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アーユルヴェーダのお勉強

独学でアーユルヴェーダ

ヴェーダーンタ

2017-04-26 21:52:15 | インド哲学
ヴェーダーンタ学派

この学派はブラフマン<梵>、つまり宇宙の本体だけがこの宇宙で永遠不滅で真の原理であると考えています。
目に見えるすべてのものは幻影(マーヤー)で、宇宙にあるすべてのものはブラフマンから生まれ、ブラフマンによって持続し、ブラフマンに帰ることによって消えていくと説明しています。

インド六派哲学は、人は宇宙の縮図であると考えています。
人は宇宙とまったく同じ基本要素(マハーブータ)で構成されているので、人体の内部は外界と同じくらい変化に富んでいます。
ですから、宇宙と自分自身とは、じつは、一体なのだと感じとれるようになったとき、人は最も高い次元に到達できると考えたのです。




(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



”ブラフマン”とは、註釈での説明で「宇宙の原理」「宇宙の根本原理」とも訳されると記載されています。

…で?結局それは何…?

”目に見えるすべてのものは幻影”であり”ブラフマン”が”原理”

”ブラフマン”は神の意志とか、宇宙の意志とかそういうもなのか。それとも、エネルギーのことなのか。物質ではなさそうだし…光とか熱とか音とか、私の知っている表現でいうと何だろうか。
それとも、全部ひっくるめて、存在しているすべてが”ブラフマン”??

この本を読めば読むほどに、分からない単語が出てきて謎が深まります。

サーンキヤとヨーガ

2017-04-25 21:33:54 | インド哲学
サーンキヤ<数論学派>とヨーガ学派

これらの学派は、宇宙はつぎの二十五の要素(二十五原理)で構成されていると考えています。

(1)プルシャ ー純粋精神
(2)プラクリティ ー根本原質
(3)マハット ー根源的思惟機能
(4)アハンカーラ ー自我意識
(5)マナス ー思考器官
(6〜10)パンチャ・ジュニャーナ・インドリヤ ー五感覚器官
(11〜15)パンチャ・カルマ・インドリヤ ー五運動器官
(16〜20)パンチャ・タンマートラ ー五微細元素
(21〜25)パンチャ・マハーブータ ー五粗大元素

これらの学派の理論によると、プルシャ以外の二十四の要素(原理)はプラクリティから展開したもので、プルシャは永遠不変であるとしています。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



簡単にサラッと記載されていますが、一つずつ理解するのはちょっと時間がかかりそうです。

”プルシャ”と”プラクリティ”また出てきたなっ。

前回出てきたところ


またまたウィキペディアで調べてみると、詳しく書いてありますが、今の私のの頭ではボンヤリとしか理解できません…(カタカナと、似た言葉が多くて拒絶反応が…)またゆっくり理解していこうと思います。


ウィキペディアさん
(”思想”の項に詳しく書かれています)


ニヤーヤとヴァイシェーシカ

2017-04-23 23:17:28 | インド哲学
古代から人は、永遠至高の幸福をつかむ方法を探し求めてきましたが、これは心身ともに理想的な健康状態でなければ得られないものです。

永遠至高の幸福という発想は、アースティカ・ダルシャナ<正統派哲学>のものです。この学派は、人の本質と宇宙の本質、そして人と宇宙のかかわりあいについて解き明かしていて、現世の一人ひとりの人間は、生と死をくり返す鎖の環にすぎないと考えています。

インド哲学は、全宇宙を構成している基本的な原理をどのように規定しているかによって、大きく三つのグループに分けることができます。


ニヤーヤ<正理学派>とヴァイシェーシカ<勝論学派>

この学派は、全宇宙はつぎの七つのパダールタ(カテゴリー、句義)で構成されていると考えています。

(1)ドラヴィヤ ー実体
(2)グナ ー性質
(3)カルマ ー運動
(4)サーマーニヤ ー類似
(5)ヴィシェーシャ ー非類似
(6)サマヴァーヤ ー内属
(7)アバーヴァ ー欠如

実体として、地、水、火、風、空、我(アートマン)、精神(マナス)、時間(カーラ)、方角(デーシャ)の九つがあげられています。
宇宙に存在するすべての物は、生物であれ、無生物であれ、これらの九つの実体のいろいろな組み合わせによって成り立っていると説明しています。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



インド六派哲学と言われるものがあり、そのうちのニ派の説明です。

ウィキペディアで調べてみると”アースティカ”は正統派という意味で、”ダルシャナ”はインド哲学と訳すそうです。
また、インド六派哲学は”ヴェーダの権威を認める6つの有力な正統学派の総称”と記載されています。
(対比するものとして、”ナースティカ<異端派>”)

