今日は寒いですね。
夜には雪も降るかもしれないとか。
積もるかな。
寒さと積雪、注意しましょうね。
これから書くことはとっても個人的なことです。
あくまで記録として残しておきます。
話しかけるかたちで書いてますが
そのほうが書きやすいので。
あくまでひとりごと。
単なる個人的な日記、つぶやきなので
お気になさらずスルーしておいてください。
約4年ぶりに福岡に帰ってきました。
17日に知らせを受けましたが
空港まで遠いのでなかなかいい便がとれず
翌日に落ち着いて出発することにしました。
雨の予報はでてなかったはずなのに
福岡空港着いたらしっかり雨でした。
で、困ったのが福岡空港からの足。
今までは近くのバス停までのバスがあったのが
なくなっちゃってたのです。
これはかなりショック。
今までバスで天神とかにも行っていたのに
バス停がなくなり気軽に天神にも行けなくなりました。
しかたないので地下鉄に乗って博多駅までいってそこから電車でした。
ひさびさに空港線、乗りましたね。
昔は空港の近くに住んでいたので天神やら博多駅まで出るときにはこの路線を使ってました。
福岡空港が始発だったので座れて便利だったんですよね。
といっても二駅くらいであっという間に博多駅に着くんですが。
懐かしい路線です。
でも福岡空港、すごくきれいになってましたね。
前回帰省したときはまだいろいろと整備してる途中だったのですが。
数年経ってかなりきれいになってました。
なんとか博多駅から近くの駅まで到着しました。
懐かしさとさびれてしまった駅前の風景にさびしさを覚えつつ
タクシー乗って向かいます。
自宅ではなく、直接葬儀場です。
葬儀場に着いてからいろいろと打ち合わせして段取りを決めていきます。
母は少し混乱していて何も決められない状態。
そして妹。
妹・・・。
これがですね・・・。
まさかの。
本当にまさかのですが、
前日にコロナの陽性反応がでたらしく外出厳禁。
誰よりも父のことを面倒見てくれて
病院やら介添えやらいろいろしてくれていたのに
最後の最後でこんなことに・・・。
看取ることも葬儀にも参列できず
その心痛のほどを慮ると本当に胸が痛い・・・。
誰よりも誰よりも父のことを見送ってやりたかったろうに・・・。
ちなみにコロナの症状はひどくなく、
職場でかなり感染者が増えていたため
念のために毎日チェックをしていて
ずっと陰性だったのですが
亡くなる前日に陽性反応がでてしまったようです。
本人はのどの痛みが少しと咳が少し。
熱は37.5度が一度出ただけであとは平熱だったそうです。
なので症状は軽かったようで本当によかったです。
ということで喪主は母なのですが
実際に動かないといけないのは私なわけで・・・。
全責任、私・・・?
とにかくバタバタでした。
まずはお寺さんを決めることから。
父は無宗教。
でもやっぱりお経はあげてもらいたい、と母。
お寺さんとのつながりもまったくなく・・・。
式場の人が親身になってアドバイスしてくれます。
お寺関係の話、まったくわかりませんが
式場の人はプロなので。
そして父方の本家が昵懇にしているお寺があるらしく、
そこのツテを頼ってみてはどうか、と。
お寺自体は少し遠いところにあるので
同じ宗派で、近くにある別のお寺を紹介してもらうのもいいのでは?と
式場の方が交渉してくれることになりました。
で、ご住職がとってもいい方で気さくで
費用のこととか気にせずこれもご縁だから、と
いろいろと引き受けてくれて、
本家のこともいろいろと知っているので
本家のお寺さんにお願いすることにしました。
母は足が悪くて頻繁にお参りすることもできないことを気にしていましたが
「全然気にせず今はお寺とのつきあいもそんなに深くやってるところはない」、とのことで
安心したようです。
ちなみに本家の方も今は最低限のことしかやってないようです。
住職さんの方言を聞いているととても懐かしく、
こっちに帰ってきたんだなぁと実感しました。
お寺さんと言えば費用はたいてい「お気持ちで」という非常に難しい金額の提示をされるのですが
こちらのお寺さんはお気持ちだと難しいだろうから、とちゃんと金額を提示してくれました。
これはありがたいです。
ちなみにお寺さんは日蓮宗です。
真言宗や禅宗だったら少しはなじみがあったのですが
日蓮宗は初めてですね。
「南無妙法蓮華経」を大事にする宗派というのは知っていましたが。
お寺さんが決まったので
無事にお通夜と告別式の日時も決まりました。
翌日がお通夜でその翌日が告別式です。
家族葬です。
本当に身内だけのちっちゃなお葬式。
派手でおおがかりな式は父も望んでないだろうし、
身内だけで静かに心から見送られたいだろうし。
身内には父の弟である、叔父がいろいろと連絡をとってくれました。
父は男ばかりの5人兄弟。
ずいぶん昔、若くして長男(本家)は亡くなりました。
父は次男です。
三男は数年前に亡くなりました。
なので残ったのは四男五男だけになりました。
ちなみに四男五男は双子です。
双子、そろうのひさびさに見ました~。
私たち自体が父方の親戚筋と会うことはあまりなかったので。
やはりそっくり!
