冴えないのはいつもの事だけど、昨日はなんだか暑くて眠れなかった。風の吹いていたし・・・・。
で、この20年とこれからの20年を考えた。
不安というよりは全然未来や将来に対して期待していない自分が居るだけ・・・・。この20年で心を削って成し遂げたものって、今後の人生にあんまりに役に立ちそうもないし、才能もないし・・・・。
で、それなりに「神だ仏だ」の大騒ぎの20年(近々は2年神さままっしぐら)の中で、一度だって、その神気や仏の御力を感じたかというと・・・・ほとんどゼロ。変なモノは視えるし、ありりえないような現状は沢山あったけど、それが「何か」意味があっただろうか考えると、まるで無しだった。期待すれば裏切られるし、頑張れば体調が悪くなるし、努力すればしっぺ返しに会うし、本当に散々な目にあった。でもきっとそれは皆同じようなモノなんだろうけど、つい自分に置き換えると、「神だ仏だ」を信じない人生にすれば良かったとも思う。軽くリターナデイスプレーのimac何台も買えるぞ。それに対する見返りを期待したわけでもなかったけど、ここまでの仕打ちに合うとは夢にも思わなかった。
まあ世話ない事だけど・・・。
でも、どうして「神や仏」を信じたかといえば、それに見合うだけの奇妙で不思議なことばかり起こったからだ。近々だと昨年の10月にTHE穢れみたいな禍々しい黒い鬼みたいなものに襲われたし、殺意を持って刺された。でも生きてる。悪いものが、悪いことが、起こるから反対の力や存在を欲していたんだ。悪があるなら、正義や正しい存在や力もあるのだろうと。でもこれは信じていることとは違うのかと思った。禍々しいモノや呪いを体現したからこそ、神や仏があるのだと思った。でも救ってくれない神や仏をいつまでも信じられるほど、暇じゃない。
悪いモノは本当にいる。でも神は・・・・と、もし今の自分に尋ねる人がいればなんて答えるだろう。思いっきり否定したりしてね。それくらい純粋に神や高位の霊に向き合ってきたんだ。でも、正しい存在に関しては肯定できないかも。二律相反で物事をどうしても考えてしまうから、神や仏がいるような気がするんだろうし、信心が足りないから、届かないような気がして、更に更にとのめり込んだ。恐いから、ただ縋りたかった。一人じゃ怖くて仕方がなかったから。
だから、悪いモノや悪い出来事が先に合って、信じたり信じようとする神や仏ってあまり意味がないんじゃないのかと、昨日眠れずに考えた。。。。。。でもそう心から思うならばちゃんと修業しなきゃいけないし、この場所から去らないといけないと思う。まさに、知り合いの神主に呪われた家に今も住んでいるのだから、精神的に不安定になったり、気が狂いそうになっても当然か。件の神主はヨロシクやっているんだろうし。まあ、おいらが居なければ家の中がヘンに捻じ曲がることもないのだろうし、両親も健やかに暮らせるような気がする。
要はもうラクになりたいんだ。自分にも未来にも期待していないのは、自分の事をよくわかっているからなんだろう。つまらない人間だ。
せめて、心意気だけでも神気や神威を感じられたら嬉しいけど、何もしても変わることはないんだろう。だから神様に対する最後の感謝の印が三つの社なんだ。悪や呪いが存在しないと神を信じることが出来なかった自分へのお詫びと赦しなんだろう。
神の概念っていろいろあって、おいらみたいに甘えた考え方じゃどうしようもないんだろうけど、いろいろ神も在るのならば性根を替えて欲しかったと思う。
生きているのに慣れないとね。死んでるみたいに生きるのはもうたくさんだ。
死にたい病が発生しています笑。
こんなことならば呪う神主Nを呪詛すれば良かった笑。でも子供がいるとか情けをかけるようなおいらには人を呪い殺すなんてしょせん無理だろう。おいらの代わりに神主をやっつけてくれるものがいたとしたら、それは神や仏じゃない。やっぱり悪いモノや呪いなんだろう。それくらいはやってやる自分ならば救われたんだろうなぁ笑。でも、それももう出来ない。
