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ただの日記

再掲 「波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (上)」

2021年05月26日 | 神社
 泥縄もいいところですが、折角読んでいただいたのに前段を載せないままでは、と思い、順番に再掲し直そうと思います。

 この「前回の日記のかかわりで」という日記は、社報「靖國」に掲載されていた文章に私の感想を書き込んだもので、それなりの分量だったため、三回に分けて日記として挙げました。

 ・・・・・・・・・・・・・・・
 2015.11/14 (Sat)

 先日、社報「靖國」11月号が届いていたのを、開封したまま置きっ放しにしていた。
 思い出して、綴じる前に目を通しておこうと開いてみたら、これは大事なことが書いてある。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~
              大山晋吾(波上宮禰宜)

  < 敬神・崇神の島、沖縄 >
  間もなく、筆者が靖国神社から波上宮に転任して五年となる。東京でいた頃は全く沖縄のことを知らず、テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていたが、全くそれは誤解であった。
 人々は皆々、先祖を大切にし、神々を深く信仰している。実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。

 さて、沖縄総鎮守・波上宮の参拝者数、今年の正月三箇日は三十万八千人を数えたが、当宮は年間を通して参拝者が非常に多く、また崇敬者の参拝時間の長さにも驚かされる。若い方でも五分、十分と祈ってゆかれる。高齢者に至っては二十分、三十分とお座りになって「お拝み」をされるのである。
 また、祖先を敬う県民性は、墓所・墓石の多いことに象徴されよう。丘や山に登れば、必ず墓所がある。それも膨大な数で、その内に生きた人の住む所が無くなって仕舞うのではないかと危ぶまれる程である。
 人々は清明祭やお彼岸等になると一族で先祖伝来の器にお供え物を盛って墓参に行く。そこで、子孫は親たちの拝む姿を見て、自然に崇祖の心を養うのであろう。

         (略)

 < 明治天皇の御尊像 >
 さて、境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、沖縄が日本への祖国復帰を果たす以前のことであった。
その御銅像の台座には、明治天皇の御宸筆「國家」の文字が刻まれている。そこには戦いに敗れて米国に占領され、祖国から切り離された当時沖縄県民の悲しみが、そして一日も早く日本国に復帰したいという県民の悲願が籠っているように思えてならない。
 波上宮は戦いに敗れ、打ちひしがれた沖縄の人々にとり、祖国日本を偲ぶ唯一の心の故郷、魂の拠り所であった。まさに、その境内地に御銅像は建てられ、それから二年後、沖縄は見事に祖国復帰を果たしたのである。


                   転載終わり

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 「~テレビで米軍基地反対の市民集会の様子を見て、何と左翼的な県民性かと思っていた~」
 しかし、
 「実に一般の県民は、敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性に満ちていた。」

 これ、どう思われますか。大山禰宜が間違ってるんでしょうか。それとも、報道がおかしいのでしょうか。
 いやいや、波上宮に参拝する人々だけが別なんでしょうか。
 それとも参拝している時だけが敬神の念が篤くなるんでしょうか。
 少なくとも、辺野古を初めとして反対運動をしている人々と、参拝者の表情は決して重ならないのではないか。
 今朝も関西のテレビでは「正義のミカタ」という朝の情報ショーで、沖縄国際大の前泊教授が
 「沖縄の民意は基地反対。反対意見が強まれば助成金が増える。飴と鞭だ。助成金は地元には四割しか落ちない」
 などと説明していましたが、これまた
 「敬神・崇祖の念篤く、剛毅にして純朴なる気性の沖縄県民」
 と全く重ならない。


 「境内に建つ明治天皇の御銅像の建立は、昭和四十五年であり、~」

 戦争に敗れたのが昭和二十年。講和条約が二十七年。
 銅像の建立されたのが四十五年。本土復帰が四十七年。
 敗戦から二十五年もたって明治天皇の銅像を建立する。
 何故、明治天皇なんでしょうか?「琉球国」独立を支持する人々は、明治天皇を「『琉球処分』を命じた酷い天皇」だと思っているのではないのでしょうか。

