空に問う。

空に問うても果てがない

明治時代

2017-08-23 11:18:52 | 日記
福井県労連や福井県高校教職員組合、新日本婦人の会福井県本部など7団体は22日、来秋の福井国体の名称に「明治150年」という冠称を付けることに反対する申し入れを、国体実行委事務局の県国体推進局に行ったという・・・。因みに50年前も福井国体で「明治百周年」と冠がついていたんだって・・・。

それとなく人々は右傾化する社会や安倍政権及び自民党に警戒し始めているのかも知れない。まあ良い兆候なのかもね。

どんだけ明治をリスペクトすれば気が済むんだろう。右派って何故にスポーツの祭典を穢そうとするんだろう。

にしても何も感じなければ周年イベントの何が悪いのか感じないのもまた日本。

今日はパソコンちゃんの機嫌が悪い(笑) 

●霊でも憑いちゃったかな?

まあ高校教職員組合があるから反対するよね。今は日教組が言いたいことも分かる。

アメリカではとうとう人種差別の問題がコロンブス像にまで及んだらしい。何故ならコロンブスは先住民から土地を奪った略奪者としての厳しい意見もあるからなんだって。そんな反社会的なシンブル像が街中に置かれていたり、Stの名前になってることが我慢ならないと・。

まあそりゃあそうなんだけど、アメリカ大陸を発見した航海者というイメージしかなかったんで、アレレと思うけど。ならキリスト教の布教で訪れた神父も同じじゃない。先に宣教師を派遣して信者を増やした後で、宣教師を派遣した国が植民地支配したんだから・・・。まっ、根本主義がある程度根付いてるアメリカではそうした矛盾や巡回は起きないんだろうかねぇ。

日本の宣教師だって、本国に書簡を送ったりして国内の情勢や動向を報せていたわけだし・・・。

本当に世界はどうしちゃったんだろう???

南北戦争の銅像反対は分かるんだよ。奴隷制度を誇示した将軍なんて気味が悪い。そしてそれが白人至上主義に繋がってると思うしね。日本の場合はどうなんだろう。比較的マトモだった右翼団体はGHQにより解体され、戦争を指導した政治家や軍、アメリカ軍に寝返った右翼団体はスパイや諜報活動に利用されたりしてる。まあこういう悪党はGHQを利用して内側から日本を守ったと主張するんだろうけど。アメリカに寝返った時点で右翼とか保守ではないと思うんだけど・・・。

今の右翼団体はそれこそ思想上の理想や理念を絶対視してて、そういう無様な過ちはねつ造だとほかの意見を突っぱねる。日本軍のコスプレしてる連中は、それを英霊さんが喜ぶとでも思ってんだろうか・・・。突き詰めると武士道の男色や修道に繋がるような感じもするしね・・・。そう言うのも心得の一つだったとは歴史家は語らないけど。

やたら明治をリスペクトするのは日本人至上主義ではないと思うんだよなァ。あの時に犯した過ちが昭和になり最も悪い循環と最悪の社会情勢を生み、軍部が負け戦に暴走した。すべては明治政府に繋がるんだよね。イギリスや海外資本国がクーデターの黒幕で、軍事国家にしたかったのは単に戦争ビジネスで武器を売りつけたかったに相違ないだろう。

なのにおバカな日本人は明治維新を日本オリジナルの政変だと思ってる。実際は自国防衛のために武器を売りつられていたのに、日本はその武器を使い、東アジアに侵攻した。欧州は判断を間違えたのだ。たぶんもっと成熟した政治体制になると思い込んでいたんだろう。どこだって要となる前線基地が欲しかったんだと思う。外洋から大陸を観れば、日本は城塞のようなものだったんだろうね。

朝鮮出兵・・・信長が夢見て、秀吉が敗れた夢を長州藩が新政府の政策として実行した。これは西洋の誤算だったんだと思うなぁ。そして出る杭は打たれるのが定めだから、杭は思いっきり打たれたわけだね。歴史に学べなかった。半島は恨の精神が根付いたところだから、半島の征服を夢見ると、その時の為政者や政治は終わってる。だからまぁ、明治の思想は最終的に1945年に終焉したんだと思う。

