美里町の探検日記GP

津市美里町(旧美里村)に住んでいるコレクターです。コレクション自慢(?)のほか、津のこと、美里のことも書いていきます。

来迎寺(松阪市白粉町)

2016-09-02 21:15:17 | 三重のこと


松阪市平生町(ゆめの樹通り)のファミリーマートから
市道を西へ入ると、昔ながらの街並みの中に、
「松阪で有数の名刹」と呼ばれる来迎寺(らいごうじ)というお寺があります。

来迎寺は天台真盛宗の寺院です。
山号は教主山、院号は無量寿院、
院号があるところから、格式の高いお寺だとわかります。



沿革
永正年間、北畠材親により松ヶ島城下に創建されたが、
1588年(天正16年)、蒲生氏郷の松坂城築城に伴い城下の現地に移転した。
1716年(享保元年)の松阪大火で表門(現在の裏門)を除き焼失したが、
豪商三井家などの尽力により8700両の費用をかけて再興された。



松阪商人の三井家が、後の三越デパートになったことは
誰もが知るところですが、
その三井家がバックにあったお寺なんですね。



鐘楼門に吊るされた鐘は、
「安濃津但馬守秀種の作」とあります。

但馬守とは、
江戸時代初期に津城下に住んだ鋳物師の一族・辻家の官途で、
辻家の初代が、越後守家種
家種の子が辻但馬守吉種と辻越後守重種の兄弟、
重種の子が、越後守陳種です。

秀種というのは、辻但馬守吉種の後継者にあたる人物と思われますが
詳細は不明です。

この当時、鋳物技術が卓越していたのが
津城下の鋳物師たちであったので、
津だけでなく、松阪や伊勢でも
辻但馬守または辻越後守による梵鐘や灯篭が数多く存在します。
ただ、上記のように、辻家の鋳物師が代々、
但馬守または越後守を名乗っていましたから、
数が多いのも当然ではあるのですが。

鋳物師「辻家」を極める(安濃津ガイド会)

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