禊の真意はどこにあるのか、ということで、少し寄り道をしました。
自身の強い意志を以てしても耐え難い苦痛を受け入れ、徹底的に穢れを祓う。そうすることによって飛躍的な向上を実現する。
現実の人間が、神に一歩近づくかもしれない。
戻ります。
兎は、兎ではなく、兎に仮託された何か、だと考える。
八岐大蛇が「背中に松や柏を生い茂らせ、八つの丘、八つの谷に伸びるほどの巨大な大蛇」と書かれているからといって、
「一年に一度、老夫婦(あしなづちと、てなづち)の八人の娘を一人ずつ喰らいに来る時、背中の松や柏はどうなるんだ?」
などとは、誰も言いません。
「動くたびに背中の松や柏がぶつかるだろうから、髪の毛なんかと違って大蛇もうっとうしくてしょうがないだろうな」
そんなの抱腹絶倒のコメディーです。
でも、文章を読む、或いは語るのを聞くと、そんな抱腹絶倒のコメディーの筈が、何とも壮大な「巨大な龍のような大蛇が地響きを立てて迫ってくる」大迫力の場面として想像されるばかりです。
隠岐、いやもっと向こうの韓半島までも治めていた神が、「もっと有力な神がやってくる」と知って首実検をするために準備万端整えて、今や遅しと待っていた。そこに果たして有力な神々がやってきた。
しかし、筋は通っているけれど、傲慢で思い遣りに欠け、とてもじゃないけど我が地に座してもらうべき神には見えなかった。当然、この地の姫神と結んで繁栄の基を拓く神ではない。
ところが一人遅れてやってきた大国主は、間違いなくこの地の者と仲良くやっていけそうだ。
それに、多くの物(担いでいる袋の大きさ)を持っている。(袋の中身は新しい技術や知識だと思われます)
「これは信用のできる神」と判断し、八上比売に「警戒の要なし」と連絡する。八上比売は、この地そのものと言っていいんじゃないでしょうか。
白兎は、海の向こうから追われるようにしてやって来て、この地に住み着いた難民、いや、意識としては漂着した結果、覚悟を決めて、この地を終の住処としてこの地の先住の人々と共に守り抜こうとした渡来民族なのかもしれません。そうではなくて、もしかしたら長きにわたって支配していた大陸や半島から引き揚げてきた、原日本人である引き揚げ者、かも。
だから海を眼前にする丘に棲んで、見張りのプレーリードッグのように、背伸びをしていつも海の向こうを見張っていた、と考えたらおさまりやすい。
白兎神社に参拝して、帰ろうと真正面に海を見ながら急な階段を降りる時、ここが何となく海の向こうを見張る、見張り台のような気がしてきました。そうでないと「白兎神社って、何のご利益があるんだろう」、となってしまいます。
「大国主に助けられたから、『助けられるのが上手になる』のが、ご利益」
、なんて変ですよね。それなら「白兎を助けた大国主」をこそ祀るべきでしょう。
やはりこれは、預言をしたことから「先を見通す目を持つ神」だから、
「謙虚に、真剣に他者のためを思う」、「『先見の明』が備わりますように」
、となるんじゃないでしょうか。
ご利益というのは、「ギブ、アンド、テイク」ではないし、「国益」のような、腹黒さ・狡猾・奸智・姦計等が大きく絡む、不安定な損得を指すものでもない。
「敬し、願い、努めることで、少しでも実現した願い」のことだ、となりそうです。
「祓、禊の先にあるもの」と考えれば。
「自らの意志で苦難に飛び込み、飛躍的な向上を」と考えれば。
是々非々論を振りかざすのも、他者の間違いを糾弾するのも、「自らの意志で苦難に飛び込」み、痛みに耐える(苦心する)ことをしなければ、結局はどこかの党のようにブーメランになって返ってくるばかりで、「ご利益」は夢のまた夢。
