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「強迫観念の原因と解決」 その1 「自我」

2010年10月02日 08時41分42秒 | 気づき
おはようございます





今日は、自分自身の内面的な課題である「強迫観念の原因と解決」をお話したいと思います

mitsuzoです





さて




早速、自分の中で感じている「強迫観念」についての思いを、箇条書きにしてみたいと思います。




・「~しなきゃいけない」という幻想を、簡単に振り払えないのはなぜ?


・逆に、「強迫観念」が一切ない状態ってどんな状態?


・「強迫観念」は、「自我」を守る為の「バリアー」


・もし「強迫観念」が人生に良い影響を及ぼさないのであれば、どうして存在するのか?


・また「強迫観念」を作り出していると考えられる「自我」は、なぜ存在するのか?




まぁ、だいたい、こんな感じなことを思い出してはグルグルと考えています。


今までは、こんなこと考えたことなかったのに・・・”気づき”を受けたおかげで、こういう思考が頭の中で巡るようになりました。


でも、それは、”気づき”を受けて、生活が良い方向に流れ出した今の自分を見ると、この「強迫観念の原因と結果」を探求することは、人生において、おそらくとても大事なことなのかな・・・と最近は感じるようになりました。


それならば・・・と、いうことで今月初めに取り上げてみました。




「~しなきゃいけない」となぜ思うのか?


ボクが思うに、たぶん、「自己防衛なんだろうな~」と思います。


なにから防衛しているのか・・・おそらく「本当の自分」からではないでしょうか。


どうして「本当の自分」から防衛するのか・・・おそらく、それは、それが「自我」の「存在理由」だから。


「自我」とはなにか?・・・おそらく、この価値観の異なる他者が存在する世界・・・いわゆる「この世」で、うまく生きて行くための「ツール(道具)」なのではないでしょうか。




(目的)
「勉強して、良い大学に入りたい」



(理由)
「そしたら、両親や友人に褒めてもらえる」
「他の人とは違うと見られたい」
「自分の有能さをわかってもらうため」・・・etc



(結果)
「だから勉強がんばらなきゃいけない」




「受験勉強」する人の「強迫観念」を図式にしてみましたが、これは別に「受験勉強」以外でも、仕事や生活の中でも、当てはめられるものではないでしょうか。


この中のやはり重要な部分は、「理由」のところかなぁ~と思います。


結局、「結果」である「~しなきゃいけない」というのは、この理由があるからで、それがこの人の中での勉強するための「動機」であり「モチベーション」になっているものですが、これは、つまり「自分を認めさせたい」というものが「理由」の根本原因なのかなぁ~と思いました。


「自分を認めさせたい」・・・これは、おそらく「他人に対して」というように見えますが、実際は「本当の自分」に対して「認めさせたい」という「自我」の働きなのだと思います。


となると、この「自我」というのは、自分の行動に対して「正当性」を訴えているようにも見えます。


「正当性」を訴えることによって、自分を「理想の自分」という幻想を実現させようとしているのか・・・と。


ちなみに、「理想の自分」というキャラもまた、自我が勝手にプロデュースあるとボクは思います。


どうしてそういうキャラを作るかというと、そういうキャラを作ることによって、自分の行動に自我が納得するためです。


でも、人間は「理想の自分」とか「完璧な自分」には、おそらくなれません。


どうしてか・・・それは人間だからです。



この価値観の異なる他者が存在する世界・・・「この世」では、「理想の自分」では生活できないからです。


どうして、そんなことが言えるのか・・・理由は・・・


「100%同じ価値観を持った人は存在しないからです。」


そもそも、この価値観が100%同じであるという「確認」自体もしようがないからです。


相手から言葉で「100%同じ価値観ですね。」と言われても、そんなのわかるわけないですよね。


結局、そこなんですよ。


この・・・「100%」という極端な数字は、この世では存在しません。


僕たちの常識の範囲内で「100%」と思っているものはあっても、それはあくまでボクらの「常識の範囲内」でのお話であるので、「100%の概念」が「常識外」だと、実際は調べようがないのと一緒です。


じゃあ、人はわかりあえないのか・・・ということを言われそうですが、それはまた別です。


別に人は「100%」わかりあえなくても、同じことに共感をしたり、わかりあえる気持ちは味わえます。


「100%」わかりあえる必要はないのです。


ただ、大事なのは、少しでも相手の気持ちをわかりあおうとする気持ち・・・「100%わかりあえるようになりたい」と願って、近づくことだと思います。


ちょっと話が逸れたかもしれませんが、とりあえず、「この世」で生きている以上、「自我」のこの働きが必要な「ツール(道具)」であるということが言えるのではないでしょうか。


だからこそ、ボクたちは「自我を無くす」というようなことを考えるのではなく、この「自我」とうまく付き合っていくことが「この世」で生きていくために大事であり、必要なことなのかなぁ~と思います。




では、今日はこの辺で。




(*´∀`)ノ







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