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アーユルヴェーダのお勉強

独学でアーユルヴェーダ

心の状態〜プルショーッタマ〜

2017-04-17 22:02:08 | 基礎勉強
プルショーッタマ<理想的な人>

理想的な人とはどのような人のことをいうのでしょうか。この人たちのように均衡のとれた人格を作る要因はなんでしょうか。
理想的な人とは、トリグナーティータ型人格とサットヴァ型人格の特徴をすべてもっている人です。
トリグナーティータの世間離れしているところと、サーットヴィカの気さくで、頼りになり、社交的な性質とがしっかり結びついています。
自分のことより、社会奉仕を大切にし、世俗を離れてはいますが、仲間や社会の利益のためには見事な行動をとります。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



”プルショーッタマ”はプルシャ的な人格という意味なのでしょうか…今までの言葉の変換を想像すると、恐らくそうでしょう…

”プルシャ”をネットで調べてみますと、”観察するだけの純粋な意識原理”で、”常に解脱の状態”にあると書いてありました。

”プルシャ”と対になるものが”プラクリティ”というそうです。

アーユルヴェーダの用語はインド哲学の用語だという事が調べていくうちに分かってきたのですが、インド哲学がまだよく分からないので、調べれば調べるほどに理解困難の無限ループです…



(以下ウィキペディア”プラクリティ”の項より抜粋)



「サーンキヤ学派は、純粋な精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティのふたつを実在するものと考えており、その片方にあたるものである。 サーンキヤ学派では、プルシャはあらゆる物質性を排した存在である、とされる。それに対してプラクリティというただひとつの物質原理によりこの世界の物質的なものが生じた、とする。

存在論的に述べると、プラクリティは現象世界の根源的物質であり、現象的存在(個々の物)は全てプラクリティの変化によって生じたもの、とする。そのため、pradhana プラダーナ(= 第一原因)とも呼ばれる。

解脱論的に述べると、サーンキヤ学派はプラクリティは身体のあらゆる物質的要素を指すものとして用いられている。同学派は、解脱とはプルシャがプラクリティ(全ての身体的要素)とは別の存在であることを認識すること、とした。」

心の状態〜トリグナーティータ〜

2017-04-10 07:47:46 | 基礎勉強
トリグナーティータ<超越型人格>

サットヴァ、ラジャス、タマスの性質を超越している人という意味で、このタイプの人はすべての精神機能を自制することができ、欲望、嫌悪の情、情動、執着などとは縁がありません。
欲望も嫌悪の情ももちあわせていないので、見返りなどを期待せずに行動を起こします。
トリグナーティータは自制心が強いので、かれを怒らせようとしたり、怖がらせようとしたり、得意がらせようとしても無駄です。
最も美しい女性とされているメーナカ<神話に登場する踊り子の名前>でさえ、かれを誘惑できません。
恐れを知らず、死ぬことも怖がりません。執着心がまったくないので、世俗の快楽を求めません。自分自身や世間について考えることを止めているので、世間からどう思われているかについてほとんど関心がありません。
精神面、肉体面の執着を捨てているので、ほめられてもうぬぼれず、侮辱されても惨めな思いをしません。
自分の精神の質を向上させることだけに心を砕き、自分だけの幸福で平和な世界に生きています。
世俗的な快楽を断ち、瞑想にふけっているサンニャーシン(求道者)はトリグナーティータに相当します。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)


イメージ的に仙人の様な人を”トリグナーティータ”というのでしょうか。なんとなく、孤独な印象を受けます。

人と関わって、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、楽しんだりするとこが生きている醍醐味だと思う反面、様々な執着心を捨てて、怖れや欲望から解放された生き方をしたいとも思う。


心の状態〜タマス〜

2017-04-08 06:44:43 | 基礎勉強
アーユルヴェーダでは、気質を望ましいもの、つまりサットヴァ<純質>と望ましくないものとに分けています。
望ましくない気質はさらに、ラジャス<激質>とタマス<惰質>とに分けています。
私たちはだれでも、よい気質と悪い気質の両方をもっていますが、サットヴァ、ラジャス、タマスのどれを多くもっているかによって、つぎのグループに分けることができます。


タモーブーイシュタまたはターマシカ<タマス型人格>

タマスで満たされている人という意味で、このタイプの人は、知性が低く、気分が沈んでいて、無精しやすい人です。
ちょっとした心労にも、すぐへこたれます。このタイプに共通の特徴は、昼日中でもよく眠気を感じるということです。
なにをするにも一番楽な方法をとり、食べて、飲み、眠り、性行為に身をゆだねる生活に明け暮れています。
貪欲で、短気で、他人への思いやりがありません。
自分の利益のために他人を傷つけることさえあります。
このタイプの人は<精神分析用語で表現すると>、自我(エゴ)や超自我<自我を監視する無意識的良心>よりもイド<本能的衝動の源泉>が強いのです。
ターマシカ人格には、パーシャヴァ<動物型>、マーツヤ<魚型>、ヴァーナスパトヤ<植物型>の三つがあります。


