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CubとSRと

ただの日記

民主党の質的変化

2025年07月30日 | 心の持ち様
 民主党高層部はカルト化。極左路線を暴走、自滅へ 
  アメリカ世論調査で「民主党」の人気が激減していた
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 ウォール・ストリート・ジャーナル最新の世論調査(2025年7月28日)。
 「あなたは民主党に好感を持っていますか?」
 「共和党はどうでしょう?」
 2022年まで民主党への好感度は共和党を上回っていた。23年に逆転。直近の調査では民主党への好感度はさらに低下した。逆に共和党の人気は上がったことが分かった。

 1990年代、民主党が「好ましい政党」と答えた有権者は63%だった。2025年には33%に激減した。民主党の極左路線を嫌ったのだ。2023年のギャロップ世論調査は、すでに民主党支持率が37%しかないことを伝えていた。

 民主党は危機的状況に陥っている。党の多数派は穏健リベラルだが、執行部を極左が牛耳っており、このままでは自滅に向かうしかない。
 
 党幹部が極左WOKEへの傾倒を強めると、党の支持率は急落する。
 ところが同時に党内では、社会主義、マルクス主義、アメリカの価値観の破壊を唱える党員が増加しており、相対的にみると、ますますの低落傾向があきらかとなる。組織の分裂状態が露呈している。

 極左諸団体はトランプ大統領批判の運動を複数展開してきた。かれらの思惑ではこうした反トランプ運動が、2026年の中間選挙で下院での多数派を回復するのに十分な力を持つという計算があった。
 有権者は別の反応を示した。
 たしかに有権者はトランプ大統領の経済、インフレ、関税、そして外交政策への対応に不満を抱いているが、議会に於ける言論を通じて、有権者は依然、民主党よりも共和党を信頼しているとする数字がでた。 
 トランプの乱雑乱暴に見える政策に反撥もあるが、かといって民主党支持にはならない。

 民主党内のパワーリーダーが不在、オバマ、ヒラリーは過去のブランド。現在、民主党がまったく無意味な、社会主義的な方向へ向かっているという危機感を認識するだけの知性を持つエリートが民主党内で少数派だから内部崩壊が近いともいえるだろう(エリートの多くは共和党へ鞍替えしました)。

 この構図は日本にも似ている。
 自民党の支持率急落は、自公連立の親中路線にあり、公明党というカルト的セクトが、自民党の中国外交を引っ張っていることに、有権者が反撥したのではないのか。それが「日本人ファースト」の大躍進となり、中国批判の無所属女性が、既成政党とならぶほどの得票を挙げた。
 ☆○◎☆み◎☆◎○や○☆◎○ざ☆○◎☆き☆◎☆□  


 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
      令和七年(2025年)7月29日(火曜日)弐
         通巻第8888号 より
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ため息

2025年07月29日 | 心の持ち様
 BOOKREVIEW 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 堂々1000ページの浩瀚、一気読み出来ますか?
   詐(いつわ)りの日中友好の残骸がイシバ親中政権だった(本質は左翼ボンボンだった)

 櫻井よしこ『親中派 80年の嘘』(産経新聞出版)
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 日中関係とは何だったのか? いきなりガツンと一撃される。
 「中国の思い通りにさせれば、我が国は中国に呑み込まれ、支配されてしまうとの危機感」が執筆動機だという桜井女史は「残念ながら問題の多くにおいてわが国は劣勢に立たされてしまった。私のなかの危機感が薄らぐことも、心が安らぐ要素も、残念ながら、今はない」 
という絶望的状態となった。

 安倍晋三は習近平に対して言うべきことはちゃんと言った。ウイグルの人権弾圧に触れ、尖閣問題では「わたしの島に手を出すな」と言ったのだ。
 しかし安倍外交はもはや消えた。気概のある政治家も外交官も不在である。
 日本は騙され続けた。その実態を知るのは日本人として苦痛以外の何物でもない。
 国交回復から半世紀を経て、パンダブームの影に隠れてしまったが、日本の善意は骨の髄まで中国にしゃぶられた。贖罪意識という「かれら」が日本人に植え込んだ心の病が、そうさせた。精神が操られてしまったといえまいか。

