goo blog サービス終了のお知らせ 

新一生青年が!

日常の日記です。

真地大権現堂

2020-11-22 16:59:56 | 日記

                              

                                        墓団地?の一角にあります。

 

 

 

                        

                                    これだけ見ると神社にも見える。

 

                             

 

 

                             

 

 

                        

 

 

                             

 

                             

                        

 

 

                             

 

                             

                        

 

 

                             

                                   右側の灯篭の上が無くなっていた。

 

 

                        

                                    わからない。(読めない)

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                        

                             

 

 

                             

 

 

 

                        

                         屋根が設置されていたが、かなり劣化していた。トタンも数枚しか残っていなかった。

 

 

 

                        

                            洞窟の中にある石が神体だそうです。ここは資料などがない。

                          文献で調べてから現地に行くタイプではないので、行ってから調べるタイプです。

                            


浦添ようどれ

2020-11-22 08:19:50 | 日記

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

 

                       

 

 

 

                       

 

 

 

                       

浦添城(沖縄県浦添市)の北側の崖の中腹にある初期琉球王国中山王陵(ちゅうざんおうりょう=中山王の陵墓)で国の史跡になっているのが浦添ようどれ。「ようどれ」とは夕凪(ゆうなぎ)を指す琉球語で、極楽という意味も有しているのです。浦添ようどれには英祖(えいぞ)王と尚寧(しょうねい)王の陵墓があります。

沖縄の歴史上実在するであろう最初の中山王、舜天王統の3代目義本が即位したのは1249年44歳のとき。この時代には運悪く沖縄に大飢饉、疫病が蔓延し死者が多数出たので、やさしいく責任感の強い王は自らの徳の無さが原因だとと思い王政を任せる摂政を探し始めました。家臣達は天孫氏の末裔で、母親が太陽を宿す夢を見て懐妊したといわれ、幼い時にはテダコ(太陽の子供)と呼ばれた英祖を推しました。
彼が摂政になって数年のうちに災厄は無くなり民心も彼を慕うようになると、義本王は54歳の時に自ら王位を彼に譲り、城を抜け出して一人で立ち去りました。 これが英祖王統の始まりです。
その英祖王統の墓が浦添に作られ、ようどれ(夕凪・死者の世界)と呼ばれました。なぜ浦添の地かといいますと、 多分このあたりが古琉球の首都だったと推測されているので、その中心からも近い場所だったと思われます。
時代が過ぎて第二尚氏王統7代目の尚寧王も、ここに眠っています。