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アーユルヴェーダのお勉強

独学でアーユルヴェーダ

心の状態〜タマス〜

2017-04-08 06:44:43 | 基礎勉強
アーユルヴェーダでは、気質を望ましいもの、つまりサットヴァ<純質>と望ましくないものとに分けています。
望ましくない気質はさらに、ラジャス<激質>とタマス<惰質>とに分けています。
私たちはだれでも、よい気質と悪い気質の両方をもっていますが、サットヴァ、ラジャス、タマスのどれを多くもっているかによって、つぎのグループに分けることができます。


タモーブーイシュタまたはターマシカ<タマス型人格>

タマスで満たされている人という意味で、このタイプの人は、知性が低く、気分が沈んでいて、無精しやすい人です。
ちょっとした心労にも、すぐへこたれます。このタイプに共通の特徴は、昼日中でもよく眠気を感じるということです。
なにをするにも一番楽な方法をとり、食べて、飲み、眠り、性行為に身をゆだねる生活に明け暮れています。
貪欲で、短気で、他人への思いやりがありません。
自分の利益のために他人を傷つけることさえあります。
このタイプの人は<精神分析用語で表現すると>、自我(エゴ)や超自我<自我を監視する無意識的良心>よりもイド<本能的衝動の源泉>が強いのです。
ターマシカ人格には、パーシャヴァ<動物型>、マーツヤ<魚型>、ヴァーナスパトヤ<植物型>の三つがあります。


(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



ラジャス的な人格もタマス的な人格も、嫌な人格です…

サットヴァ、ラジャス、タマスの三つを”トリ・グナ”(三つの性質)と呼ぶそうです。

心の状態〜ラジャス〜

2017-04-07 06:50:17 | 基礎勉強
アーユルヴェーダでは、気質を望ましいもの、つまりサットヴァ<純質>と望ましくないものとに分けています。
望ましくない気質はさらに、ラジャス<激質>とタマス<惰質>とに分けています。
私たちはだれでも、よい気質と悪い気質の両方をもっていますが、サットヴァ、ラジャス、タマスのどれを多くもっているかによって、つぎのグループに分けることができます。


ラジョーブーイシュタまたはラージャシカ<ラジャス型人格>

ラジャスで満たされている人という意味で、このタイプの人は、利己的で、尊大で、野心家で、他人に威張りちらします。
うるさいほどしゃべり、よく動きまわるのですが、その行動には計画性がなく、目的がはっきりしません。
精神力は、サットヴァブーイシュタ<サットヴァで満たされている人>ほど強くありません。
この型の人の人格を支配しているのは、怒り、喜び、愛着、嫉妬などの感情です。
そして、感情の爆発を起こしやすく、精神的エネルギーを浪費するので、毎日八時間の睡眠を欠かせません。
自分の楽しみを妨害されると、落ち着きも我慢もなくしてしまいます。
自分にとって都合のよい人にだけ親切で、友好的で、忠実です。
この型の人は、イドや超自我より、自我(エゴ)が強いのです。
ラージャシカ人格には、アースラ・ラークシャサ<悪霊型>、サールパ<蛇型>、シャークナ<鳥型>の三つがあります。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



例によって、アースラ・ラークシャサ<悪霊型>、サールパ<蛇型>、シャークナ<鳥型>の説明が無いです。

”アースラ”をネットで調べてみますと、”アスラ”すなわち、阿修羅だそうで、”ラークシャサ”は羅刹天だそうです。仏教ではどちらも神様ですが、古代インドでは魔族としてとらえられていたようです。

”サールパ”は全然分かりませんでした…

”シャークナ”もよく分からなかったのですが、”シャクナ・ヴィマナ”という神様の空飛ぶ戦車なのかな…?飛んでるし、鳥?

前回の記事で出てきた、”イド”と”エゴ”ですが、1ページ前のタマスの説明の中に記載がありました…汗

なので、次回タマスの記事ご参照ください。(でも詳しく書いてないので分かるような、分からないような…です)

心の状態〜サットヴァ〜

2017-04-03 09:20:54 | 基礎勉強
アーユルヴェーダでは、気質を望ましいもの、つまりサットヴァ<純質>と望ましくないものとに分けています。
望ましくない気質はさらに、ラジャス<激質>とタマス<惰質>とに分けています。
私たちはだれでも、よい気質と悪い気質の両方をもっていますが、サットヴァ、ラジャス、タマスのどれを多くもっているかによって、つぎのグループに分けることができます。


