東京観光といえば、はとバス!
昔のはとバスの観光しおりをご紹介致しましょう!
東京遊覧
バスガイドさん、いい味出してますなw
裏面
日本橋三越と東京八重洲口の大丸
そーいえば大丸に昔よく切手買いに行ってたなw
昭和41年頃のしおりだと思います。
東京観光の案内などが掲載されています。
広告がなかなかいい味出してます。
カワサキの単車
のってる兄貴もかっこいいw
デパートの案内
観光案内
そしてもう一冊
美人のバスガイドさん自らハンドルを握る一冊w
昭和43年頃のだと思います。
裏面
こちらも東京八重洲口、大丸の広告と、
日本橋三越
中身は41年版とあんまり変わってないですね。
写ってる車からして、昭和30年代後半から変わってないんじゃないのでしょうか?
東京生まれとしては、はとバスなんてと思ってたけど、
はとバスのって東京観光してみたくなったww
いまでもいろんな企画やってるもんね( 'Θ' )バスってw
なんか古いテスターをもらいました。
ハンセンのテスター
渋い箱にはいってますな。
中身
まだ一回も試してないけど使えそうですな
付属品も入っております。
取り出してありますが、渋い乾電池は入れっぱなしになっていました。
日立の乾電池
いったい何時のものだ?
1960年代の物と思いますので、乾電池もそのころかね?
昔のOゲージトランスみたいですね。
しょぼいテスターだったら持っているけど、今度はこれを使わせて頂きやしょ~
ついでに貰った東京オリンピックの雑誌
家にも同じようなのあったな
国立競技場ですな
壊される前に、ももクロライブで行けて良かったな~
昭和39年か~
生まれてないやw
国際情報社です。
まっ そんなところです。
さて何の変哲も無い昔のはがきです。
古いというだけでよくある葉書ですが
3種類の葉書であります。
左・中が官製はがき、右が私製はがき、ですが
五十銭時代なので、昭和22年4月1日~昭和23年7月9日まで?
戦後間もないということで、紙もあまり良いとはいえません。
お次は
2円時代なので、昭和23年7月10日~昭和26年10月30日まで
紙がちょっと良くなっております。
ここまでが官製ハガキ
そして私製はがきはこちら
きがは便郵 ではございませんw
郵便はがきでございます。
逆から書いてあるではないか!とつっこまれる方が居るかもしれませんが、
明治時代にはじまった郵便はがきは当時、きかは便郵となっており、昭和8年から、きがは便郵となりまして、郵便はがきとなったのは昭和20年以降だそうです。
右から読むのではないのです。当時は縦書きでした。縦書きのときは右から読みますよね?
一文字づつ縦書きに書いてあるのです。
そう思えば読みやすいでしょうw
倉庫番長も最近知りましたwwwww
さてそんなハガキですが、ここで終ったら普通のハガキ、裏を見てみましょう!
なんとまあ届出伝染病届票でした。
五十銭のはがきの裏です。
当時は伝染病(コレラ・チフス・赤痢などかな?)にかかると、管轄の保健所に届け出たんですね。〇京と書いてあるのは京都府のことだと思います。
今だったら個人情報とかでこんなのハガキで出すことないでしょうけど。
2円のハガキの裏です。
あて先が厚生省になっています。
私製はがきの裏です。
昭和になってますので、昭和8年~のでしょう。
いずれも未使用で複数枚あります。
当時の資料ですかね。
なんか古い物入手
なにこの紙の束w
厚さにして6センチオーバー
製本されております。
これは何かと言いますと
明治19年に発行された、鮮明いろは字引大全
検索してもたいした情報ヒットせずw
あたりまえか~
古すぎるもの
明治期の日本のありかたを鮮明に描き出すって出てきた。
さて発行日は
明治19年9月30日出版届
明治19年10月30日けいせいって書いてあるのかな?
定価50銭
編集人は[京都府平民 後藤七郎右衛門]
平民って言うのが昔っぽいなぁ~
ちなみに明治19年って
1886年です。128年前の物か、すげえ~
明治19年は、あのインドのパール判事や、大川周明などが生まれた年でございます。
世界では、9月4日にインディアン戦争、ジェロニモ降伏だそうで
歴史を感じさせますな~
このころの伍拾銭はいまだと1マソ位だそうで、結構高かったんですね~
職業を英語で
ホテル=宿屋
ティーハウス=茶店
バンク=両替屋
英文字
これを使っていた人はどんな方だったんでしょうね~
明治時代、う~む渋いw