 菅官房長官が「粛々と行う」と発言したのを「上から目線だ」と文句をつけたことがありました。言いがかりに近いものです。「粛々」というのは決して「上から見下す」ような傲慢な表現でないことは、普通に学校に行っていれば分かること。
 それと同じく、「処分」という言葉には「冷たく切り捨てる」といったような意味はありません。
 「適材適所」と同じで、「それぞれの処に分類して収める」ということでしょう?「処分」の文字にはそれだけの意味しかない。
 「切り捨てる」、というのなら鹿児島の支配下から「沖縄県」へ、という鹿児島と同等の立場にする施政は成り立ちません。己の勉強不足を棚に上げて批判ならぬ非難ばかり・・・、いやいや、今日はこの辺でやめときましょう。



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前回の日記のかかわりで

2021年05月25日 | 神社
波上宮(なみのうえぐう)と沖縄  (下)
               2020年01月19日 

2015.11/17 (Tue)

 「沖縄のこころ」
 ~県民憧れの宮・沖縄総鎮守 波上宮を通して見た沖縄~

 < 沖縄の言葉は日本語 >
 また、使っている言葉は日本語。例えば御伊勢の宮の事を昔は「ウイシノミヤ」(ウイシヌミヤ?)と呼んでいた。
 沖縄の方言は、母音のエ( e )の音がイ( i )の音に、オ( o )の音がウ( u )の音に変化する。即ち、「オイセノミヤ」のオ( o )は、ウ( u )に、セ ( se )が、シ( si )に変化して、「ウイシノミヤ」となる。
 発音だけを聞くと、最初はなかなか分かり難いが、意味を教えて貰い、何度も繰り返し発音すると、読書百遍ではないが、意、自ずから通ずるものがある。これは、母国語・日本語だからである。沖縄の言葉は、平安期前後に都の言葉が流入し、積み重なった古層の言葉が今に伝わるもので、発音は現代人には分かり難いが、文法等、正に日本語以外の何物でもない。西洋や中国とは文章の並び方が完全に違うのである。

 さて、言葉は日本語、王様は日本人、国の一大事業に際し祀る神も、皇祖神・天照大御神となれば、もう、この島は、琉球王朝の昔より日本の心、魂の息づく地であったと筆者には思えてならない。

                    (以下略)
                          
                                      転載了


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 場所柄、台湾と同じように、大陸南部の福建省辺りから多くのシナ人が早くから移り住んでいたことは間違いないし、実際、前知事の仲井真氏も、自身、先祖は中国人と言っています。
 これは逆に見ると、それを誇りにしている、ということで、比較的新しい移入だから、色々な文化を持って渡来し、歓迎されたということでしょう。同時にそれが、沖縄は元来、シナ人の土地ではなかった、ということの証明にもなっています。
 そして、その具体的な証拠が、聞き取り難いけれども、紛れもなく日本語を話しているということ。
 沖縄の宮廷舞踊が室町期に完成された能楽の舞をもとにしてつくられていることなども日本である証明になるでしょう。

 また、以前にも書きましたが、大方は室町期の日本語が沖縄風に発音されるため、言葉も意味も違って見えることがある。
 それに加えて、その古い言葉を今の言葉に直そうとして、今の「意味合い」から漢字を当てようとする。そのため、全く違う感じの語句になってしまう。
 挙句に、こともあろうに県知事が国連で少数民族宣言のようなことを発表し、若い学生にその間違いを指摘され、大恥をかくなんてことも起こる。

 「ちゅら」は「清(ちゅ)ら」であって「美ら」ではない。
 「うみんちゅ」は「海の衆」であって「海人」ではない。(「海人」は「あま」です。)
 同じく「しまんちゅ」は「島(陸おか)の衆」。
 「めんそーれ」は「参り候え」。だから「お出で下さい」
 「ウタキ」は「おたけ」だから、御嵩(おんたけ)→御岳(おんたけ)→御嶽(おんたけ・みたけ)=おたけ・うたき
 「サバニ」はおそらく「小舟(さぶね)」で「丸木舟」ではない。
 「ハイフニ」は「早舟」もしくは「速舟」。
 ついでながら、「エイサーの原型は江戸初期に伝わった念仏踊り」という一文がありました。成る程、念仏踊りは田楽がもとにある筈だから、鉦や太鼓を身に着けて踊るのは基本の形。それが段々に勇壮な踊りになっていくのはどこでも、祭りの常態です。
 見た目には、小さな太鼓を持って(身に着けて)、シナ風の服装に脚絆までつけて、という風のものが多いので、何となく大陸渡りのもののような印象を持ちますが、古い伝承を守っているところでは服装も振りも地味なものです。時代が下るにつれて派手になる。念仏踊りがもとになっている、と言われて腑に落ちました。