サットヴァブーイシュタまたはサーットヴィカ<サットヴァ型人格>

サットヴァで満たされている人という意味で、このタイプの人は節度があり、純粋な心をもっています。
信心深く、真実と正義の道に従います。
行儀作法も人柄のよさもきわだっていて、自制心が強く、簡単に動揺したり腹を立てたりしません。
たとえ精神を使い果たしても、それが精神的疲労となることはなく、四時間の睡眠しか必要としません。
教師を尊敬し、いつも自分の知識、実力、技能を高める努力をしています。
明晰な知性をもっているので、物事を慎重に考え、分別のある正確な決断を下すことができます。
生まれつき信仰心が厚く、知識欲が旺盛で、物事を公平に見ることができます。
この人はイドや自我(エゴ)よりも超自我が強いのです。
サーットヴィカ人格には、ブラフマー神型、インドラ神型、ヤマ神型、クベーラ神型、ヴァルナ神型、ガンダルヴァ半神型、リシ(聖仙)型の七つがあります。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



久しぶりの投稿になりました。

サーットヴィカ人格には七つあるそうですが、この七つの説明は書いてないのです。(そのうち調べます…)

イド、エゴも初めて出てきた単語ですよね。次回、調べて書きますね。


アーユルヴェーダの起源

2017-03-09 23:35:50 | 基礎勉強
アーユルヴェーダ、つまり生命の科学は永遠の生命をもった学問です。

明確な創始者がいるわけではなく、またいつか途絶えてしまうこともないでしょう。

それは、生命、叡智、我(アートマン)というものは、宇宙と同じように、だれかが創造したのでも、終わりがくるものでもないからです。

生命の流れや叡智の流れは、ほんの一瞬も、滞ったことがありません。ですから、生命を扱い、生命とともにある学問は永遠に存在しつづけるのです。



この宇宙と同じように、すべての学問はブラフマー神が創造したとされています。

ですから、ブラフマー神が、最初に、ダクシャ•プラジャーパティ神にアーユルヴェーダを伝え、

ついでダクシャ•プラジャーパティ神はアシュヴィンクマール双神に、

そして、この双神は代わる代わるインドラ神に同じことを伝えたとされ、

インドラ神は医学の全分野にわたる創始とされています。


(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



上記のインドラ神であるのかどうかは明記されていませんが、別の書籍(「アーユルヴェーダ健康法」ウパディヤヤ•カリンジェ•クリシュナ著、春秋社)にはアーユルヴェーダの起源についてこのように書かれていました。(以下括弧内引用)

「病気のなかった世界に、生活習慣の乱れによって初めて病気が発生した時、人々は禁欲的な生活をしていたリシとよばれる苦行者たちに助けを求めました。(中略)リシはヨーガの訓練によって煩悩を超越し、意識状態を高度に保ち、優れた洞察力によって広汎な知識をもっていたといいます。このような聖者たちは、病気が発生した時、思いやりの気持ちからアーユルヴェーダの知識を体系化し、普及させたとチャラカ•サンヒターの第一巻第一章の始めに説かれています。聖者たちは、アーユルヴェーダの知識を誰から教えられたのかという疑問に対する答えは伝説的なもので、リシたちは神々から生命の科学の知識を得たというように書いてあります。」



神様が出てくると、非科学的だと感じ抵抗を感じる方もいらっしゃるでしょう。

アーユルヴェーダは生命の科学という意味なので、アーユルヴェーダ自体が科学的なものであるはずです。

私も神様を見たことがないのではっきりと神様はいた!神様はいる!と言える事はないのですが、私の(私達の)認知している世界はあまりにも狭いので、見えないからと言って完全否定することはできないと考えています。

まずは、そのまま、受け入れてアーユルヴェーダの勉強を進めていきます。

アーユルヴェーダの目的と対象、人生の目的

2017-03-08 21:20:23 | 基礎勉強
アーユルヴェーダの目的

アーユルヴェーダの目的は、病気の予防や治療だけでなく、健康の維持、増進のための道案内をすることです。

1、病気の治療
2、理想的な体質の増進
3、身体組織の質の向上
4、永遠至福の体得が可能となるような精神の質の向上と強化


アーユルヴェーダの対象

アーユルヴェーダの対象、つまり中心となる主題は人です。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



別の書籍(「アーユルヴェーダ健康法」ウパディヤヤ•カリンジェ•クリシュナ著、春秋社)にアーユルヴェーダにおける人生の目的が記載されていました。

要約すると人生の目的は「義務の遂行」「利益の追求」「欲望の達成」「至福の体得」の4つだそうです。

これらの目的をお互いに相反しないように達成する。
例えば、利益を得ようと、また欲望のままに行動して道徳に反してはいけない。また、法律や規律を守り過ぎて喜びを味わうことをしなかったり、精神性を高めることをしなかったりするのはいけないということです。

そして、この目的を達成するためには欠かせないのが「健康」であるというのです。

「健康」でなければ目的を達成できない、だからアーユルヴェーダが存在するということだそうです。

よって、アーユルヴェーダの対象は「病気」ではなく「人」であるということなのですね。