あ、これは蛇足でした。
自身の強い意志を以てしても耐え難い苦痛を受け入れ、徹底的に穢れを祓う。そうすることによって飛躍的な向上を実現する。
現実の人間が、神に一歩近づくかもしれない。
戻ります。
兎は、兎ではなく、兎に仮託された何か、だと考える。
八岐大蛇が「背中に松や柏を生い茂らせ、八つの丘、八つの谷に伸びるほどの巨大な大蛇」と書かれているからといって、
「一年に一度、老夫婦(あしなづちと、てなづち)の八人の娘を一人ずつ喰らいに来る時、背中の松や柏はどうなるんだ?」
などとは、誰も言いません。
「動くたびに背中の松や柏がぶつかるだろうから、髪の毛なんかと違って大蛇もうっとうしくてしょうがないだろうな」
そんなの抱腹絶倒のコメディーです。
でも、文章を読む、或いは語るのを聞くと、そんな抱腹絶倒のコメディーの筈が、何とも壮大な「巨大な龍のような大蛇が地響きを立てて迫ってくる」大迫力の場面として想像されるばかりです。
隠岐、いやもっと向こうの韓半島までも治めていた神が、「もっと有力な神がやってくる」と知って首実検をするために準備万端整えて、今や遅しと待っていた。そこに果たして有力な神々がやってきた。
しかし、筋は通っているけれど、傲慢で思い遣りに欠け、とてもじゃないけど我が地に座してもらうべき神には見えなかった。当然、この地の姫神と結んで繁栄の基を拓く神ではない。
ところが一人遅れてやってきた大国主は、間違いなくこの地の者と仲良くやっていけそうだ。
それに、多くの物(担いでいる袋の大きさ)を持っている。(袋の中身は新しい技術や知識だと思われます)
「これは信用のできる神」と判断し、八上比売に「警戒の要なし」と連絡する。八上比売は、この地そのものと言っていいんじゃないでしょうか。
白兎は、海の向こうから追われるようにしてやって来て、この地に住み着いた難民、いや、意識としては漂着した結果、覚悟を決めて、この地を終の住処としてこの地の先住の人々と共に守り抜こうとした渡来民族なのかもしれません。そうではなくて、もしかしたら長きにわたって支配していた大陸や半島から引き揚げてきた、原日本人である引き揚げ者、かも。
だから海を眼前にする丘に棲んで、見張りのプレーリードッグのように、背伸びをしていつも海の向こうを見張っていた、と考えたらおさまりやすい。
白兎神社に参拝して、帰ろうと真正面に海を見ながら急な階段を降りる時、ここが何となく海の向こうを見張る、見張り台のような気がしてきました。そうでないと「白兎神社って、何のご利益があるんだろう」、となってしまいます。
「大国主に助けられたから、『助けられるのが上手になる』のが、ご利益」
、なんて変ですよね。それなら「白兎を助けた大国主」をこそ祀るべきでしょう。
やはりこれは、預言をしたことから「先を見通す目を持つ神」だから、
「謙虚に、真剣に他者のためを思う」、「『先見の明』が備わりますように」
、となるんじゃないでしょうか。
ご利益というのは、「ギブ、アンド、テイク」ではないし、「国益」のような、腹黒さ・狡猾・奸智・姦計等が大きく絡む、不安定な損得を指すものでもない。
「敬し、願い、努めることで、少しでも実現した願い」のことだ、となりそうです。
「祓、禊の先にあるもの」と考えれば。
「自らの意志で苦難に飛び込み、飛躍的な向上を」と考えれば。
是々非々論を振りかざすのも、他者の間違いを糾弾するのも、「自らの意志で苦難に飛び込」み、痛みに耐える(苦心する)ことをしなければ、結局はどこかの党のようにブーメランになって返ってくるばかりで、「ご利益」は夢のまた夢。
あ、これは蛇足でした。
2017.04/18