(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



ラジャス的な人格もタマス的な人格も、嫌な人格です…

サットヴァ、ラジャス、タマスの三つを”トリ・グナ”(三つの性質)と呼ぶそうです。

心の状態〜ラジャス〜

2017-04-07 06:50:17 | 基礎勉強
アーユルヴェーダでは、気質を望ましいもの、つまりサットヴァ<純質>と望ましくないものとに分けています。
望ましくない気質はさらに、ラジャス<激質>とタマス<惰質>とに分けています。
私たちはだれでも、よい気質と悪い気質の両方をもっていますが、サットヴァ、ラジャス、タマスのどれを多くもっているかによって、つぎのグループに分けることができます。


ラジョーブーイシュタまたはラージャシカ<ラジャス型人格>

ラジャスで満たされている人という意味で、このタイプの人は、利己的で、尊大で、野心家で、他人に威張りちらします。
うるさいほどしゃべり、よく動きまわるのですが、その行動には計画性がなく、目的がはっきりしません。
精神力は、サットヴァブーイシュタ<サットヴァで満たされている人>ほど強くありません。
この型の人の人格を支配しているのは、怒り、喜び、愛着、嫉妬などの感情です。
そして、感情の爆発を起こしやすく、精神的エネルギーを浪費するので、毎日八時間の睡眠を欠かせません。
自分の楽しみを妨害されると、落ち着きも我慢もなくしてしまいます。
自分にとって都合のよい人にだけ親切で、友好的で、忠実です。
この型の人は、イドや超自我より、自我(エゴ)が強いのです。
ラージャシカ人格には、アースラ・ラークシャサ<悪霊型>、サールパ<蛇型>、シャークナ<鳥型>の三つがあります。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



例によって、アースラ・ラークシャサ<悪霊型>、サールパ<蛇型>、シャークナ<鳥型>の説明が無いです。

”アースラ”をネットで調べてみますと、”アスラ”すなわち、阿修羅だそうで、”ラークシャサ”は羅刹天だそうです。仏教ではどちらも神様ですが、古代インドでは魔族としてとらえられていたようです。

”サールパ”は全然分かりませんでした…

”シャークナ”もよく分からなかったのですが、”シャクナ・ヴィマナ”という神様の空飛ぶ戦車なのかな…?飛んでるし、鳥?

前回の記事で出てきた、”イド”と”エゴ”ですが、1ページ前のタマスの説明の中に記載がありました…汗

なので、次回タマスの記事ご参照ください。(でも詳しく書いてないので分かるような、分からないような…です)

心の状態〜サットヴァ〜

2017-04-03 09:20:54 | 基礎勉強
アーユルヴェーダでは、気質を望ましいもの、つまりサットヴァ<純質>と望ましくないものとに分けています。
望ましくない気質はさらに、ラジャス<激質>とタマス<惰質>とに分けています。
私たちはだれでも、よい気質と悪い気質の両方をもっていますが、サットヴァ、ラジャス、タマスのどれを多くもっているかによって、つぎのグループに分けることができます。


サットヴァブーイシュタまたはサーットヴィカ<サットヴァ型人格>

サットヴァで満たされている人という意味で、このタイプの人は節度があり、純粋な心をもっています。
信心深く、真実と正義の道に従います。
行儀作法も人柄のよさもきわだっていて、自制心が強く、簡単に動揺したり腹を立てたりしません。
たとえ精神を使い果たしても、それが精神的疲労となることはなく、四時間の睡眠しか必要としません。
教師を尊敬し、いつも自分の知識、実力、技能を高める努力をしています。
明晰な知性をもっているので、物事を慎重に考え、分別のある正確な決断を下すことができます。
生まれつき信仰心が厚く、知識欲が旺盛で、物事を公平に見ることができます。
この人はイドや自我(エゴ)よりも超自我が強いのです。
サーットヴィカ人格には、ブラフマー神型、インドラ神型、ヤマ神型、クベーラ神型、ヴァルナ神型、ガンダルヴァ半神型、リシ(聖仙)型の七つがあります。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



久しぶりの投稿になりました。

サーットヴィカ人格には七つあるそうですが、この七つの説明は書いてないのです。(そのうち調べます…)

イド、エゴも初めて出てきた単語ですよね。次回、調べて書きますね。