 戦後八十年、日本は国家百年の大計を忘れた。外国のパワー増長に骨身を削って、肝腎の日本は痩身、栄養失調、活力を喪失した。
 この趨勢が続くと二〇五〇年に世界GDPランキングで米国、中国、印度、ドイツ、英国となり日本は第六位に、二〇七五年に日本はGDP世界11位に転落し一人あたりのGDPでは45位になるという(日本経済研究センター予測、日本経済新聞、25年4月19日)。
 田中角栄が訪中して日中が国交を回復して以来、日本の底なしの善意は徹底的に北京に利用され、経済支援、技術協力の結果は中国を軍事大国に押し上げることに費やされた。すべてが悪用された。
 国益を考え、国家百年の計を思慮すれば中国に何をなすべきであり、何をなしてはいけないかの判断はできる。

 だが、田中角栄のような利権政治家には土木事業の発想しかなかった。
 ものごとを深く考えない人が、ものごとを戦略的に考える人のところへいくのを「飛んで火に入る夏の虫」という。
 マオタイ酒ですっかり酔わされて、結果的に田中角栄は売国的行為に突っ走った。する必要の無い賠償の代わりに日本が自ら進んで中国に供与した貴重な国民の血税、そして中国への無償援助である。
 日本の対中支援額は有償資金協力(円借款)が約3兆3千1百65億円、無償資金協力も累積で同額。技術協力が1858億円である。

 所謂「残留孤児」の引き取りは、同胞救済、人権という立場から言えば当然の帰結ではある。
 しかし偽造書類によって「育ての親」とか「親戚」を名乗る中国人およそ10万人が日本に移り住んだ。大半が日本語をならう意思もなく生活保護に頼った。
 こういう善隣外交の裏面で起きたことは中国に徹底的に毟られ、絞られることだけだった。

 日本に在留の中国人は87万、留学生をなのる若者が11万、そのうえ毎月2000名を超える中国人が日本に帰化している。
 この国を立て直し、不法中国人を強制送還する政権の誕生を望んでいるのが、今回の参議院選挙の結果ではなかったか?

 本書は堂々1000ページの浩瀚、読了に三日と踏んだが、一日で読み終えた(仕掛けをいうと大半が週刊新潮の連載だったのですでに読んでいたから。ダイヤモンド誌に連載分を一気読みした)。

 ともかく詐りの日中友好、53年。その残骸がイシバ親中政権だった(本質は左翼ボンボンだった)


 「宮崎正弘の国際情勢解題」 
      令和七年(2025年)7月28日(月曜日)
         通巻第8886号  より
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文献に基づく学術書であるかのごとく その2

2025年07月28日 | 心の持ち様
 先日の茂木弘道氏の書かれた書評の続きです。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 (読者の聲3)
『反日レイシズムの狂気』―ジャパンズ・ホロコーストの正体を暴く(その2)

第1章 著者の驚くべき「日本人観」
 「広範な調査によると、日本は1927年から1945年まで、18年間にわたって“劣等民族”を絶命させようと少なくとも3000万の恐ろしい大量虐殺を行った。」(p. 190) というおどろおどろしい虚説を学者(リッグ)が本気で主張しているのがこの『ジャパンズ・ホロコースト』です。
 これは、リッグのとんでもない日本人観に基づいています。

 「(日本人は)自分たちが神々の直系の子孫であり、神々の一人に支配されているという独我論は、極端なエゴイズムを助長し、まさに自分たちは神の許しがあると信じていたからこそ、近代の如何なる権力も行ったことがないような最もグロテスクな残虐行為を喜んで行う国民を生み出した。」(p.25) というのです。
 我々日本人にとっては、考えたこともないような人間にされてしまうのです。

 日本は1919年2月13日、パリ講和会議で世界で初めての「人種差別撤廃提案」を行ったという事実を知らない無知な学者であることを暴露しています。表決では、賛成11対反対5と賛成多数を獲得したのですが、非長のアメリカ大統領ウイルソンによって「満場一致でない」という理由にならない理由により却下されてしまいました。
 日本はその後、人種差別撤廃を推進し、1943年11月6日、アジアの独立国6か国とインド仮政府が参加した大東亜会議において「大東亜共同宣言」が採択されましたが、その第5項において世界で初めて「人種差別撤廃」が謳われたのでした。
 杉原千畝のユダヤ難民6000名を救った話はよく知られていますが、樋口喜一郎少将は2万人のユダヤ難民を救済しています。これらは、日本が「人種差別国」どころか、人種差別撤廃に最も熱心に貢献した国であることを示しており、リッグの日本人観が全くの虚偽であることを証明しております。 