今もそうだけど半島の恨の精神が蠢いていて、もう千年以上揉めている。別に朝鮮戦争から揉めてる訳ではなく、白村江の戦いからずっとあんな感じで紛争が続いてる。今はそれがアメリカVS中露の後ろ盾を得てやたら活性化してるだけ。実際半島は日本よりも中国に属国扱いされ、苦しい歴史を繰り返しているんだけど、その史観は現在も同じで、中国には絶対服従的である。そんな妄想を日本が取り去っても、また戦後はそこに回帰してる。日本のいまの評価はまるでアメリカのコロンブス像なのだ。韓国の非人道的な習俗を改善した良い点もあるのに、いざ日本が敗戦するととっとと悪い面だけで反撃した。慰安婦問題で徹底して日本を卑下しているけど、当時の韓国は日本人でもあった訳で、身体的にも慰安婦問題を否定しきれるかと言えば違うだろうに。

その時々の親国を求めているんだよね・・・韓国は常に属国であることを選んでる気がする。そこが少し今の北朝鮮と違うところだろうか。だからやたら厄介な存在になった。北朝鮮のミサイル技術の発達に少なくてもロシア・ウクライナの関与が囁かれ、外交問題としてはアメリカ欧州連合VS中露になってる。朝鮮戦争と同じ構図に戻されてる。だから北朝鮮も安易に行動を起こせなくなってる。アメリカと中国とロシアは衝突を回避しようとしてるのに、日本はそれを悪利用してなんとか改憲の道筋に戻そうとしてる・・・。安倍政権の防衛費増加は、北朝鮮を利用した軍事武装に過ぎない。現に一度も領土を侵すような実験(攻撃)はされていない。だからまんま政府の言動に惑わされてはいけないんだ。

自国防衛を歌いながらアメリカから大量の武器を買ってるだけだから・・・。それをけん制するように東アジアの戦争の機運が高まっているのは事実である。中国船籍のサンゴ乱獲を見て見ぬ振りしたけど、実際に拿捕しても中国と戦争になることなどなかったはずなのに。放置したまま「中国はこんなに悪い国だ」と国民に思わせようとした。漁場権のみを主張しても日本は国際的に中国を訴えることは出来たはずなのに・・・・。

北を脅威にすることで日本は防衛費を上げ、その防衛費の増加を横目に見ながら軍需拡大をする中国は牽制する。どちらかと言えば日本はなにもせずにいればいい訳であるのに、安倍政権は煽るだけ煽り、安保法案改正に繋げてる。そういう時は連合軍とのすり合わせを言い訳にしながら、実は軍事国家日本を復活させる手順を踏んでいるんだと思う。

要するにメンツなんだろう。先進国の日本でさえ核武装が認められていないのに、万が一北朝鮮が核保有国として認められると地位的に日本は下に置かれると思い込んでる。かつての東アジアの覇権国としての意地とプライドが邪魔をするんだよね。東アジアでのアメリカ的な役割を担うのが日本の役目だとカン違いしてるし、それが社会正義だと思ってる。戦後、日本政府がひた隠した大戦中の誤りを本当に何もなかったように見せたい日本にすれば左翼的な空気感が邪魔で仕方がないんだと思う。

実は事実として認めたからこそ、人権の重視のドイツに生まれ変わったのに、東アジアの警察になろうとすることで、内政も管理しようとし始めた安倍政権は本当に愚かな保守なんだと思う。人権をないがしろにする国が良い国であるはずはない。それは「敵」である北朝鮮を見ていれば分かるのに、知らん顔をする。しょせんこの人にとっての国民は社会保障を望まずに税金だけを黙って収める支配層に対して従順な者たちを国民と呼びたいんだろう。こんな人たちは、こんな安倍政権を否定してるから許せなかっただと思う。国体に従順な国民統制が理想なんだよね。

いま安倍政権だからこそ、こんな窮地に立たされていることを国民は考えなくちゃないけない。トランプさんを支持したことはもうすぐ失敗となるだろうしね。まあ追い込まれたら、元々が無責任なんでとっとと改憲を放り出して辞めると思うけどね。どう見てても”意気地”があるタイプではないよね・・・・。

こんなに軽率で浅はかなくせに、よく安保法案や共謀罪を通したもんだけど、全部たまたまなんだよね。問題の矛先を避けるために別の抜け穴を探していたら、たまたま反対されて当然な法案がスムーズに通っただけなんだ。そのたまたまの運も実力なんだろうけど、それが完全に尽きたのが加計さんとの関係なんだろうね。例えば親友に特権を与えるにしてもやり過ぎだし、その関係性に気持ち悪さを感じているんだよ。加計さんを絶対的に守る姿勢のどこに人間としての美学があるのか。腹心の友ってこんな感じではないと思ってる。もしそれが”思想信条”にあるのなら、それはおぞましく気持ちが悪いよね。