 もう一つ、ついでのついでですが。
 ネットで見ると「尚」王の「尚」というのは、訓読みにすると「なお」。これは南北朝期以後、南朝方だった鳥取の名和氏が沖縄に行き、尚氏を名乗った、という説もあるのだとか。
 名和氏の家紋に能く似たものがある、とも。
 いずれにしても沖縄の人々が、昔々、シナに強い憧れを抱いていたということは事実でしょう。
 しかし、だからと言ってシナ風の名字や名前にはしていない、というところも見詰めるべきじゃないでしょうか。
 半島の隣国は「唐」に支配されたときは漢風に一字姓、「元」に支配された時はモンゴル風に、とその時々で名前はおろか名字まで変えています。
 強制されたからではない。願って変えている。(日韓併合時の創氏改名もそうでした。だから両班の多くは改名をしていません)

 沖縄の名前の付け方は奈良時代のままです。
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11月23日は「勤労感謝の日」(これも再掲)

2020年11月23日 | 神社
               2015.11/21 (Sat)
 標題をご覧になって「あれっ?」と思われたらうれしいんですが。

 「11月23日は『勤労感謝の日』。日本中の働く人に感謝する日、なんだな」。
 子供の頃はそう思う。
 そして
 「感謝、ってどんな風にしたらいいんだろう。お父さんお母さんありがとう、だけじゃないな。近所の人にもありがとう、という方がいいかなぁ~?」

 バカみたいな話ですが、子供の頃、こんなことを思ったのは事実です。自分を中心にして物事を考えることしかできなかった。だから「感謝しなけりゃならないのは、自分だ」と思っていた。
 でも、どうやったらいいか分からないし、どこの家も取り立てて何かをしている、という風でもなかったし。
 つまり、「誰が」「誰に」感謝するのかということがはっきりしていなかった。「安らかに眠ってください あやまちはくりかえしませぬから」、と同じです、誰が過ちを犯したんだ??

 でも、学校では聞いたような記憶があるんです。
 「日本中の働いている人に感謝する日だ」、って。
 それで
 「働いてない、おじいさんや働けない人は??」
 なんてことを思いました。昭和三十年代の終わり頃のことです。戦争に負けて二十年足らずの時です。
 「三つ子の魂百までも」とは言うけれど、戦後教育を受けた者に、とにかく「??」なことは山のようにありました。
 ただでさえ子供は「ねえ、ねえ。どうして?」の時期があります。その時に「道理」とか「物の感じ方」を学び始める。
 ところが戦後教育は、基本、「戦前の否定」、なわけですから家庭で習った「筋」を学校で否定することが往々にして、ある。
 (「東アジアの国々を解放するための大東亜戦争」が「軍部の独走による無謀な太平洋戦争」、とされたことなど)
 筋が二本でクロスオーバーしてるんだから頭の中は「???」になる。何を信じればいいんだ?

 だから「祝祭日」と言ったら「祝祭日」であって、まさか「祝日と祭日を合わせて祝祭日」と言ってるんだなんて。考えもしなかった。
 知らなかった、考えもしなかったくらいだから、
 「祝日と祭日、どう違うの?」
 なんて聞かれたら、「???」、で、
 「いいや、別に。休みだから!」

 「祝日とは、日本の祝日」、と書いてある記事を見たことがあります。噴飯ものですね、今見ると。まさか外国の祝日のこと、なんて誰も思やしないだろうに。
 で、「祭日」は、となると「祭日とは日本の祭日」、なんてことは書いてない。祭日の説明は、ない。
 あったとしても「祭日とは、祭りの日のこと」と書いてある。わかっとる、っちゅうねん!