・日本語原本『反日レイシズムの狂気』(ハート出版) :https://amzn.to/4jydD5N
・第1章(英訳文): https://www.sdh-fact.com/CL/antij2e.pdf
    (茂木弘道)


 
「宮崎正弘の国際情勢解題」 
      令和七年(2025年)7月27日(日曜日)
         通巻第8885号
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文献に基づく学術書であるかのごとく

2025年07月25日 | 心の持ち様
 
(読者の聲1)
『反日レイシズムの狂気』―ジャパンズ・ホロコーストの正体を暴く

その1 まえがき
 日本は先の戦争でナチスを大きく上回る3000万人を虐殺したと主張するトンデモ本が昨年3月アメリカで出版されました。
 著者のリッグはケンブリッジ大学で博士号を取得し、アメリカの軍事大学、ウェストポイントの陸軍士官学校で歴史を講義するなどしていまして、トンデモ本とほうっておくわけにはいきません。しかも、1564もの注を付け、さも文献に基づく学術書であるかのごとく装っておりますので、なお更です。
 リッグは日本人に対する途方もない偏見と差別意識(レイシズム)を抱いており、それに基づいて、日本人・日本軍の行動をイメージし、解釈し、断定していくのですが、本書ではそれを「包括的に」暴露していきます。

 いかにそれが、事実とは無縁な幻想・思い込みであるか一例をあげますと、リッグは163ページで、「ある調査によれば、推定20万人の『慰安婦』のうち、悲惨な運命を生き延びたのはわずか10%だった。その多くは内出血や戦闘地域内、あるいは病気のために命を落としたが、もはや役に立たないと判断されると、加害者たちによって冷酷に殺害された」と書いているのです。まるで、日本は無法の横行する前近代的な犯罪国家であったかの如くです。

 しかし、事実はまるで違います。慰安婦が役に立たなくなったと言って殺したりすれば、軍法会議で死刑に処せられることは必然です。
 そもそも慰安婦が強制連行された、ということは文献でも、それを見たという証言者もゼロ、という事実に全く無知であるからこそ、リッグはこのようなことを恥ずかしげもなく言っているわけです。
 さらにいえば、慰安婦は業者と契約し、多額の前払い金を受け取って、慰安所へ働きに行っていたという基本的な事実にも無知であるということです。
 そのことはラムザイヤー論文に明記されていますが、アメリカ軍の捕虜尋問書(20人の慰安婦に尋問)にも載っています。

 ジャパンズ・ホロコーストの正体を暴く本書『反日レイシズムの正体』(ハート出版)は、トンデモ本が、どのようにしてウソを積み重ね、3000万虐殺を捏造して行ったのかを徹底的に明らかにします。英訳文をつけ、章を追ってこれから紹介していくことに致します。
・日本語原本『反日レイシズムの狂気』(ハート出版) :https://amzn.to/4jydD5N
・まえがき(英訳文): https://www.sdh-fact.com/CL/antij1e.pdf
    (茂木弘道)


「宮崎正弘の国際情勢解題」 
      令和七年(2025年)7月24日(木曜日)
         通巻第8881号 より


 (・・・・これから数回転載をすることになりそうです。)
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こんな日記を書いていた

2025年07月24日 | 心の持ち様
 昨日ネットを見ていたら、或る評論家がこんなことを言っていた。
 「総理大臣たるものが日本のことを『この国を動かす責任が~』と言っていた。自分の国のことをしかも総理大臣が『この国』などと他人事みたいに!」。
 自民党新ポスターに書かれたキャッチコピーは「この国を動かす責任がある」。

 確かに「我が国」と言わず「この国」というのには大変違和感がある。
 以前にそれを日記に書いていた。
 ということで、今回はそれの再掲を。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 2014.07/30 (Wed)
 
 日本のことをまるで外国人が言うように「この国」という。
 この表現の仕方自体はいつ頃からあったのかは知らないが、世間に広がったのには司馬遼太郎の発言が大きく係わっていると思って間違いないだろう。
 温度、体温?親密度、だろうか、「我が国」と言わず敢えて「この国」ということによって何だか距離を取っているように見える。
 こういうことによって冷静・客観的に見ているような感じだけれど、見下すとまではいかずともあまり温かみは感じない。

 政治家に必要なのは冷たい血だと言うけれど、小説家に必要なものであるとは言えまい。
 政治家は理想の社会をつくるために働くのだが芸術家は理想の社会を描くために働くのだ。
 しかし理想を現実のものとするためには冷たい血が必要ながら、その基となる絵を描くには熱い血が必要だ。
 そうなるとやはり政治家も「この国」ではなく「我が国」、だろう。

