日露戦争に関わる石碑で、沖縄は第2次大戦に関わるものが
多いと思っていたが、他の戦争にも出兵していたんだ。
日本軍屋嘉捕虜収容所跡の碑
第二次世界大戦中(昭和20年)米軍はこの地に捕虜収容所を設け、投降した日本軍将兵約7000人を収容して厳しい監視下におかれた。
一時捕虜の数が増え約3000人がハワイに移送された。
その時の将兵等はP.Wと呼ばれ敗戦の悲哀の中から強度出身の一兵士により「屋嘉節」が作られた発祥の地でもある。
この収容所は1946年(昭和21年2月)閉鎖となり米軍保養所となって1979年(昭和54年)8月31日全面返還されるに及んだ。