そういうべたべたした心情がきっと言葉にはならないけど、拒絶したいほどに気味が悪いんだよ。単に気色悪いんだよ。

その気色悪さが、思想信条や「日本を取り返す」に直結すると、ファシストとか戦前回帰になってきてしまう。単にこの二人は義兄弟とか、恋愛に近い感情を有しているんだよね。足りないモノを保管する関係性。そしてそれも安倍さんの片思いという現実。

たぶんおいらは1943年~1945年の日本を気色が悪いと思ってる。おいらには愛国心ない。根本的に”愛情”というものが欠落しているから、人を愛せないのに国を愛せるはずもない。だから戦争がただ気持ち悪いんだ。あの時の空気も社会情勢も右翼も左翼も気色悪いんだな。

戦争の被害や悲劇に遭ったすべての犠牲が、怖くて怖くて気持ち悪い。それはもしかしておいらにも”支配欲”があるせいかも知れない。心の中に”バケモノ”が常にあることを感じてるおいらにはすべてを放棄してる状態が平穏なのだ。バケモノに支配される気持ちを知ってる。自分の意思に反して、他人を攻撃させる、あの感じを知ってる。あがらえられない圧倒的な力の存在を知ってる。たぶん誰の心にもいるようなモノなのだが、それを知らずに、それが暴れることがない生き方を幸福や平和と呼ぶのだと思う。戦禍の中にあった日本人を実効支配していたのは愚かな政治や法令や軍の暴走ではなく、自分の裡に住み着いてる絶対的悪性のバケモノや怨霊に支配されたからだと思う。愛も憎しみも人は学ばずとも本能の生存力を介して知っている。だから憎しみを愛のように育ててしまった。アメリカを憎むことで日本に愛情を感じていた。

今はアメリカを憎むことも日本を憎むこともない。だからバケモノは愛情のフリをして騙してる。

日本人は特殊なんだと思う。何もかもを受け入れたようで、何もかもを拒絶して、自分の中にあるモノを、まるで外に預けてるような気持ちでいる。自分とは決して切り離せないのに、それが外部から襲ってくるような妄想に狩られてしまう。幽霊のように目に見えないモノの存在を常に意識している。

明治150周年に抱く違和感や政治性は、外部からの借り物なんかじゃなくて、自分の中の”バケモノが”バケモノにしないでくれと言うSOSなんだと思う。

日本人の心には「鬼」が生じる。言い換えると「鬼」が生じる民族であり、それが無意識化で共有してる日本人の遺伝的な本能なんだろう。普段は青鬼みたいにいい奴なのだ。だがそれが赤く染まることがある。

神道ってやり過ぎると逆に作用するんだと思う。神の性質が是(神がすることはすべて正義で正解。災害や人死を起こしてもそれが神の御業なら疑うことなく正しいと云うこと)である以上、青鬼さんは赤鬼さんに変じる。神の「是」とは神道の原理である。だからその要素を弱めるために仏教が神道の反作用を補完したんだと思う。

それは日本人の魂レベルに刻まれた刻印みたいなモノなのかもしれないなぁ。だいたい右派の人は神道を信仰してる。だからこそ儀礼を通じてバケモノが騒ぐんじゃないんだろうか。おいらが何故、このままじゃヤバいと思ったのかと言えば、大祓の祝詞を上げるたびに嗚咽が出るほど泣いてしまうからだ。ある種の神社に参拝した時も自然に泣いていたりもした。最初は無力感に襲われたけど、次第に憎しみが増し、自分の正義が正しい気持ちになり相手を糾弾しようとした。それは心を強化したけど、心が強くなることとは違った。武装化しただけである。

素人のおいらでもこんな風になるんだから、本物の神職であるノラ神主がひどく攻撃に駆られても今は不思議にも思わない。やるべきこととは敵を撃退することなので、彼の信じる神が「是」であると判断したのであれば、それを否定することはノラ神主には出来ないだろう。神道を諦めるという考えが最初からないんだから。おいらはたまたま20年くらい信じていただけで、残りの30年は別に「神」がいなくても平気な時間を過ごしていただけなのだから・・・。