双子あるあるのお話もしてくれました。
そしてやはり父にも似てますね。
父と双子は祖父似なのかな。
ちっちゃくて白髪の雰囲気もよく似てました。
ちなみにのび太くん系です。
長男と三男は雰囲気が違っていてどちらかというとモテ系でしたね。
その三男の息子さん、つまり私にとっていとこにあたるのですが
初めて会いました。
私とはたしか年齢が一回り以上違うかと思うのですが
名前だけはよく聞いていて実際に会うのは今回が初めて。
本人はずいぶん昔にあったことがある、と言ってましたが
私はまったく記憶にありません・・・。
会ったとしても本人はまだ子どもだったかと思うのだけど。
このいとこがとってもいい人でした。
出張でどうしても葬儀には参列できないから、と
お通夜の前日にお線香をあげにきてくれました。
そして父の遺影さがしを手伝ってくれました。
「おいちゃん」「おいちゃん」ということばに懐かしさを感じました。
そういえばおじちゃんのことをおっちゃんでもおじちゃんでもなく
「おいちゃん」と呼ぶのは方言なのかな~。
そういえば私も子どものころ、おじさんのことを「おいちゃん」って呼んでましたね。
お通夜の前日、お寺さんが枕経をあげにきてくれました。
自分で栄養もとれず、最後は点滴ばかりだった父。
やせ衰えて、それこそ皮と骨だけのような感じ。
生前最後に会った時とはくらべものにならないくらい別人のような父の姿でした。
ふだんから病院に面会に行っていた妹は
「(私が父に)会ったら絶対に泣くよ」と言っていたので
かなりやせてるのだろうな、とは思っていましたが想像以上でした。
約1年ほど入院していました。
認知症なのか精神を少し病んでいたのかわかりませんが
ときどき変なことを口走っていたようです。
徘徊も1,2度あってとても心配してました。
そしてよく熱を出してました。
なので入院していたのですが。
入院中に肺炎も起こしたりして
何度も危険な状態になりました。
そのたびにただただひたすら祈りました。
祈ることしかできないから。
そのたびにいのちはとりとめますが
やはりだんだんと弱っていきます。
衰えていくカラダに魂だけがのっかっていてもただつらいだけなのかもしれない。
ずっと生きていてほしいですが
それはどだい無理な話。
だったらもう重たい肉体から解放してあげたほうがいいのかもしれない。
日々葛藤です。
祈りの内容を変えたほうがいいのかもしれない・・・。
亡くなる二日前に妹から連絡があって
大動脈解離を起こしたことを知らされました。
生きていてほしいけれど
やはり苦しみから解放されてほしい、葛藤のまま祈りました。
お導きのままに。
1.17。
容態が急変したと母に病院から連絡があったそうです。
病院に到着した母。
「奥さんがこられましたよ」と先生。
すると1分もたたず、
大きくひとつ息をついて旅立ったそうです。
母のことを待っていたのですね。
土曜に東京に戻ってきました。
帰省中は忙しくて考えることがたくさんで
眠ることすらほとんどできませんでした。
やっと昨日泣くことができました。
泣けなかったのは実感がなかなかわかなかったというのもあるし、
何よりも「輪廻転生」を信じていたからということだったのでしょうね。
きっとまた会える。
何よりも私の見ていた夢がきっと本当のことだと思えたから。
父の入院中に何度か父の夢を見ました。
そのことを妹に話すと
私の名前を呼んだり、私のことを話していたらしいです。
だからきっと魂の世界ではつながっているんだと思うことができました。
そして亡くなる日の朝に見た夢、あれも本当のことだと思えます。
そして長女がまだ子どもだった頃、
父は長女のお腹をさすりながら
「じいじは生まれ変わったら〇〇の子どもに生まれてくるけんね~。」とうれしそうに言ってました。
呪文のように今でもそのことば、頭に浮かんできます。
