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美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

津市の昔の地名~常磐町(津市北丸之内)

2016-06-26 21:15:59 | 津のこと

(朝日屋精肉店の裏)

津市北丸之内、朝日屋精肉店の裏に回ってみると、
意外にも朝日屋さんの建物は、それほど奥行きは無くて、
建物の裏はすぐ道路になっていることが分かります。

この朝日屋さんの裏の道路の両脇が
かつて「常磐(ときわ)町」と呼ばれた町内でした。


(割烹 魚磯)

これまでにこのブログで紹介した、
津の昔の地名の多くは、
江戸時代になって津の城下町が形成されたときに
そこに住まわされた武士や町人の職業や出身地に
因んだものでしたが、
今回の「常盤町」はそれよりももっと時代の新しい町名です。

江戸時代のこの辺りは「塔世」と呼ばれていました。
現在も塔世橋という橋の名前に残っていますが、
概ね、京口町から安濃川までの伊勢街道沿いが
「塔世」だったようです。

ちなみに、
「塔世」の北、安濃川の対岸は「塔世村」という名称でした。



その後、明治22年に市制が施行された時点ではまだ「塔世町」でしたが
その2年後に「常磐町」となっています。

この町が永遠に繁栄するようにとの願いを込め、
「常磐」と名付けたということです。


(お惣菜 平野屋)

江戸時代の初期には、
安濃川の河原で罪人を処刑したという記録があることから
その当時の「塔世」も荒涼としていたものと想像します。
しかし、明治初期には、
河岸付近まで商家・民家が密集するようになりました。

「松阪てつどうかん」に明治初期の塔世の写真が掲示されており
上記の様子を知ることができます。

鉄道模型を見ながらランチ~松阪てつどうかん(松阪市日野町)

この繁栄がいつまでも続くようにと願った、
というのも納得できます。



朝日屋さんの裏には、喫茶店が2軒あります。

喫茶ペパーミント(津市北丸之内)



常磐町の西には、玉置町、釜屋町などがありました。
これらも、現在の地図からは消えてしまった町名です。

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