 「祝日は国が定めた祝賀行事を行う日」。「祭日は国(正確には天皇)が祭祀を行う日」
 祝賀行事を行うのが祝日。祭祀を行うのが祭日。政府(政治)主体が祝日、天皇主体が祭日、と言ってもいいかもしれない。
 となると「勤労感謝の日」、じゃ、どちらかさっぱりわからない。
 けど「新嘗祭」と言えば、祭日だと分かる。「~祭」とありますから。

 今年の農作物の豊穣であったことを、天皇が国民の代表として神に献上し、奉告して、神前で神に感謝しつつ共に食される。
 「勤労者」に、ではなく、「神」に感謝する祭りが「新嘗祭」。

 でも、GHQによって出された神道指令により、天皇が祭祀を行う「祭日」は、全て廃止されたわけですから、「神に感謝」、ではなく、「(神である)天皇が全国の勤労者に感謝する」、という「天皇と国民が対立(対面)する、という形にしてしまった。
 巧妙ですね、やり方が。アメリカ人ってこんなに狡猾だったんでしょうか?
 とてもあの能天気なアメリカ人の発想からとは思えないんですけど。
 アメリカの選挙は火曜日だったんじゃなかった?「伝統なんだ」、とか言って。日曜日は教会に行かなきゃならないから、その後で遠くにある投票所まで、馬車で行く。(どんだけ遠いんだ!)
 工夫、摺り合わせ、なんてことはしない。目的と目標は重なっていて当然、みたいな国民性ですから、こんな姑息なことは考えないだろう、と・・・・。あっ、脱線した。

 まあそれはそれとして。
 「新嘗祭の当日まで、新米は食べない」
 という敬神の念篤い方も段々に増えて来られたようで、日本にまた日が昇り始めたような・・・・。
 ですが、何しろ品種改良も進み、ハデ干しもしない、稲わらも刈った端から細断してしまうというやり方が一般的になり、で昔よりも早く、新米、新穀が出回ります。だから新嘗祭まで待つ、というのもなかなか大変です。

 それよりも、書いてきた通り、11月23日は「祭日」、なんですから。
 祭祀を行うのは天皇陛下で、我々はその後ろに並んで敬礼(本当は最敬礼ですけどね、腰が痛くなります)をしている心持。実際に陛下の後ろに並ぶことはできませんし、陛下は代表として祭祀を行ってくださるんですから、我々は安心していればいい。

 だからどうでしょう、普段は合掌して「いただきます」、と食物に感謝しているでしょう?
 新嘗祭の日だけでも、「食物に感謝」ではなく、「神様に感謝」しては?
 新嘗祭の時は「合掌」ではなく、(神社にお参りするときは二拝二拍手一拝だけど)膳に向って一拝一拍手という正式な拝礼をしてみる、なんてのは良いかもしれません。

 もしかして、「何だ!合掌もしないで、手を叩くとは!行儀の悪い!」と怒る人が出てくるかもしれません。
 そしたらしめたもの。
 「え?これは正式な拝礼なんですよ」
 などと話を始められる。
 「今日は新嘗祭ですからね~~」って。


 三年前に書いた日記の一部を転載します。↓
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                                   2012.11/23 (Fri)
 ~~何となし、我々戦後生まれの日本人には、難しい話は「難しい言葉を遣わず、できるだけ分かりやすく噛み砕いて説く」または、たとえ話のようなつもりで、「言い換えて、感じが伝わるようにする」という、最善の策ならぬ次善の策に力を注ぐ傾向があります。
 初めから難しいことは分かる筈がないから、と諦めて、何でもかんでも「ほどほどが良い」で、納得してしまう。

 難しいことは、時が来れば、習練を積めば、分かるようになります。それを初めから簡単にしてしまえば、誰もそれを進めようとはしなくなる。「円周率を3とする」ようなものです。

 そんな考え方が、「新嘗祭」を拡大解釈したら「勤労感謝の日」となった、というような妙な納得の仕方を、現日本の常識にしてしまっている。
 そういうこともたまには考えてみる。 
 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 で、今日は11月23日。今、午後5時半。
 今になって国旗を掲げることを忘れていたことに気が付いた!
 痛恨の極み。
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気分が大事(千木と勝男木)