きっと長女の子どもとして生まれ変わってくるのでしょう。
いや、生まれ変わってくるの早すぎだし、
またこの世で修行するのタイヘンだし、ってツッコミたいですが。
今はなんとなく何もする気が起きません。
おそらくこれが「けがれ=気枯れ」の状態なのでしょうね。
記憶もところどころ抜けてます。
おそらくふつうの状態じゃないんでしょうね。
頭ではふつうのつもりでも。
でもやがていつもの日常に戻っていくのでしょうね。
家事や仕事をふつうにやっていってると。
でも仕事も家事もやってない母はちゃんと日常に戻れるのか、
今はひたすらそれが心配です。
葬儀中や葬儀後、バタバタと忙しいのはかえってありがたいのかもしれませんね。
やることがあるというのは。
法事があるのは故人のためでもありますが
生きている人たちのためでもあるのかもしれませんね。
今は父のために「南無妙法蓮華経」と唱えてあげようと思います。
私以上に生粋の方向音痴なので。
霊山浄土への道を照らすために。
でもなー、教えても別方向に行っちゃうもんな~。
ゼッタイ迷ってそう。
夜には雪も降るかもしれないとか。
積もるかな。
寒さと積雪、注意しましょうね。
これから書くことはとっても個人的なことです。
あくまで記録として残しておきます。
話しかけるかたちで書いてますが
そのほうが書きやすいので。
あくまでひとりごと。
単なる個人的な日記、つぶやきなので
お気になさらずスルーしておいてください。
約4年ぶりに福岡に帰ってきました。
17日に知らせを受けましたが
空港まで遠いのでなかなかいい便がとれず
翌日に落ち着いて出発することにしました。
雨の予報はでてなかったはずなのに
福岡空港着いたらしっかり雨でした。
で、困ったのが福岡空港からの足。
今までは近くのバス停までのバスがあったのが
なくなっちゃってたのです。
これはかなりショック。
今までバスで天神とかにも行っていたのに
バス停がなくなり気軽に天神にも行けなくなりました。
しかたないので地下鉄に乗って博多駅までいってそこから電車でした。
ひさびさに空港線、乗りましたね。
昔は空港の近くに住んでいたので天神やら博多駅まで出るときにはこの路線を使ってました。
福岡空港が始発だったので座れて便利だったんですよね。
といっても二駅くらいであっという間に博多駅に着くんですが。
懐かしい路線です。
でも福岡空港、すごくきれいになってましたね。
前回帰省したときはまだいろいろと整備してる途中だったのですが。
数年経ってかなりきれいになってました。
なんとか博多駅から近くの駅まで到着しました。
懐かしさとさびれてしまった駅前の風景にさびしさを覚えつつ
タクシー乗って向かいます。
自宅ではなく、直接葬儀場です。
葬儀場に着いてからいろいろと打ち合わせして段取りを決めていきます。
母は少し混乱していて何も決められない状態。
そして妹。
妹・・・。
これがですね・・・。
まさかの。
本当にまさかのですが、
前日にコロナの陽性反応がでたらしく外出厳禁。
誰よりも父のことを面倒見てくれて
病院やら介添えやらいろいろしてくれていたのに
最後の最後でこんなことに・・・。
看取ることも葬儀にも参列できず
その心痛のほどを慮ると本当に胸が痛い・・・。
誰よりも誰よりも父のことを見送ってやりたかったろうに・・・。
ちなみにコロナの症状はひどくなく、
職場でかなり感染者が増えていたため
念のために毎日チェックをしていて
ずっと陰性だったのですが
亡くなる前日に陽性反応がでてしまったようです。
本人はのどの痛みが少しと咳が少し。
熱は37.5度が一度出ただけであとは平熱だったそうです。
なので症状は軽かったようで本当によかったです。
ということで喪主は母なのですが
実際に動かないといけないのは私なわけで・・・。
全責任、私・・・?