 ここ数年耳障りになって来ている政治家の「この国」という表現が違和感なく聞けるのは、平沼赳夫議員くらいのものだろうか。
 あとは上滑りにしか見えない。言葉の「馬子にも衣装」だ。

 ついでながら司馬遼太郎の名前は当然本名ではない。
 元々が兵庫県の三木の出身で「三木」と言うらしい。
 三木城の合戦で鳥取のカツ江さんと同じく秀吉の兵糧攻めに遭い大阪に逃げ延びた敗残者の子孫なのだそうだ。
 これまた当然みたいなことなのだが三木は別所氏で、だから三木に「三木」さんはいない。
 だから司馬もずっとそう思い込んでいたけれど、余りにも迂闊だったと恥ずかしがっている。(戸籍上は福田、らしい)

 「司馬遼太郎」の「司馬」は「司馬遷」の司馬。「遼」は「遼(はる)か」、「太郎」は日本人の一般的な名前。
 「司馬遷」に「遼」かに及ばぬ「一日本人」と言う意味なのだという。
 勿論、司馬の謙遜だろう。その謙虚さで歴史を見たいということなのだろうとは思う。
 しかしそれに重ねて「この国」という言葉を多用されると、氏の歴史の見方は日本人でありながら日本を数十センチ乃至は数十メートル上から見下しているような温かみのないものかもしれない、と思ってしまう。


 今回西村眞悟氏は日記でこんなことを書かれている。
  ↓
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

                   (略) 
 
 番組の冒頭、あの司馬さんが語った。
「終戦の日、なんという馬鹿なことをしたのだろうかと思った」
 この「衝撃」が、
 小説家司馬遼太郎の「原点」であると彼は語り、NHKの番組も、この「原点」に基づいて流れていった。

 大東亜戦争ーなんという馬鹿なことーをしたのだろうか、というのが司馬遼太郎の小説の「原点」ならば、彼は、我々が現在、そこから脱却しなければ我が国家の存続を確保できないと思い定めている「戦後という時代」の代表的作家である。即ち、「国民的作家」だ。

 学生寮に住んでいた二十歳代の頃、司馬遼太郎の「龍馬が行く」や「坂の上の雲」また「国盗り物語」などをよく読んだ。
 三十歳代の後半に入った頃、馴染みになったキタ(大阪の繁華街)のスナックのカウンターに座っていると、顔見知りの初老の紳士が、司馬遼太郎の、言うてること、だんだん鼻についてきたなあ」と言った。
 その人は、司馬遼太郎と同じ世代の方だった。私は、世代は違うが、「鼻についてきた」というその方の表現が実に適切だと思った。
 司馬さんと同じ世代は、陸軍士官学校でいえば、五十六、五十七および五十八期であろう。
 私の知っている陸士のこの期の人々は、岳父も含めて戦争のことは語らなかった。そして、司馬さんもNHKの番組で、戦争のことは語らなかったと言われていた。
 しかし、司馬さんは、実に、実に、よく語ったではないか。
 何しろ、「なんと馬鹿なことをした」=「敗戦の衝撃」が、小説家司馬さんの「原点」なんだから、必然的に彼の小説は、如何に「馬鹿なことをした」かを、繰り返し繰り返し、バッハの曲のように奏でることになる。
 それは、つまり、司馬さんと同世代の従軍兵士や戦死者が「馬鹿なことをしたなかで死んでいった」と繰り返すことに他ならない。
 スナックのカウンターで、司馬さんの同世代から、「鼻についてきた」と聞いたときから、自然に司馬さんの講演や評論に触れなくなった。そのうちに、我らはこの「国民的作家」を失った。

 とはいえ、司馬遼太郎は、私の二十歳代によく読んだ懐かしい小説家である。
 特に、三島由紀夫が市ヶ谷台で自決した翌日の毎日新聞朝刊に掲載されていた司馬遼太郎の評論の鋭さには舌を巻いた。抜群の力量であった。
 それで、NHKの放送があった翌日、本棚に司馬さんの随筆「ある運命について」があったので取り出して少し読んだ。
 冒頭の広瀬武夫を描いた司馬遼太郎独特の表現が「鼻につく」という表現を思い返させてくれて懐かしかった。
「広瀬は単に存在したのではなく、濃厚に江戸期を背負っていた・・・それらが発酵し、さらにくだって明治中期までに成人したひとびとのなかでさえしばしばそれが蒸留されつづけていることを見出す。そのうちの一滴が広瀬であると思うと、彼の精神のひびきを伝える詩文は、すべて後世においてもはや再生されることはない。」
 