おいらには神の「是」に従う義務はなかったんだ。それは自分にとって都合が悪かったから。たぶん実力行使に出ても”相手の思い通りにさせない”手段に講じるべきなんだという気持ちに支配されていた時期もある。でもその時がバケモノとのファーストインプレッションではなかったから、自分を殺す覚悟で止めることが出来た。そもそもが、他人の死を美化する感情はおいらにはない。そういう人は自分だけは特別で命を落とすようなバカな真似はしないと思ってる。なんせ神の「是」とは簡単に言うと、外側にある他人事だからだ。しかしそれは必ず自分の中にいるんだよね。

戦わずして負けたのは神の是ではなく、おいらのモラルに基づかれた「負け」だった。別にノラ神主の神やノラ神主の呪詛や才能のせいではなかったんだろう。おいらはおいらの中にあった”神の是”にずっと惑わされてきたんだろうかと思う。おいらもずいぶんと自分に都合が悪いことは差し置いて、絶対的な信条に支配されていたと思う。

日本人から”神道の概念”を取り上げたGHQは先見の明があったんじゃないのかなぁ。しかし人は神を恐れると同時に強く惹かれる傾向にあるのは確かで、今は現世ご利益特にパワースポットとして人を引き寄せている。まあ全国の神社をパワースポットだと紹介してブームを起こした張本人の江原啓之氏は、今になって神職であることを公表してる。昔のプロフィールには記載されていない事だった。

まあフラシーボ効果が奇跡を起こすことはあるだろう。御神木である杉の木に触れると神の神気で病が治ると紹介した。「パワースポット」「御神木」「神の神気」・・・これだけ揃えば信心深い人なら病が改善することはあるかもしれないが、病が消えてなくなることはないだろう。神社の聖域とはその場所のその空間のみに有効な結界であり、縫い留められている。その効力を他で発揮するほどの霊力は宿るはずはない。

昔こんなお願いをした。

「金運を上げてください。但し誰かが死んだりして得るようなお金は要りません」

その帰りに交通事故に遭った。保険金は降りた。願いの代償が自身が被害者である事故だったわけである。金運を上げることがくじ運を上げることではない。金運が上がっても得られた現金が大切な人の死であれば悲しいことだろう。少なくとも授かった金運で得た利益は大切な人と使うのが目的だったりするのだから・・・。何かを得るためには何かを失うことは神の是なのだろう。

どんなに大切な人と引き換えにした利益であったにしろ、そこに神の思惑が働いたなどと人は安全弁があるから神のせいにしない。神のせいにしたら、それは自分の招いた禍いに他ならないからだ。

例えば憎き敵であった米軍の負けを祈ったとしたら、人は引き換えに何を奪われただろう。一人くらいはそれこそ神の神気で米兵を殺せたかもしれない。そしたらその願いは神の是であるから、引き換えに戦争に出ていた家族が戦死したのはやっぱり是であるのかなぁ。例えば早く戦争を終わらせてくださいと祈念しても、戦う兵士がいなくなれば自然と降伏することにもなったから、一億玉砕というのは呪詛そのものであるとも言えるなァ。

無事を祈って帰還したとしても、戦争により心を病んでいるかも知れないし、あなたの願う昔と同じ家族ではないかも知れない。だから祈るべきではないモノに祈ってたことになる。

金運が高まると家族運は無くなるという。それは松井一代さんが証明してる。財を成すごとに愛する相手が遠のいていく。お金があれば本来は幸せなはずなのに、自分の不幸をまるで自分を穢すような呪うような反撃に出た。一度失った相手の心は取り戻せない・・・。なんせ彼女は伊勢信仰者なのだからね。何かを得たら何かを失うのが神道なのである。

神は気まぐれだと云うことである。

でも、その絶対性は原理主義の絶対性とは違う。日本人は神話を聖書のように信じてはいないから、神話を政治に、神話を軍に重ねて託したんだと思う。

神道を信仰していない右派っているんんだろうか?ケント・ギルバートは右翼に寄せているが、別物なんだろう。確かモルモン教徒だったよね。宗教理念が違う人と本来は思想信条で結ばれることはないんだけど、ここにも日本人らしいご都合主義が生かされてる・・・。右翼支持者は原理主義の根本に代わるような絶対性を持つ共有する基本を持つべきだと思うなァ。百田さんみたいなベストセラー作家もいるんだし。決め事がないから本来右翼でない別物のネトウヨが生まれてる訳だし。

今のおいらは神道の絶対的な神性が気色悪いんだと思う。でも嫌っても嫌っても、そう言うのは人の霊性のようにそこらにうじゃうじゃいるからなァ・・・。もういい加減に障って欲しくないんですけどね。身体にもだけど精神的に辛いから。