2020年11月01日 | 神社
 以前に書いた日記です。

 ・・・・・・・・・・・・・・
  思いついたことを一つ。
 思いついただけです。だから今日は(今日も?)薄味です。

 でも、実はこんな時こそ当人の心情が出て来るものです。

 私はいつも他人様の言葉を借りて、昔笑福亭釣瓶がやってた「突然ガバチョ!」の中の「いきなりにらめっこ!」の指摘マン「ワシもそう思う博士」みたいな尻馬に乗った言葉を発していますが、その際でも、私なりの根っこは動かないと自負しています。私なりの根っこ、それはこれまでにつくって来ただろう感性です。

 そして、その感性を「本当に日本人の感性だろうか?」と自問自答し続けるということは続けています。
 それは物を知らないおっさんの、絶対に譲れない、「最後の一線」、です。


 さて。
 キリスト教の教会、仏教の寺院、神道の神社、と、俗に「宗教施設」という呼称で一括りにされるものでも、それぞれに成立理由は違うものだから、趣もそれぞれに違います。
 教会は司祭が、天国、神の国について話をするところで、その建物は神の国である天上へ人々の目が向くように高くそびえたっている。尖塔を有するのがその特徴です。
 対して仏教の寺院はというと、極楽浄土というのは己が心の中にあるものだから別に天に向かう必要はない。
 却って心の中だから、と、寺院は空、天、ではなく心の中を見るように、と仏像を安置し内観を心掛けるために、修行の場(道場)の体裁をとる。

 では神道ではどうか。
 神社は元々社殿などはなかったというのは、御存じの通りです。
 神は「上」であって、光は上から降り注ぐ。或いは水は上から流れてくる。
 だから、その光に照らされたものがそのまま神の依り代だったりする。(桃太郎が上から流れてくるのも同じかもしれませんね)
 そうそう、滝(垂水)も神の依り代でした。

 勿論、光そのものが神です。キリスト教のように光があって影が生まれたというような相対的な発想はない。光だけ、です。
 それ故に鏡を神の依り代とすることが多いのでしょう。
 けれども鏡というものは光が当たらなければ光らない。そして光はいつもあるわけではない。
 光のない時はどうする。
 光がない時は「光あれ」と思う。これが「清明正直」でしょう。
 「清く明かく正しく直き」心です。常に前向きの心持ちです。

 そんな風にいつも光を、つまり、「上=神」を意識して生きる。
 それが神道であり、だから社殿はその象徴であるはずです。

 日本人はお寺と神社、どちらも大事に思うのが普通でしょう。
 だけれども、何となくその両者の建物に対して、同じ「大事」と思いながら、何だか違った印象というか、感情を持っていませんか?
 やっぱりここまで書いて来たように、お寺では自分を真面目に見詰めるような気分になって、神社ではただ何となく「有り難いな」と思うだけだったりしませんか?何にも考えない、いや考えられない。
 「圧倒されて願い事なんかできなかったよ」と、以前ビートたけしが内宮へ参拝に行った番組で言ってました。

 厳粛な?(敬虔な?)気持ち?
 これこそが「かしこむ(かしこまる)」、だと思います。あれですよ、祝詞(のりと)のおしまいに出てくる「かしこみかしこみまをす(恐み恐み、または畏み畏み曰す)」という決まり文句。
 畏(かしこ)まる気持ち。
 畏れ多いから、だらしない格好やだらしない、いい加減な気持ちでは向かえない。
 それをビートたけしは
 「圧倒されて願い事なんかできなかったよ」
 と照れ隠しに言ったんじゃないかな、と私は今でも思っています。
 あ、脱線しました。

 戻ります。
 お寺を見た時と、社殿を見た時と、では、「感じ」、「思い」が違う。見ただけで、です。何故かしら感じるものが違う。
 空に向かう教会や、静かに瞑想しているかのようなお寺の建物。
 神社の社殿はそのどちらとも違う感じがある。
 何だろう。
 そう思っているうちに、
 「地にしっかりと立っては居るものの、空への高さも感じさせる、神社の社殿独特の形にあるんじゃないか」
 と気が付きました。

