みりんの徒然声

日々、感じたことを日記や詩でお届けします

みりんの徒然声 動かぬ期間

2016-10-26 11:24:14 | 日記
今日も孤独な1日が始まるが、やはり太陽のした昨日の文章を読めば白々しい。夜中本棚を漁った。あたしは小説に影響され苦しみ、そしてやはり小説によって救われる。1986年に再販された古い小説の一文があまりにあたしに当てはまるので今日はそれを書こうと思う。宝くじよりも低い確率をまだ望んでしまう馬鹿なあたしに鳴り響いた。この文章を・・・。

19才から23才まで、僕は死んだふりをしていました。と言うより本当に死んでいたと言ったほうがいいのです。機能の壊れた人間は死んでいるのと同じだからです。もちろん、死んでいるのに死んでいると気付かない人間は何かわけのわからぬことをしゃべったり、わめいたり、手足をバタバタさせて暴れたりします。けれども死んでいるのに代わりはありません。そして、言うまでもないことですが、死んでいる人間の唯一の義務は、生きている人間の邪魔にならぬようおとなしく死んでいることなのです。

あたしはこの主人公ほど若くはないがここに来て今、正に死んでいる。甦る日は来るのかな?

他人をまきこんではいけません。
泣いては行けません。
信じてはいけません。
守ってはいけません。
甘えてはいけません。
おびえてはいけません。
期待してはいけません。
やけになってはいけません。
すがってはいけません。
救いを求めてはいけません。
何もしてはいけません。

みりんの徒然声 夜の文章

2016-10-25 22:25:10 | 日記
泣き腫らして頭痛と共に目覚めれば日差しは眩しく、自分の感情が白々しく呆れる。ほら、よく夜に手紙は書くなって言うじゃない?感情が高ぶってるから恥ずかしい文章になるって。朝に文章を読み返せば情けなくて嫌になる。悲劇のヒロインにでもなったつもりか・・。大体にして世界の果て、なんてないよ。月の真下位遠い。あったとしたって福島からさえ出られないあたしが行けるはずもない。白々しくて別な意味で泣ける。何もかも上手く行かないのも、誰も話す人がいないのもあたしが悪いんじゃないか。寂しくたってあたしが誰かと居れる確立は本当に宝くじ当たるより可能性がない。白々しい。昨日泣いた感情に任せて久しぶりに切り裂いた傷痕さえあたしを笑う。世界の果て、ねーよ、そんなもん。明日も明後日も一人だ。この年になって仕事に行っても話す人もいないなんてお笑い草だ。救いなんてないよ、自分次第だもの。夜になると感情的になるあたしと昼間白々しく自分を眺めるあたし、落差がありすぎて面倒くさい。あー誰かと一緒にいたい。宝くじ以上の確立を以て

みりんの徒然声 世界の果て

2016-10-24 22:35:11 | 日記
世界の果てって何処だろう?真剣に考える。何もかも上手く行かなくてあたしは世界の果てに思いを寄せる。最近具合の良くない母親。何とか上手く接しなくてはと思うが母親の口から出るのは専らあたしと居たくないというひりひりとした愚痴だ。子供と温泉に行ってみたかった、なのにタトゥーが入っている、と今更ながらに言われると何も言えない。それでも一人になりたくはない。身近な人の死をもう味わいたくはない。避けては通れないと知りながら、いっそ先に死んでしまえばいいのに、と思うあたしは傲慢だろうか?生きている価値、なんだろう?あたしは誰も幸せにしていない。仕事に行っても話す人もいない。何か始めたくて文章を書いてみるが、大体にして文章を、書くという行為は感情を剥き出しにするのと似ていてもう何も考えたくないから無感情になりたいのに神経が剥き出しになって、虫歯みたいに痛む。ひりひり、ひりひり。こんなあたしでごめんなさい、呟いて部屋に籠っても居候の肩身の狭さは消えない。せめて、母親に感情を出さないように、迷惑かけないように、と噛み締める手に力を込める。あたしはどうしたらいいのだろう?世界の果てに行きたい。もう何も考えたくない。たまたま買った小説の主人公が風邪薬を100錠飲んで病院に運ばれた。あたしの手元には風邪薬の他に睡眠薬も沢山ある。ODする気持ちも湧かないが飲んだら世界の果てに行けるだろうか?此処のところ落ち着かなくて自分の心臓の音がうるさくて聞きたくなくて、寝逃げしてしまう。それがまた母親の逆鱗に触れる。最近上手く距離を持てていたように感じていたのはあたしだけだった。何もいらない。もう我がまま言わないよ。だからどうか世界の果てにつれて行って。そしてもう戻れなくていいよ。何も出来ないんだ。もう。あたしの世界を、終わらせて。

みりんの徒然声 揺れる感情

2016-10-23 18:03:13 | 日記
最近また地震が増えてきて、あたしの感情もゆらゆら揺れる。たくさんの人の悲鳴が聞こえるようで、でもなんでかあたしまで悲鳴を上げてしまう。世の中にはもっと大変な人がいる、生きているだけ感謝しなさい。分かってはいる。だけど人の数だけ悲しみはあると思う。あたしの甘えを正当化するなら、悲しみに大小もないし、悲しいものは悲しいでいいではないか?寒くなるとますます震災当時に気分が帰る。それに加え最近の日本の地震の多さだ。あたしの感情は揺れる。嫌だ嫌だと首を降る。そんなことしたって失ったものは戻って来ないし、あたしが死ねばよかったのに、と思うのも傲慢な気がする。あたしはいつまで悲しむのだろう?悲しみを言い訳にしていないだろうか?どうしたらいいのだろう。

みりんの徒然声 昔見た夢

2016-10-21 21:00:27 | 日記
仕事中、ふいにフラッシュバックのように学生時代に
見た夢を思い出した。あたしは大学を出たら結婚すると思っていた。あたしは家庭を持って、家事の合間に童話を書く、そう、作家さんになりたかった。だから文系の大学に行ったんだ。いつの間にか仕事に終われ、寺山修司さん曰く、二十歳過ぎたらただの人、じゃないが仕事さえも失敗してこんな風に生きる気力もなく、あたしの感性はどんどん鈍くなっていく。つまんないことばかり気になって、あとは逃げるようにただ、眠くて。また文章書きたいなあ。なんも思い浮かばないけど。そしてバカみたいに眠い。本当になんでこんなに眠いんだろう?不眠症に、悩んでいたの嘘ね、本当に。何か始めたくてノートを広げれど眠い。どうしたら作家さんになれるかな?まあ才能か・・。