神に願いは聞き届けられたようだけど、その願いが実現した時に、おいらの「存在」はそこにはなかった。なのにバカ丁寧に願ほどき(お礼参り)までして回った。そんで今でも等価交換で人生を奪われ続けてる。割に合わんよ。もう神は必要ないと思ってるし、今は利息をぼったくられてる気がする。

だから言いたい。それはね、神の不履行である。願いのおれおれ詐欺である。おいらは儀礼通りに尽くしたのに、これでは神の方が利潤を得てて、おいらは損害を受けただけである。等価交換もない。石見地方を元に戻すとは、その願いとは大きく違う。それがか叶えられないのが、おいらの切なる願いだった。増えたんじゃ元通りじゃない。無くなるのが元通りと云うことである。それじゃあ契約違反だよ。神にカモられただけである。

”石見を取り戻せ”ってのは安倍さんらの言う「日本を取り戻せ」=「貴族社会を取り戻せ」とは完全に違うよ。

石見を取り戻せもと云うことは、おいらが損をすることでもあったけど、損はしたけど、見合う対価は支払われていない。だから神が働いたオレオレ詐欺と同じだ。

なのに”神の神気に応えることが出来ずに申し訳ない”など愚かしいほど思い込んでいた。恐怖に屈して真実が見えていなかった。おいらは神に騙された一人でしかない。訴ることが出来ればいいのに(笑)。

日本を取り戻せって誰から?それは国民から。国民主権を奪って封建政治を行いたいと云うことだ。今の「日本」を誰も奪ってはいない。むしろ政治家がアメリカに率先して忖度して奪わせてるだけ。上納金を払ってるだけ。それは国民主権とは関係がないこと。国民から国家の主権を奪ってもアメリカに屈することしか貴族政治家には道がない。だから自国防衛論にふり廻されてはいけないんだ。日本が核を保有することをアメリカは許すはずがない。在日米軍に核を持ち込むことを法制化するだけの事なのである。自国防衛論が本気なら、米軍基地撤退を訴えている沖縄県民を非国民扱いはしないと思うし、あれこれ理由をつけて公的に弄ばないと思う。自国防衛論とアメリカ軍撤退論は同時に語られるべきなのに、識者もそれは論じない。とことんアメリカへの忠誠を尽くす貴族政治は要らないなァ。だから安倍はもう要らない。アメリカに都合が良い国家であることは自国の損益だからである。

軍隊を持ってはいけない国が軍隊を所持していることを世界的に黙認されてるんだから、連合国もそこを指摘していない。だからそこはダブルスタンダードでいいんじゃないのかなぁ。確かに平和主義って偽善っぽいけど、その偽善が72年間の平和を担保していたのは事実だし、基本的人権があるからこそ安倍が非難した「こんな人たち」も検挙されずにいる訳だ。憲法とは国が国を守るためにあるのではない。

憲法とは国から国民を守るためにある。それを勘違いしてはいけないし、そういう為政者を許してはいけない。この人の手法は手品と同じだ。奇跡には種が必ずあることを忘れてはならない。

もしもだけど海外派兵で亡くなった自衛官が靖国神社で合祀されたい意思をもっていたとして、それは「法令に基づかずに」一宗教法人の儀礼・教義に則って合祀すべき問題であって、国民が議論するべきではことではない。信教の自由が認められているんだから、自衛隊員が己の宗教観に伴い、神格化することを望むことを政教分離を原則としてる国が関与すべき問題ではないし、議論に値することではない。

ダブルスタンダードを恥ずかしく思っているのは政治家や官僚だけではないんだろうか。許されているのが堪らない屈辱なんだろうか。いつまでも原爆被爆国であることも耐えがたい苦痛なんだろうか。沖縄を買い取らなければならなかったことも恥ているんだろうか。後方支援に徹して国際的に評価されずに感謝されないことが侮辱的だと思うんだろうか。ドイツはベルリンが焦土と化した時点で降伏した。日本は東京が大空襲に遭っても降伏しなかった。首都が陥落しても大本営さえ落ちなければ国が機能すると盲信した。第二次世界大戦で徹底的に屈辱的に降伏させられたのは連合軍が悪いんじゃなくて、政府や軍が悪あがきしたからだろう。あんな完全で一方的な占領下に置かれた原因を作ったのは、この国の政治判断が間違えていたせいではないんだろうか。