 次に、「旅順と日本の近代の愚かさ」という表題の随想。
「日露戦争における旅順要塞の攻撃というのは、日本が西洋の思想と、知識でもってではなく肉体でもって激突した最初の体験といっていい。」というこれまた独特の表現で始まる。
 そして、続く。
「軍人というものが戦争の専門家であるとすれば、なぜこんなばかな戦争指導をしたのか、いま考えても薄気味悪いほどの無能さというほかない。」
 これ以降は、読むのを止めた。読まなくとも分かる。

 なお、戦車隊の士官となった司馬遼太郎さんは、陸軍戦車学校に学んだ。その時の教官は、池田末男大佐だった。
 池田大佐は、司馬さんが「なんと馬鹿なことをした」と慨嘆した終戦時、千島最北端の占守島にいた。そして、池田大佐と彼が率いる六十四両の戦車を擁する戦車第十一聯隊には、司馬さんのように「慨嘆」に浸る暇はなかった。翌々日の八月十七日、ソビエト軍が約一万の兵力で占守島に武力侵攻してきたからである。
 池田末男大佐は、聯隊を率いて勇戦奮闘して戦死する。
 龍馬を描き、日露戦争における秋山好古を描いた作家である司馬遼太郎は、何故、終戦後に北の果ての孤島で敢闘した勇者、戦車学校の教官であり戦車第十一聯隊長池田末男大佐を描かなかったのか。
 これを司馬さんに聞いてみたい。

 これから、司馬遼太郎さんに関しては、「台湾紀行」をはじめとする「街道をゆく」シリーズだけを読み返してみようと思う。

                  (以下略)

        「ここ数日に感じ、また語ったこと」
                    
                  ~眞悟の時事通信より~

 http://www.n-shingo.com/cgibin/msgboard/msgboard.cgi?page...

 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ここからは私の日記の再掲です。
     ↓
 大阪外語大蒙古語学科を出た三木青年は「史記」を書いた司馬遷に「遼(はるか)に及ばぬ日本の男子(太郎)」、という意味から司馬遼太郎と名告って小説を書く。「日本はどこから道を間違えたのか」、と。

 そして日清戦争の時は洋々たる希望を胸に生きていたけれど、日露戦争の辺りから怪しくなったのではないか、と思い始める。

 軍神と讃えられた乃木将軍に凡庸の将という評価を定着させたのは司馬遼太郎の力、と言っても良いかもしれない。

 かれはいつも人間の目より高いところから人を見る。数十メートル高いところから人の展開する歴史を見る。
 「我が国のかたち」ではなく、「この国のかたち」を見る。「この国のかたち」として日本の過去、現在、未来を、そして人間の関わり合いを掴もうとする。
 「岡目八目」だ。確かに見える。だが切実さはない。離れている分、体温の温もりが伝わらず分かりにくい。
 「悲惨な戦争」を見て、感情的に反戦主義者になった風ではない。

 けれど日本から一歩離れて(少しの高みから)見ることが歴史を掴むことを可能にはしたものの、「さて、それではこれからどうする」といった「熱情」は生まれるべくもない。

 
 「この国」という言い方はそういうことなのだ。冷静に客観的に見ている雰囲気がある。
 「自国に対して劣等感を抱いてきた」、或いは「他国に対して申しわけないことを先祖がやって来た」という意識を抱いてきた者は、無意識のうちに自国を客観視することをよしとする。「思い遣っている」わけだ。
 ただし深層の話だ。当人は気がついてない。



 今、急激に「この国」という評論家的姿勢の人が増えている。
 幾多の売国法案に危機を感じるのは、底流に「この国」と見る人の増大があるからだ。

 追 「鳥取のカツ江さん」
 全国でゆるキャラが流行った時、「鳥取でもゆるキャラを」ということでキャラクターを公募したことがある。それに対して兵糧攻めにあってがりがりにやせ細り、魚の骨を手にした何とも悲惨なキャラクターデザインが応募作として出された。注目はされたもののキャラクターとしてはふさわしくないとされ、落選。それに対して「一定数の支持があるのに落選させていいのか」と問題になった。
 「カツ江さん」の名は「兵糧攻めに遭って飢えている(飢える=かつえる)」から付けられた。




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