とにかくバタバタでした。
まずはお寺さんを決めることから。
父は無宗教。
でもやっぱりお経はあげてもらいたい、と母。
お寺さんとのつながりもまったくなく・・・。
式場の人が親身になってアドバイスしてくれます。
お寺関係の話、まったくわかりませんが
式場の人はプロなので。
そして父方の本家が昵懇にしているお寺があるらしく、
そこのツテを頼ってみてはどうか、と。
お寺自体は少し遠いところにあるので
同じ宗派で、近くにある別のお寺を紹介してもらうのもいいのでは?と
式場の方が交渉してくれることになりました。
で、ご住職がとってもいい方で気さくで
費用のこととか気にせずこれもご縁だから、と
いろいろと引き受けてくれて、
本家のこともいろいろと知っているので
本家のお寺さんにお願いすることにしました。
母は足が悪くて頻繁にお参りすることもできないことを気にしていましたが
「全然気にせず今はお寺とのつきあいもそんなに深くやってるところはない」、とのことで
安心したようです。
ちなみに本家の方も今は最低限のことしかやってないようです。
住職さんの方言を聞いているととても懐かしく、
こっちに帰ってきたんだなぁと実感しました。
お寺さんと言えば費用はたいてい「お気持ちで」という非常に難しい金額の提示をされるのですが
こちらのお寺さんはお気持ちだと難しいだろうから、とちゃんと金額を提示してくれました。
これはありがたいです。
ちなみにお寺さんは日蓮宗です。
真言宗や禅宗だったら少しはなじみがあったのですが
日蓮宗は初めてですね。
「南無妙法蓮華経」を大事にする宗派というのは知っていましたが。
お寺さんが決まったので
無事にお通夜と告別式の日時も決まりました。
翌日がお通夜でその翌日が告別式です。
家族葬です。
本当に身内だけのちっちゃなお葬式。
派手でおおがかりな式は父も望んでないだろうし、
身内だけで静かに心から見送られたいだろうし。
身内には父の弟である、叔父がいろいろと連絡をとってくれました。
父は男ばかりの5人兄弟。
ずいぶん昔、若くして長男(本家)は亡くなりました。
父は次男です。
三男は数年前に亡くなりました。
なので残ったのは四男五男だけになりました。
ちなみに四男五男は双子です。
双子、そろうのひさびさに見ました~。
私たち自体が父方の親戚筋と会うことはあまりなかったので。
やはりそっくり!
