア、ドイツ・Jud Süß - Film ohne Gewissen
監督:オスカー・レーラー
(IMDb:4.0 Metacritic:× Rotten:×)

第60回ベルリン国際映画祭にて鑑賞。



「壁のあと」「アグネスと彼の兄弟」「素粒子」という作品(いずれも未見)の高評価により、
今、ドイツで最も注目を集めている映画監督の一人らしいオスカー・レーラーの新作。
本作の前評判と注目度は高く、前日にはテレビで特集が組まれているほどだったし、
かく言う僕もその番組を見て、見に行こうと決めた一人である。
当日の館内も僕が見たコンペ作品の中で一番の混雑だった。

しかし、残念ながら、「Jew Suss」はコンペティション部門の中で、最低の評価を得てしまった。
翌日の新聞の星取表でも見事、最下段にタイトルが刻まれていた。

確かに欠点は多いが、僕は嫌いではない。
少なくともブーイングを浴びせるほどの酷さではなかったと思う。
かといって、拍手をするほどでもなく、良い要素と悪い要素が半々ぐらいで混在している作品だ。



ストーリーは、ナチスのプロパガンダ映画「Jud Süß」(ユダヤ人ズュース)に出演せざるをえなくなった主演俳優の苦悩を描く。
1940年のドイツ。フェルディナンド・マリアンは、ファイト・ハーマン監督の
プロパガンダ映画「Jud Sus」(ユダヤ人ジュース)の主役に抜擢される。
彼の栄光は、この映画がベネチア国際映画祭でプレミア上映されるまで続くが、
その頃になって、彼もようやくこの映画の持っている社会的な意味や危険性を認識し始める。
彼の友人のユダヤ人たちは移民を始め、彼も、家族をユダヤ人の友人の別荘に隠すが、
家族はメイドの密告で見つかってしまう。彼は、自棄になって酒に溺れる。
しかし、その行為がまた非難の対象となり、ゲッペルスの不興を買って、妻が国外追放になってしまう。
チェコ人の愛人ブラスタももう彼を守ることはできない……。

というもの、成功していれば間違いなく大傑作になったであろう魅力的なプロットである。



この作品の評価するべきところはまず、その映像のクラシック映画のような様式的な美しさにあるだろう。
セット撮影を基調とした(実際、ロケ撮影が出てくるのは終幕15分前ほどになってからである)
モノクロ映画のような抑えた色調の映像は時代の雰囲気をよく表しており、見事だ。

また、主人公マリアン役のトビアス・モレッティとゲッペルスを演じたモーリッツ・ブライプトロイの演技が
素晴らしく、序盤から中盤にかけては、ほとんどこの二人の会話だけで構成されているので、
その演技合戦に圧倒される。

非常に舞台的な要素が強い作品だ。



しかし、この作品の欠点は上記のストーリーがほとんど語られていないという点にある。
観客が期待するマリアンのプロパガンダ映画「Jud Sus」に出演したことによって、兵士や国民の
戦意を向上させ、多くのユダヤ人犠牲者を出していることへの苦悩は劇中、ほとんど描かれない。
代わりに、マリアンが「Jud Sus」に出演するかどうかで悩み、ゲッペルスに説得されるシーンが延々と続く。
はっきり言って、“逃げ”だと受け取られても仕方がない。
また、マリアンの恋愛事情もどうでもいい割に、比較的丁寧に描かれており、
2度も登場するベッドシーンはあまりの演出過多ぶりに失笑が漏れるほどであった。

マリアンの苦悩はカメラがセット撮影から始めて開放されたドイツ軍キャンプでの
「Jud Sus」の上映会のシーンで、ほとんど初めてしっかりと描かれ、その約15分後、
映画はマリアンの突然の自殺を持って、終幕する。
マリアンの葛藤がほとんど見出せないために、マリアンの自殺があまりにも突然に感じられ、唖然とさせられる。
もっと早い段階から、マリアンの映画出演後の葛藤を丁寧に描写していれば、
登場人物の感情に観客が寄り添うことのできる傑作にもなりえただけに、非常にもったいない。
監督がマリアンの描き方を見誤ったとしか言いようがない。

〈65点〉


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