で、この20年とこれからの20年を考えた。
不安というよりは全然未来や将来に対して期待していない自分が居るだけ・・・・。この20年で心を削って成し遂げたものって、今後の人生にあんまりに役に立ちそうもないし、才能もないし・・・・。
で、それなりに「神だ仏だ」の大騒ぎの20年(近々は2年神さままっしぐら)の中で、一度だって、その神気や仏の御力を感じたかというと・・・・ほとんどゼロ。変なモノは視えるし、ありりえないような現状は沢山あったけど、それが「何か」意味があっただろうか考えると、まるで無しだった。期待すれば裏切られるし、頑張れば体調が悪くなるし、努力すればしっぺ返しに会うし、本当に散々な目にあった。でもきっとそれは皆同じようなモノなんだろうけど、つい自分に置き換えると、「神だ仏だ」を信じない人生にすれば良かったとも思う。軽くリターナデイスプレーのimac何台も買えるぞ。それに対する見返りを期待したわけでもなかったけど、ここまでの仕打ちに合うとは夢にも思わなかった。
まあ世話ない事だけど・・・。
でも、どうして「神や仏」を信じたかといえば、それに見合うだけの奇妙で不思議なことばかり起こったからだ。近々だと昨年の10月にTHE穢れみたいな禍々しい黒い鬼みたいなものに襲われたし、殺意を持って刺された。でも生きてる。悪いものが、悪いことが、起こるから反対の力や存在を欲していたんだ。悪があるなら、正義や正しい存在や力もあるのだろうと。でもこれは信じていることとは違うのかと思った。禍々しいモノや呪いを体現したからこそ、神や仏があるのだと思った。でも救ってくれない神や仏をいつまでも信じられるほど、暇じゃない。
悪いモノは本当にいる。でも神は・・・・と、もし今の自分に尋ねる人がいればなんて答えるだろう。思いっきり否定したりしてね。それくらい純粋に神や高位の霊に向き合ってきたんだ。でも、正しい存在に関しては肯定できないかも。二律相反で物事をどうしても考えてしまうから、神や仏がいるような気がするんだろうし、信心が足りないから、届かないような気がして、更に更にとのめり込んだ。恐いから、ただ縋りたかった。一人じゃ怖くて仕方がなかったから。
だから、悪いモノや悪い出来事が先に合って、信じたり信じようとする神や仏ってあまり意味がないんじゃないのかと、昨日眠れずに考えた。。。。。。でもそう心から思うならばちゃんと修業しなきゃいけないし、この場所から去らないといけないと思う。まさに、知り合いの神主に呪われた家に今も住んでいるのだから、精神的に不安定になったり、気が狂いそうになっても当然か。件の神主はヨロシクやっているんだろうし。まあ、おいらが居なければ家の中がヘンに捻じ曲がることもないのだろうし、両親も健やかに暮らせるような気がする。
要はもうラクになりたいんだ。自分にも未来にも期待していないのは、自分の事をよくわかっているからなんだろう。つまらない人間だ。
せめて、心意気だけでも神気や神威を感じられたら嬉しいけど、何もしても変わることはないんだろう。だから神様に対する最後の感謝の印が三つの社なんだ。悪や呪いが存在しないと神を信じることが出来なかった自分へのお詫びと赦しなんだろう。
神の概念っていろいろあって、おいらみたいに甘えた考え方じゃどうしようもないんだろうけど、いろいろ神も在るのならば性根を替えて欲しかったと思う。
生きているのに慣れないとね。死んでるみたいに生きるのはもうたくさんだ。
死にたい病が発生しています笑。
こんなことならば呪う神主Nを呪詛すれば良かった笑。でも子供がいるとか情けをかけるようなおいらには人を呪い殺すなんてしょせん無理だろう。おいらの代わりに神主をやっつけてくれるものがいたとしたら、それは神や仏じゃない。やっぱり悪いモノや呪いなんだろう。それくらいはやってやる自分ならば救われたんだろうなぁ笑。でも、それももう出来ない。
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