軍隊を持てない国が軍隊を持ってる事実を大目に見て貰ってるのは徹底的な敗戦国だからじゃないと思うんだよね。なにかあると自衛、防衛で、「国」「国」云うけど、それは「国民を守る」ことだから世界は黙認してくれているんじゃないんだろうか。本来ならそんな矛盾を抱えてる日本に対して、中韓が黙っているはずはないが、それを攻撃されることはない。

慰安婦の問題でも韓国人は日本人を責めているんではなくて「国家」を責めていて、日本人が嫌いなわけではないだろう。でも日本人は「韓国」という国家を嫌ってる訳ではなくて、韓国人を相当に嫌っていると思う。国家と国民の比較。それは大きく異なる。慰安婦バスをバカだと思う韓国人はいると思うが、慰安婦バスを恥に思う国家ではないだけなんだよね。徴用工の問題にしても国家間の賠償責任は終わっているが、個人の請求権は奪われていないということは法的に主張は通ることだ。むしろ当たり前の権利を国家が国民を代表して”余計なこと”に口出ししてるに過ぎない。だから文政権や韓国を嫌えばいいのに、個人的に当たり前の権利で裁判を起こす韓国人一人一人を日本人は、もう終わったことなのにと蔑視してる。

おいらの言う韓国の恨とは呪詛文化の事だからね。法的な根拠があることを指摘されるのはしょうがないと思う訳だ。例えば憲法の自衛隊問題”について韓国が憲法違反ではないかと糾弾するのなら、そりゃあ違憲論が噴出してもいいけれど、何故に国内の世論として、自衛隊員が憲法違反だと可哀想だとかいう論点が巻き起こるんだろうか。

東アジアとしては日本に正式な軍隊を持たせたくないから、そういう議論を外から持ちこんでわざわざ憲法を改正させようとは思わない。それなのに自衛隊を軍隊と明記することと、自国防衛を常に天秤にかけている安倍内閣。自衛隊を軍隊と憲法に明記することは自国防衛とは本来無関係な話なんだと思う。自衛隊を軍隊にすることはアメリカ軍の撤退と同時に語られるべき問題じゃないんだろうか。おそらく日本人はずっと共産党の叫ぶ違憲論と、自民党の叫ぶ自衛論の論点をどこかですり替えられている。

要するに戦後も日本を軍事力と言う名の抑止力で抑え込んでいる在日米軍の撤退を想定しない茶番を繰り返してる訳である。だから中国が軍事力強化をするのは東アジアの牽制でも日本への牽制でもなくて、在韓在日米軍への忌避なんだよね。北朝鮮が怖いのも韓国と日本ではなくて在米軍なんだよね。だから日本への攻撃は無力化されてると思った方が早いのだ。日本には優秀な同胞がいる訳だしね。それは日本社会が緩いからであって、法律が悪いからではないと思う。人権はちゃんと守られている正しい社会だぞ。日本人は胸を張るべきである。

永世中立国であるスイスが軍隊を所持しているように、常に矛盾はダブルスタンダードで解決されてる。いまはまだそれでいいと思う。現実的に戦争を美化したり懸想するバカな連中が国家転覆を狙うように軍事力強化でいろいろ武装し始めてる。例えば改憲して戦争が起こる状態に出来たら、アホ保守政治家は絶対に戦争をする。戦争をしないことを頑なに信じているけど、日本人は本来かなり好戦的な人種だと思う。そういう人種だから法律と言う鍵を掛けておいた方が無難だ。

言っとくけど戦争で犠牲になるのは国家ではなく、国民だよ。自衛隊員も国家公務員とは言え、国民だからね。国民の死を軽んじてはいけないし、ちゃんと自衛隊の意見も聴くべきだと思うけどなァ・・・。軍隊としてあるべきなのか、自衛団体としてありたいのか。それは文民統制上は無理なんだけどね。思想背景的には戦前右翼風に近いから、ダメではあるけど。

神道は宗教儀礼であり、召喚術であるだけで、宗教的な要件を満たしていない。神は願い事を叶えないのに、叶えることになっているのも一種の詐欺的行為である。怨霊信仰も頓死に追い込んだ側に不都合が生じた場合のみ行われる罪悪感の回避である。目に目いない災害や疫病が流行ると、それはまず先に御上の責任にされた。だから御上は自身の責任転嫁のために「怨霊」が必要になった。御上の責任が怨霊に転化されるわけだから、御上が怨霊を鎮め祀ることで御上の責任を果たしたことになる。