双子あるあるのお話もしてくれました。
そしてやはり父にも似てますね。
父と双子は祖父似なのかな。
ちっちゃくて白髪の雰囲気もよく似てました。
ちなみにのび太くん系です。
長男と三男は雰囲気が違っていてどちらかというとモテ系でしたね。
その三男の息子さん、つまり私にとっていとこにあたるのですが
初めて会いました。
私とはたしか年齢が一回り以上違うかと思うのですが
名前だけはよく聞いていて実際に会うのは今回が初めて。
本人はずいぶん昔にあったことがある、と言ってましたが
私はまったく記憶にありません・・・。
会ったとしても本人はまだ子どもだったかと思うのだけど。
このいとこがとってもいい人でした。
出張でどうしても葬儀には参列できないから、と
お通夜の前日にお線香をあげにきてくれました。
そして父の遺影さがしを手伝ってくれました。
「おいちゃん」「おいちゃん」ということばに懐かしさを感じました。
そういえばおじちゃんのことをおっちゃんでもおじちゃんでもなく
「おいちゃん」と呼ぶのは方言なのかな~。
そういえば私も子どものころ、おじさんのことを「おいちゃん」って呼んでましたね。
お通夜の前日、お寺さんが枕経をあげにきてくれました。
自分で栄養もとれず、最後は点滴ばかりだった父。
やせ衰えて、それこそ皮と骨だけのような感じ。
生前最後に会った時とはくらべものにならないくらい別人のような父の姿でした。
ふだんから病院に面会に行っていた妹は
「(私が父に)会ったら絶対に泣くよ」と言っていたので
かなりやせてるのだろうな、とは思っていましたが想像以上でした。
約1年ほど入院していました。
認知症なのか精神を少し病んでいたのかわかりませんが
ときどき変なことを口走っていたようです。
徘徊も1,2度あってとても心配してました。
そしてよく熱を出してました。
なので入院していたのですが。
入院中に肺炎も起こしたりして
何度も危険な状態になりました。
そのたびにただただひたすら祈りました。
祈ることしかできないから。
そのたびにいのちはとりとめますが
やはりだんだんと弱っていきます。
衰えていくカラダに魂だけがのっかっていてもただつらいだけなのかもしれない。
ずっと生きていてほしいですが
それはどだい無理な話。
だったらもう重たい肉体から解放してあげたほうがいいのかもしれない。
日々葛藤です。
祈りの内容を変えたほうがいいのかもしれない・・・。
亡くなる二日前に妹から連絡があって
大動脈解離を起こしたことを知らされました。
生きていてほしいけれど
やはり苦しみから解放されてほしい、葛藤のまま祈りました。
お導きのままに。
1.17。
容態が急変したと母に病院から連絡があったそうです。
病院に到着した母。
「奥さんがこられましたよ」と先生。
すると1分もたたず、
大きくひとつ息をついて旅立ったそうです。
母のことを待っていたのですね。
土曜に東京に戻ってきました。
帰省中は忙しくて考えることがたくさんで
眠ることすらほとんどできませんでした。
やっと昨日泣くことができました。
泣けなかったのは実感がなかなかわかなかったというのもあるし、
何よりも「輪廻転生」を信じていたからということだったのでしょうね。
きっとまた会える。
何よりも私の見ていた夢がきっと本当のことだと思えたから。
父の入院中に何度か父の夢を見ました。
そのことを妹に話すと
私の名前を呼んだり、私のことを話していたらしいです。
だからきっと魂の世界ではつながっているんだと思うことができました。
そして亡くなる日の朝に見た夢、あれも本当のことだと思えます。
そして長女がまだ子どもだった頃、
父は長女のお腹をさすりながら
「じいじは生まれ変わったら〇〇の子どもに生まれてくるけんね~。」とうれしそうに言ってました。
呪文のように今でもそのことば、頭に浮かんできます。
きっと長女の子どもとして生まれ変わってくるのでしょう。
いや、生まれ変わってくるの早すぎだし、
またこの世で修行するのタイヘンだし、ってツッコミたいですが。
今はなんとなく何もする気が起きません。
おそらくこれが「けがれ=気枯れ」の状態なのでしょうね。
記憶もところどころ抜けてます。
おそらくふつうの状態じゃないんでしょうね。
頭ではふつうのつもりでも。
でもやがていつもの日常に戻っていくのでしょうね。
家事や仕事をふつうにやっていってると。
でも仕事も家事もやってない母はちゃんと日常に戻れるのか、
今はひたすらそれが心配です。
葬儀中や葬儀後、バタバタと忙しいのはかえってありがたいのかもしれませんね。
やることがあるというのは。
法事があるのは故人のためでもありますが
生きている人たちのためでもあるのかもしれませんね。
今は父のために「南無妙法蓮華経」と唱えてあげようと思います。
私以上に生粋の方向音痴なので。
霊山浄土への道を照らすために。
でもなー、教えても別方向に行っちゃうもんな~。
ゼッタイ迷ってそう。
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