 神社独特の形。・・・なんて言って、そんな大袈裟なものじゃない。
 「千木」です。そして鰹木(勝男木)です。
 何という事もないもの。本来は屋根の始めになる棟にX型に括りつけられた木材の先端です。
 後にはわざわざX字型の大きな組み木をつくって、棟の上に実用の意味など全くないのに取り付ける。
 そしてこれまた、本来は屋根を葺いた萱などが風で飛ばぬように重石の代わりに括りつけられた丸太棒を実用の意味などないのに今でもわざわざ載せる。

 でも、このX字の組み木が、また、和太鼓の胴のような形をした勝男木が、見る者の心に大きく映るのではないか。

 大祓(おほはらへ)の祝詞に
 「~下(した)つ磐根(いわね)に宮柱(みやばしら)太しき立て、高天原(たかあまのはら)に千木(ちぎ)高しりて~」
 とあります。

 「強固な岩のような地に太い宮の柱を立て、高天原に届くかのように千木を高く組んで~」
 ということは
 「地に足をしっかり踏みしめて、天にも届けよ、と立つ」
 、或いは
 「天壌無窮(天地に窮まりなし)」
 という、その形。
 早い話が、「弥栄えに栄える」という末広がりの心持ちを千木が表し、拡「散」せず、拡「充」の気持ちを勝男木が表す。千木と勝男木はその象徴ではないのか。

 こんなことをごちゃごちゃ書かなくたって、誰でも神社の社殿を見、同時に棟の上の千木や勝男木を目にしたら澄明な気を、清らかな気分を感じるのではないか。

 人の心の初め、というのはこんな単純なものなんじゃないでしょうか。

 そして
 「その感応力で、世の中を見る」。


  2014年1月31日の日記より 
 
 蛇足ですが。
 「神社仏閣」というところを「寺社仏閣」というのは間違いです。「寺社」或いは「社寺」だけなら分かるけど、そこに「仏閣(仏教の建物)」だけわざわざ付け足すのは変でしょう。建物があろうとなかろうと神社だから、神社を意味する言葉を創出して付け足すのも面倒な話。
 まあ、最近の「何なら」と同じで、ちゃんと意味を考えないで聞きかじりから使い始めたことなんでしょうけどね。
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国民が動くから、政治家は動かざるを得ないのである。

2020年06月15日 | 神社
2013.10/17 (Thu)

 「政治家を批判すれば政治家が動き、そして国民が動くと考へるのは大間違ひである。」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 冒頭の文は以下に転載する文中の言葉です。
 例によって、つい流し読んでしまいそうになりますが、
 「政治家を批判」→「政治家が重い腰を上げる」→「国民が動く」
、のだとしたら、政治家を批判するのは誰か。国民?いえいえ。
 こりゃ、やっぱり政治評論家、ということでないと、話がおかしくなる。

 じゃ、「政治評論家が国を動かすのだ」、となって、「政治評論家が一番偉い」、という事になってしまいます。
 でも、民主主義の国ですからね、国民が一番偉い、という事でなけりゃ辻褄が合わない。
 そうなると、国民が動くから、その手先、マジックハンドとしての政治家が、国民の意志通り行動する、というのが当たり前の形になる。

 で、間違っても総理大臣や、閣僚が「国民の代表として参拝」、なんかするものじゃない、と。確かに、これ、道理です。


  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 マスコミの中には、何でもかんでも政府が悪い、麻生が悪い、挙げ句の果てには、「天変地異」まで政府のせいだ、とする輩が冗談ではなく出てきたやうである。東名高速の復旧が遅いと罵り、地震警報が間に合はなかつたと誹る。
 世界の何処に、陥没した高速道路を僅か数日で修復させる国があるといふのか。地震の初期微動を感じ取つて、本震前に国民に警告するなど、想像すら出来ない国がほとんどであらうに。
 そんな計算も出来ないから、自社の経営状況も分からず、読者が何を望んでいるかも分からず、明日破綻することも分からず、営々と駄文を物して、この世の春を謳歌出来るのであらう。

               ★ ★ ★ ★ ★

 さて今一度、「靖國批判」の一方の典型である産経の「主張」の一部を引く。

 『首相が国民を代表して慰霊することは国の指導者としての務めだと思われる』

 この種の文章は、「保守派」と称する人達がしばしば、ほとんど何の疑ひも無く、書かれてゐるやうであるが、本当にこれは正しい主張なのであらうか。こんなレベルに甘んじてゐて、我々国民はよいのであらうか。
 最も問題視すべき言葉は、「代表」である。