菅原道真公の怨霊化は死後数十年経ってから、怨霊認定されている。ある意味、御上は神に近い存在だから、御所に落雷が落ちるなど絶対にあってはならなかった。雷神が御殿に禍いしたとするのであれば、すなわち御上が神の怒りを買ってる悪い人物だということにされてしまう。それが貴族にはとてつもない意味があったんだと思う。町人と接点があるのは朝廷ではなく、貴族だったからではないんだろうか。貴族は役人であり、国民を管理する立場だったから。

で、遡って頓死した人物を探し出したら、関連して道真公を追放した貴族が同じころ不審死を遂げている。そして何となく雷神を連想させる件があったからこそ、怨霊として抜擢され評価されたんだと思うぞ。今のインフラ整備に対して田中角栄さんの日本大改造のお蔭だとまず浮かぶ国民の割合も減ってきているが、知らない存在でもない。なるべくして怨霊になったと言うべきかも知れないけど、時の天皇は自己責任を転嫁することで、その責務を逃れ、また責務を全うしても飢饉や流行り病が収まらなければ更なる寄進をすることで、怨霊を更に強いものに変えていった。まあほっておいても災害や疫病は時間が経てば解決される。

道真公死去ー政敵の連続不審死で本来は怨霊認定されるのが筋なんだけど、ちょうどたまたま世間的に都を揺るがすような大事はなかったから、道真公は非業の死を遂げたただの気の毒な人物であるだけなのだ。

道真公の死後から都に禍いが起こるまでの間に政変による頓死した人物がもしいたら神になることはなかっただろう。通常は皇族同士の王位継承権での争いで亡くなった尊人が怨霊となって都に禍いを齎すのが決まり事なんだけど、たぶん矛盾を生んだのだろう。それは皇族一族が死ねば自動的に「祟る」という構図を生んでしまうし、大王が大王になれなかった者を怨霊としてしまう継承権そのものの瑕疵が指摘されてしまう。

天皇家以外の者が王位を継承すれば祟りは起こらないのではないかと言う論調が成り立つ。だから天皇以外の人物が怨霊になることが望ましいとされて行ったんじゃないのかなぁ・・・。しかし時代は変わり、皇族の怨霊信仰は途絶えることもなく、江戸時代にもたくさんの怨霊神となっている。それは徳川家への脅しとしては十分な効果があったんだと思うなぁ。たぶん長い間に皇族は祟る人種として特別視されたんだろう。原因の分からない出来事が街中で起これば妖怪の仕業とされ、城や政治に起きれば天皇の仕業とされた。妖怪なら法力で封じ込めるが、怨霊は祀り鎮め神にしないと祟りは終わらないと考えられてきた。もし現代人の無神論者がタイムスリップして為政者になったら、皇族は滅びていただろうなァ。武家にはとても恐ろしい存在であったことは確実みたいだからね。忠義とは絶対に逆らうことのできない秩序として存在していた。

だから神は怨霊でもあるわけだから、願いに見合う神饌が必要となる。それは人身御供のように命を伴うようなことだった。それに見合う対価もあれば、相応な祟りもあった。おいらのように裏目に出るケースの方が多いんだろう。祟りとは罪悪感の裏返しである。努力せずに得た利益利潤権力富は「ズル」したことになるのかなぁ。別段それは人の持つ運と言う才能なんだけど、そういうモノを持ってしまった者はもれなく神がかりか、ズルしたことになる。ズルして得たら罪悪感が湧くよね。

結局、その人は自身の罪悪感に負けるだけなんだけど、良い時にはソレが神に思え、悪い時には怨霊に見えた。だから願いはかなえられたようでもあり、叶えれなかったようにでもなるんだな。

おいらみたいな奇特な者は、神の神気を美化しすぎて、神が契約を疎かにしたことやまったく無視していたことに心を痛める。本当は神の介在などは気まぐれ程度にしか起こらないのに、起こったことにしないとしないと気が済まなくなる。たぶんおいらは自分で自分を救ったけど、家族が神に救われたように、自身も救われたことにしないと気が済まなかったんだ。実際に捧げた時間や金を考えても、おいらよりも無駄に時間を掛けなかった、金も使わなかった家族は救われてるけど、おいらはその恩恵に預かってはいないんだな。家族がおいらを助けていると考えたら、そこにも神が介在することになるけど、家族はおいらを放置するだけで、別に励ますわけでもなく説教を垂れる訳でもないんで、嫌な役割を放棄してる。おいらが死ななければ正解みたいに思ってる。だとしたら、そこに神は介在していないことになる。

