プルショーッタマ<理想的な人>
理想的な人とはどのような人のことをいうのでしょうか。この人たちのように均衡のとれた人格を作る要因はなんでしょうか。
理想的な人とは、トリグナーティータ型人格とサットヴァ型人格の特徴をすべてもっている人です。
トリグナーティータの世間離れしているところと、サーットヴィカの気さくで、頼りになり、社交的な性質とがしっかり結びついています。
自分のことより、社会奉仕を大切にし、世俗を離れてはいますが、仲間や社会の利益のためには見事な行動をとります。
(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)
”プルショーッタマ”はプルシャ的な人格という意味なのでしょうか…今までの言葉の変換を想像すると、恐らくそうでしょう…
”プルシャ”をネットで調べてみますと、”観察するだけの純粋な意識原理”で、”常に解脱の状態”にあると書いてありました。
”プルシャ”と対になるものが”プラクリティ”というそうです。
アーユルヴェーダの用語はインド哲学の用語だという事が調べていくうちに分かってきたのですが、インド哲学がまだよく分からないので、調べれば調べるほどに理解困難の無限ループです…
(以下ウィキペディア”プラクリティ”の項より抜粋)
「サーンキヤ学派は、純粋な精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティのふたつを実在するものと考えており、その片方にあたるものである。 サーンキヤ学派では、プルシャはあらゆる物質性を排した存在である、とされる。それに対してプラクリティというただひとつの物質原理によりこの世界の物質的なものが生じた、とする。
存在論的に述べると、プラクリティは現象世界の根源的物質であり、現象的存在(個々の物)は全てプラクリティの変化によって生じたもの、とする。そのため、pradhana プラダーナ(= 第一原因)とも呼ばれる。
解脱論的に述べると、サーンキヤ学派はプラクリティは身体のあらゆる物質的要素を指すものとして用いられている。同学派は、解脱とはプルシャがプラクリティ(全ての身体的要素)とは別の存在であることを認識すること、とした。」
理想的な人とはどのような人のことをいうのでしょうか。この人たちのように均衡のとれた人格を作る要因はなんでしょうか。
理想的な人とは、トリグナーティータ型人格とサットヴァ型人格の特徴をすべてもっている人です。
トリグナーティータの世間離れしているところと、サーットヴィカの気さくで、頼りになり、社交的な性質とがしっかり結びついています。
自分のことより、社会奉仕を大切にし、世俗を離れてはいますが、仲間や社会の利益のためには見事な行動をとります。
(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)
”プルショーッタマ”はプルシャ的な人格という意味なのでしょうか…今までの言葉の変換を想像すると、恐らくそうでしょう…
”プルシャ”をネットで調べてみますと、”観察するだけの純粋な意識原理”で、”常に解脱の状態”にあると書いてありました。
”プルシャ”と対になるものが”プラクリティ”というそうです。
アーユルヴェーダの用語はインド哲学の用語だという事が調べていくうちに分かってきたのですが、インド哲学がまだよく分からないので、調べれば調べるほどに理解困難の無限ループです…
(以下ウィキペディア”プラクリティ”の項より抜粋)
「サーンキヤ学派は、純粋な精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティのふたつを実在するものと考えており、その片方にあたるものである。 サーンキヤ学派では、プルシャはあらゆる物質性を排した存在である、とされる。それに対してプラクリティというただひとつの物質原理によりこの世界の物質的なものが生じた、とする。
存在論的に述べると、プラクリティは現象世界の根源的物質であり、現象的存在(個々の物)は全てプラクリティの変化によって生じたもの、とする。そのため、pradhana プラダーナ(= 第一原因)とも呼ばれる。
解脱論的に述べると、サーンキヤ学派はプラクリティは身体のあらゆる物質的要素を指すものとして用いられている。同学派は、解脱とはプルシャがプラクリティ(全ての身体的要素)とは別の存在であることを認識すること、とした。」
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