 「甲子園大会出場おめでとう、諸君は県民を代表して云々」。
 なるほど、誰でも甲子園に行けるわけではない。八百屋のおじさんも、魚屋のおばさんも、みんなで応援することは出来るが、その土を踏めるのは選ばれた者だけである。これは確かに「代表」である。「代議士」といふ言葉にも、この意味での「代表」が含まれてゐる。
 要するに「代表」とは、誰かの「代理」であり、時に「シンボル」の意である。

 しからば「靖國参拝に代表が必要か」。
 我々はある程度の交通費と二本の足があれば、誰でも何時でも志一つで「靖國神社」に詣でることが出来る。
 選ばれた者のみが土を踏める甲子園とは違ふのである。専門知識も無くそれを為す暇も無い、一般の有権者の代理として選ばれた代議士とは違ふのである。

   我々は望みさへすれば、何時でも靖國参拝が出来る。

 ならば何故、その参拝に「代表」が必要なのか。我々国民こそが、先陣を切つて参拝し、「政治家よ、後に続け!」と云ふべきではないのか。
 いや、英霊の前では、民間人も政治家も、政府高官も、首相も何の意味も持たない、唯の今を生きる一国民に過ぎないのではないか。何の意味があつて、首相が「国民を代表」出来ると考へるのか。極めて馬鹿馬鹿しい話ではないか。
 先にも書いた通り、国民が率先して靖國参拝の環境作りをし、政治家がそれに続けばよいのである。二言目には「国民を代表して参拝する義務がある」などと云ふのは、全く自己の責任を他に転嫁する言動であり、それこそ「保守」の名に恥じるものである。

               ★ ★ ★ ★ ★

 正月三が日に、初詣参拝者が100万人を越える神社は幾つもある。
 ならば8月15日に100万人の国民が、九段下を埋め尽くせばよいではないか。 国民が靖國に対して、「初詣ほどの関心も無い」といふのであれば、誰が参拝したところで、状況は改善しないであらう。他国に侮られるのはこれまで通り、同様であらう。

 しかし、現実に100万人を越える人々が、早朝より静かに集まり、祈りを捧げ、そして静かに夜の闇に消へていけばどうなるか。
 その「奇跡の一部始終」が国際映像で報じられれば、如何なる国もその口を閉じるであらう。如何なる企業も、「参拝の是非云々」などと寝言は言はなくなるであらう。

 靖國参拝に「代表」は無用である。我々が参ればよい。地方の方は、それぞれの最寄りの神社にお集まり頂けばよい。
 ノートパソコン一台で、ライブ中継が出来る時代である。全国の有志が、様々な場所で時を同じくしてお参りをし、その映像を持ち寄つて、それぞれに思ひ出を語ることが出来るのである。簡易「パブリック・ビューイング」も出来るのである。

   ★初詣ベスト10(2009)
 319万人 明治神宮  (東京都)
 298万人 成田山新勝寺(千葉県)
 296万人 川崎大師 (神奈川県)
 277万人 伏見稲荷大社(京都府)
 251万人 鶴岡八幡宮(神奈川県)
 239万人 浅草寺   (東京都)
 235万人 住吉大社  (大阪府)
 235万人 熱田神宮  (愛知県)
 205万人 大宮氷川神社(埼玉県)
 204万人 太宰府天満宮(福岡県)

 識者と称する人達は、何故このことを指摘しないのか。
 何故、何でもかんでも、与党任せ、首相任せ、他人任せで、自分達だけは高みの見物を決め込むのか。
 先頭に立つて、かうした運動を展開させ、「靖國参拝100万人国民運動」を起こし、その結果を持つて、政治家と対峙しやうとしないのか。全く理解が出来ない。

 政治家を批判すれば政治家が動き、そして国民が動くと考へるのは大間違ひである。国民が動くから、政治家は動かざるを得ないのである。
 先ず批判すべきは「国民の怠惰」である。原稿が売れないことを覚悟して、それが出来るか否か、この点こそが、「保守派」を自称する人間の矜持でなければならぬ。