努力しても報われないのは努力が足りなかっただけだと思うし、おいらが社会から弾き飛ばされた時に、おいらはおいらの意思で法的に奴らを裁くべきであった。例えばそれが逆恨みであったとしてもだ。だけどおいらは神と是として考えたから、これから先に希望のようなものが用意されているのではないかと、神に怒るどころか、いい風にあしらってしまった。

おいらに幼少から起きた霊障的なモノはきっと今の神社神道とはまったく無関係なことだったんだろう。たぶんおいらは自身が思い違えたことを心の中でひどく後悔しているから、それを一気に取り替えようとしていたに過ぎない。神社神道における神が人間の味方ではないことを知るまではね。

こういうのは物事の大小によるけど、解釈に法や化学を用いるか、宗教的な材料でエンジンを稼働するか、どちらかでしかない。おいらは信仰と行動を取り違えてしまい・・・と思っていたら、ポリカストーン製の弥勒菩薩の指が弾けとんだ・・・ありゃりゃ。

何が反応して、怒ってんだか(笑)。

だから・・・最終結論として神はおいらの願いなど叶えていないことになるので、契約不履行になるわけである。履行されないのであれば詐欺だな笑。若干私的に利用された部分もあるけど、まあそれはもうチャラでいい。まあ心の中にいたおいらの神性や神の姿は消えてしまった。おそらくもう二度と復活することはないだろう。おいらな望むおいらの願いを寸分違えず叶えてくれない限りはね・・・。

おいらはただ副業で神主してるただの人間に陥れられただけで、そこに呪詛の介在する余地などなかったと言うのが、現実的な答えだろう。たぶんそれでは辻褄が合わないおいらは、おいらの性質上の特性を活かして、自らがそういうモノを呼び込んでしまったんだろう。おいらは家系的には古い神職の末裔に当たるけど、その神社の神と長い間縁もなく、また縁を持っても何も変化が訪れないとしたら、もれなく祟られた訳だから、たいした意味も最初からない。むしろそのお蔭詣りがもっとも物事を複雑化したと言える。

まあ騙された。

思うにもっと上手に騙して欲しかったと言うのが本音である笑。

本当においらの神への信仰は終わったんだと思う。そしておいらの思い込みがノラ神主をスーパー神主として力を与えていたことも同時に終わるのだから、そんで惨めになってもしょうがないね。うだつの上がらない自分自身を庇うためには、スーパー神主としてのノラ神主の役目が与えられていたんだから・・・。あれはただのしょうもない口先男だったんだ・・・。

埒もない・・・。

まあせめて同じような願いを集団で祈願することでは、是としての立場で目的遂行のために悲劇を伴うような手段に出るんだろう。たぶん神とは人間が制御できるようないではないし、英霊という神の立場を他の神々が批准する理由は神側にはないんだよね・・・。たぶん英霊はどこにも行けずに彷徨ってる無数の魂でしかないんだろうなァ・・・。解放してあげたいけどおいら一人では無理だから寄らないでくださいね。本当に疲れます。恨むなら神にしようとした人物の子孫らを恨んでくださいね。そして神もそういう子孫らに禍いを成してくださいね。

気が付いたモノすべてを攻撃対象とするのは是とは認めませんよ。少なくともおいらは与えたものに対する対価自体をなんら受け取っていないのだから・・・。

悲しい話だけど出雲大社の神議りを縁結び会議だとしてるけど、一説には国生み神話の母神とされるイザナミノミコトの法事だと古来は信じられてきた。その名残が出雲地方に残っている。神を迎える日は厳かに粛々と、忌みおむことが義務化されてる。しゃべったり騒いではいけないのだ。もし会議や宴会が目的なら、人間が騒ぐことをむしろ喜ぶべきだろう。忌みおむという行為は、喪に属する考え方である。だから神々は人間如きの縁などは結んだりしません。

むしろ縁結びに出掛けて、縁結びが履行されなかった方がいいくらいですよ。喪中の出会いなんかが幸福をもたらすはずはない。

人の思いが呼び寄せる奇跡はあると思うけど、それはいつだって悲しいことの乗り越えた先にしかないのだから。

まあ、いつもよりもそれまくり。

書いてる本人がなんだかイミフなのでお許しください。
























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