雨の心配もなく開催されました。
入口では演奏でお迎えです。
中でも演奏です。
昨年よりも品も多いが人も多かった。
場所は首里城の継世門を出発して住宅の間を進むと酒造会社の看板があり、この酒造
通りは直線道路になっており王家御用馬場跡でした。崎山公民館辺りから右の路地に
入ると石畳をモチ-フにした舗装が道中を案内してくれます。
文化財(市指定有形民俗文化財)指定年月日:昭和61年6月25日
御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)(別称東苑)は国王が遊覧され、外国の使臣を招いて宴などが開かれた王家の別荘で『南島風土記(なんとうふどき)』(1950年)には、前川家家譜によると、1677年(康煕16)年、伊舎堂親方守浄(いしゃどうウェーカタしゅじょう)が普請奉行(ふしんぶぎょう)となり、建設されたと記されている。玄関前約40mの岩陰にあった石造獅子も、同じころにつくられたと考えられている。しかし沖縄戦によって破壊され、1979(昭和54)年に戦前の写真をもとにして修復され、今日に至る。石造獅子は冊封使汪楫(さっぽうしおうしゅう)が初めて紹介し、周煌の『琉球国志略』(1756年)には、「山の岩に『霛』(れい)の字のような梵字を掘り込み、石獅子がその下の岩陰に座っている。下には小さな四角い池があり、石でつくられた龍の口から、水が激しく湧き出てくる。その池の中には金魚が飼われている。前にはたくさんの竹が、後ろには古い松が数十株もあって、それらに趣があって美しい」と記され、石造獅子とその周りの情景を伝えている。もと石造獅子のあった岩陰は、がけ崩れの恐れが生じたため現在地(雨乞嶽側)に移してある。
文化財(市指定史跡)指定年月日:昭和51年4月16日
首里台地の東端の丘に御嶽(ウタキ)。昔、干ばつの時に国王がこの御嶽で雨が降るのを祈ったので雨乞嶽と呼ばれている。クロツグ(方言名マーニ)の生えた小さな丘(標高132.9m)を低い石垣で丸く囲み、北向きに門構えの祭壇がつくられ、石の香炉が置かれている。御嶽のすぐ東側には「御茶屋御殿(ウチャヤウドゥン)」と呼ぶ王家の別荘があった(現カトリック教会敷地)。さらに1kmほど東方には弁ケ嶽が眺められ、御嶽の北西方には首里城がそびえたっている。1683(康煕22)年に琉球に来た尚貞(しょうてい)王の冊封使汪楫は、雨乞嶽一帯の眺望をほめて「中山第一の勝境(しょうきょう)たり」と『使琉球雑録(しりゅうきゅうざつろく)』(1683年)に記している。また雨乞嶽については「閣(かつ)(御茶屋御殿)下(か)に土一丘(つちいっきゅう)あり、形覆盂(けいふくう)の如し、これ雩壇(うだん)(=雨乞嶽)たり」と記している。