と、言うことは、”アースティカ・ダルシャナ”=”インド六派哲学”と考えていいのかな。


また、上記著書の注釈に「インド哲学はアースティカ(肯定する人)派とナースティカ(否定する人)派に大別される。前者はヴェーダ(バラモンの聖典)の権威を認める学派で、後者は唯物論者、仏教徒、ヴェーダを疑う無信仰者、自由思想家などを含む。アーユルヴェーダはアースティカの立場をとっていて、サーンキヤ、ニヤーヤ、ヴァイシェーシカ各派を哲学的背景としている。本章で説明されている学派はすべてアースティカである。」と記載されています。



ニヤーヤとヴァイシェーシカという二派があるのは理解できましたが、この学派の考え方である、
”全宇宙はつぎの七つのパダールタ(カテゴリー、句義)で構成されている”というところと、
”実体として、地、水、火、風、空、我、精神、時間、方角の九つがあげられています”の理解が深く出来ていません。

例えて言うとどういうことなのか、分かるような、よく分からないような…

またいつかどこかで繋がって理解できるのかな。

心の状態〜プルショーッタマ〜

2017-04-17 22:02:08 | 基礎勉強
プルショーッタマ<理想的な人>

理想的な人とはどのような人のことをいうのでしょうか。この人たちのように均衡のとれた人格を作る要因はなんでしょうか。
理想的な人とは、トリグナーティータ型人格とサットヴァ型人格の特徴をすべてもっている人です。
トリグナーティータの世間離れしているところと、サーットヴィカの気さくで、頼りになり、社交的な性質とがしっかり結びついています。
自分のことより、社会奉仕を大切にし、世俗を離れてはいますが、仲間や社会の利益のためには見事な行動をとります。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)



”プルショーッタマ”はプルシャ的な人格という意味なのでしょうか…今までの言葉の変換を想像すると、恐らくそうでしょう…

”プルシャ”をネットで調べてみますと、”観察するだけの純粋な意識原理”で、”常に解脱の状態”にあると書いてありました。

”プルシャ”と対になるものが”プラクリティ”というそうです。

アーユルヴェーダの用語はインド哲学の用語だという事が調べていくうちに分かってきたのですが、インド哲学がまだよく分からないので、調べれば調べるほどに理解困難の無限ループです…



(以下ウィキペディア”プラクリティ”の項より抜粋)



「サーンキヤ学派は、純粋な精神原理のプルシャと物質原理のプラクリティのふたつを実在するものと考えており、その片方にあたるものである。 サーンキヤ学派では、プルシャはあらゆる物質性を排した存在である、とされる。それに対してプラクリティというただひとつの物質原理によりこの世界の物質的なものが生じた、とする。

存在論的に述べると、プラクリティは現象世界の根源的物質であり、現象的存在(個々の物)は全てプラクリティの変化によって生じたもの、とする。そのため、pradhana プラダーナ(= 第一原因)とも呼ばれる。

解脱論的に述べると、サーンキヤ学派はプラクリティは身体のあらゆる物質的要素を指すものとして用いられている。同学派は、解脱とはプルシャがプラクリティ(全ての身体的要素)とは別の存在であることを認識すること、とした。」

心の状態〜トリグナーティータ〜

2017-04-10 07:47:46 | 基礎勉強
トリグナーティータ<超越型人格>

サットヴァ、ラジャス、タマスの性質を超越している人という意味で、このタイプの人はすべての精神機能を自制することができ、欲望、嫌悪の情、情動、執着などとは縁がありません。
欲望も嫌悪の情ももちあわせていないので、見返りなどを期待せずに行動を起こします。
トリグナーティータは自制心が強いので、かれを怒らせようとしたり、怖がらせようとしたり、得意がらせようとしても無駄です。
最も美しい女性とされているメーナカ<神話に登場する踊り子の名前>でさえ、かれを誘惑できません。
恐れを知らず、死ぬことも怖がりません。執着心がまったくないので、世俗の快楽を求めません。自分自身や世間について考えることを止めているので、世間からどう思われているかについてほとんど関心がありません。
精神面、肉体面の執着を捨てているので、ほめられてもうぬぼれず、侮辱されても惨めな思いをしません。
自分の精神の質を向上させることだけに心を砕き、自分だけの幸福で平和な世界に生きています。
世俗的な快楽を断ち、瞑想にふけっているサンニャーシン(求道者)はトリグナーティータに相当します。



(以上、「アーユルヴェーダ式育児学 アーユルヴェーダの基礎と小児科学」V•B•アタヴァレー著、潮田妙子/クリシュナ•U•K訳、春秋社、1994年発行 より引用)


イメージ的に仙人の様な人を”トリグナーティータ”というのでしょうか。なんとなく、孤独な印象を受けます。

人と関わって、喜んだり、悲しんだり、怒ったり、楽しんだりするとこが生きている醍醐味だと思う反面、様々な執着心を捨てて、怖れや欲望から解放された生き方をしたいとも思う。