すべての医者は自分を幸せ者だと思うべきです。なぜなら、高貴な仕事をすることにより、人の命を救い健康にすることができるからです。
医者の資格を得たら、日々の診療にいそしみます。夜であろうと、昼であろうと、どんなときでも患者を診察し、治療することを拒んではいけません。
正しい医学知識をもち、どんなにむずかしい症例でも確信を持って治療しなければいけません。
ふだんの診療や救急治療にも必要な薬品を常備し、薬の用量と副作用を熟知し、患者の体質、年齢、体力に応じて、さじ加減しなければなりません。
医者は病気を治すだけではいけないのです。均整のとれた体質を取りもどし、身体組織の質を向上させないといけません。
招かれもしないのに患者の家を訪ねてはいけません。患者家族の秘密や短所を漏らしてはいけません。
患者が死に瀕していたり、不治の病いにかかっているときは、治療経験の浅い医者は単独で治療してはいけません。このような状況のときは、先輩の医者や専門医に相談し、意見を聞かなければなりません。
医者は異性の患者と親密になってはいけません。学者も、教師も、貧しい人も、善人も、皆、自分の家族と同様に治療しなければなりません。はっきりとした声で穏やかに話し、わかりやすく、矛盾のないように説明しなければなりません。
医者は自分の患者はいうに及ばず、全人類の幸福を考えるべきです。
正しい知識を身につけていても、それをひけらかしてはいけません。
なんとしても命を救い、健康を回復させることが、医者の任務です。医者は、患者が健康になり幸福であることに、喜びを感じられるようでなければなりません。
病気が重ければ、患者とその家族は、医者を救いの神とみなしますから、その期待に応えるよう、あらゆる努力をはらわなければなりません。
(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)
お医者さんについての記載です。
こういう細かい事が書かれているのが面白いです。病気を診るのではなく、人を診る医学のアーユルヴェーダ。お医者さんの資質が問われています。
医者の資格を得たら、日々の診療にいそしみます。夜であろうと、昼であろうと、どんなときでも患者を診察し、治療することを拒んではいけません。
正しい医学知識をもち、どんなにむずかしい症例でも確信を持って治療しなければいけません。
ふだんの診療や救急治療にも必要な薬品を常備し、薬の用量と副作用を熟知し、患者の体質、年齢、体力に応じて、さじ加減しなければなりません。
医者は病気を治すだけではいけないのです。均整のとれた体質を取りもどし、身体組織の質を向上させないといけません。
招かれもしないのに患者の家を訪ねてはいけません。患者家族の秘密や短所を漏らしてはいけません。
患者が死に瀕していたり、不治の病いにかかっているときは、治療経験の浅い医者は単独で治療してはいけません。このような状況のときは、先輩の医者や専門医に相談し、意見を聞かなければなりません。
医者は異性の患者と親密になってはいけません。学者も、教師も、貧しい人も、善人も、皆、自分の家族と同様に治療しなければなりません。はっきりとした声で穏やかに話し、わかりやすく、矛盾のないように説明しなければなりません。
医者は自分の患者はいうに及ばず、全人類の幸福を考えるべきです。
正しい知識を身につけていても、それをひけらかしてはいけません。
なんとしても命を救い、健康を回復させることが、医者の任務です。医者は、患者が健康になり幸福であることに、喜びを感じられるようでなければなりません。
病気が重ければ、患者とその家族は、医者を救いの神とみなしますから、その期待に応えるよう、あらゆる努力をはらわなければなりません。
(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)
お医者さんについての記載です。
こういう細かい事が書かれているのが面白いです。病気を診るのではなく、人を診る医学のアーユルヴェーダ。お医者さんの資質が問われています。