 多くの参拝者の列の中を、如何にも颯爽と本殿に向かひ、やんやの喝采を浴びることで自己満足せず、もつともつと裏方に徹して、全国民が自らの足で参拝し、心を一つにする、そのための予備的活動に従事されれば如何か。

               ★ ★ ★ ★ ★

 これも先の記事にも書いたことであるが、麻生首相が参拝されても、されなくても、その支持には全く揺らぎがない。
 首相の地位を「シンボル」と見倣し、「代表」といふ言葉の濫用を止めない人は、それはそれで結構であるが、霊前においては全く無意味であること、そして何より我々国民は自らの意志で立てること、「代表」など仰がずとも立派にその志を受け継げることだけは理解して頂きたいと思ふ。

 従つて、「代表」といふ言葉に執着した意味での靖國参拝に関しては、『国の指導者としての務め』ではない、といふのが一つの結論であり、同時に、「靖國参拝国民運動を展開せよ」といふのが一つの提案である(最初のターゲットは10月17日から20日までの四日間、「秋季例大祭」である)。

 選挙ともなれば「普段とは逆に」、如何にも政治家を見下ろして、有権者ここにあり、を強調される方が少なくないやうであるが、「ならば普段から」、政治家を従へて、その先陣を切るやうに、国民としての行動規範を変へやうではないか。

 自己責任を回避し、その責を全て他人や社会に求めるのが、左翼の現実である以上、参拝に「代表」を求めて止まぬ精神は左翼である、と断じることが出来やう。
 我々国民は「踏絵保守」ほど単細胞ではない。衣食住に忙しい「現実の世界」を生きてゐる人間は、自然と多面的である。「ワンビット」で政治が出来ぬことぐらいは承知してゐる。「何が保守」で、「何が保守ではないか」などといふ議論が、全く不毛であるとする所以である。

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 彼等「踏絵保守」が、この国のリーダーとして、掛け替へのない、まさに真の意味での「代表」として、獅子奮迅の活躍をして頂いてゐる首相に対して、一片の感謝の念も表しないのは、如何なる心根か。
 松本純・官房副長官のHPの記事には、去る11日未明、
 午前5時7分「駿河湾を震源とするマグニチュード6.5地震発生」。
 同10分「官邸危機管理センターに官邸対策室を設置。緊急参集チームが招集」。
 同15分・総理指示「情報収集に努め、被害者等がある場合には、救助に万全を期するように」とある。

 地震発生直後、多くの国民が、枕を持つて逃げやうか、布団を持つて逃げやうか、と寝ぼけてゐる間に、首相は既に緊急参集チームに指示を出されてゐるのである。
 首相が実現を目指す「安心社会」は、既にここにある。「代表」が、まさに「代表」として活躍する、そのことに国民は信頼をおき、心安らかに日々を暮らすことが出来るのである。
 当り前ではないことを、当り前のやうに実行してくれる人達がゐるからといつて、それに甘へ、思ひ上がるのはいい加減止めて頂きたい。

 今こそ、阪神淡路大震災発生時の政府の無力さを思ひ出し、このことの意味を考へるべきである。
 国家国民の緊急時に、深刻な表情だけ作つて奇麗事を並べ、実際の対応は後手後手に回る、「豆鉄砲食つた」やうな目附きの無能宰相だけは御免蒙りたい。

                (以下略)


 「靖國参拝考(後編):100万人の靖國参拝運動」
                                 2009.08.15

                        ~夕刻の備忘録より~


      http://jif.blog65.fc2.com/blog-entry-210.html

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 麻生総理から民主党政権に代わりました。
 H総理が伊勢神宮に参拝して、神宮のことを「伊勢神社」と言ったことを私は忘れられません。報道陣も誰一人として訂正しなかった。
 そんなだから、靖國神社に参拝を、なんて話はこれから先も出なかった。

 けど、今、安倍総理は????
 政治家を動かすのは国民です。
 ならば、政治家を動かさぬのも、また国民の筈です。
 麻生総理の時と、現総理と、状況はよく似ています。
 一つだけ違うのは麻生総理の時は後ろからも射掛けられたこと。


 今は・・・・・足元、石ころだらけ、かも・・・・。
コメント
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