みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*地獄谷からメリークリスマス(1)

2019-12-06 | 第25話(地獄谷からメリークリスマス)

 箕面の森の小さな物語(NO-25)

 <地獄谷からメリークリスマス>(1)

「全てが終わった・・ オレの人生は何もかもがまぼろしだったのか・・?」

  一晩野宿した地獄谷の森の中で、ホームレスの賀川恵人は寒くて朝まで眠れなかった。  暖冬とはいえ、12月に入ると急に朝晩の冷え込みがきつくなる。  恵人は眠い目をこすりながら朝陽を仰いだ。

  昨日の夕方、梅田から2泊3日かかって歩いて箕面駅前に着いたが、そのままフラフラと瀧道を歩き、いつしか<つるしま橋>を渡り、目的も無く、無意識のうちに地獄谷上っていた。  谷の上方にある東屋に着いた時はもう真っ暗闇になっていた。 シーンとした森の中で、動物の鳴き声や動き回る音も聞こえていたが、恵人の心は凍りついたままずーと死を待っていた。 もう3日間 何も食べていない・・

  恵人は数日前 一人寂しく50歳を迎えたばかりだった。 学歴も無く、家もなく、家族もいない、金も服も無く・・ 何もかもがなかった。  しかし 生まれてから今日まで、社会にお世話になって生きてきたという気持ちがあって、行政や生活の保護を受ける事もなく、生きられるだけ自分で生きようと決めていた。  誰からも相手にされず、話す人も無く、ただその日その日を何とか生きるだけの毎日を過ごしていた。

  恵人の人生は、その名前とは逆に生まれたときから悲惨だった。 50年前の寒い朝のこと・・ 箕面の小さな教会の玄関マットの上に、へその緒をつけたままの男の子が置かれていた。  生まれたばかりの赤ちゃんの横には、母親のものだったのか?  半分に切られ結ばれた安物の真珠のネックレスが置かれていたが、それ以外は何一つ手がかりになるものは無かった。

  教会に新任してきたばかりの若い牧師によって、その子は神様に愛され恵みを授かれる人に、そして人に恵みを与えられるような人になるようにとの願いをこめて 恵人(けいと)と名付けられ、乳児院に預けられた。

  恵人はやがて養護施設から中学校を出ると、大工の見習いとなった。 その間も日曜日になると教会の日曜学校や礼拝に参列し、熱心に聖書を開き、牧師の説教に聞き入っていた。  厳しい生活環境で育ったにもかかわらず、施設の人々や教会の人々の温かい援助もあって素直に育ち、正直者で仕事も真面目と評価され、やがて25歳で独立した。

  その人柄と誠実さから仕事ぶりも評判となり、やがて自分の工務店を立ち上げることができた。  仕事は順調に入り、28歳の時 同業者の娘と結婚し、幸せな人生の始まり・・ のはずだった。

 

  しかし その直後、妻となった同業者の父親から頼まれ連帯保証していた多額の手形が不渡りとなった。  すでに同業者は夜逃げし、翌日には妻もいなくなってしまった。  恵人の会社は巨額の負債を負わされあえなく倒産した。 さらに多額の個人保証分も借金として背負う事になってしまった。 債権者が連日朝晩押しかけ、怖い思いも沢山し、丸裸にされ、破産宣告をせざるを得なくなった。

  あっという間に全てを失った恵人は、追われるままに東京のドヤ街 山谷に逃れ、なんとか生き延びていたが、ここでも人のいい恵人は何度か騙され続けた。 そして数年前に大阪に戻り、西成の釜が崎にたどり着いていた。 しかし 長年の厳しい生活に体をこわし、2年前からたまにあった日雇い仕事もなくなり、ナンバや梅田の繁華街をうろつきながらコンビニやレストランの廃棄食などゴミ箱をあさって食いつなぎ、公園や路上で夜を明かすホームレス生活を余儀なくされていた。

  そして少し前のこと・・ 梅田の陸橋の上で、いつものハーモニカを吹いていた時だった。  時折 そんな恵人の前に5円玉や10円玉を置いてくれる人がいた。 そのハーモニカは恵人が子供の頃、教会の人にもらったハーモニカだったが、それが唯一の財産だった。  恵人はそれで子供の頃から好きだった聖歌や賛美歌を静かに吹き、自分を励まし、慰めと大きな心の支えとなっていた。

  いつものようにその日も夕方から3時間ほどハーモニカを吹いた後、頂いた150円をポケットに入れ階段を下りていた時だった・・ 急にふらつき階段を踏み外し、上から下まで転がり落ちた・・ 痛い!  右足が動かない・・ どうしよう・・ 痛い!  でも横を通る人々は誰一人助けてくれず、汚い服を着たホームレスが倒れていても見て見ぬふりをして通り過ぎていく・・

  恵人はしばらくして何とか起き上がると、痛い右足を引きずりながらやっとの思いで信号を渡り梅田の地下街へ向かった。 冬は暖かい地下街が有難い・・ 全店の閉店を待って、今夜はここで寝よう・・ とゴミ箱から捨てられた新聞紙を取り出し、床タイルの上に引き、体に巻いて横になった。  痛い! 冷たい! 寒い!

  やがて深夜3時を過ぎるとめっきり人はいなくなった。 その時だった・・  酔った若者数人が大声をあげながら前方からやってきた。 嫌な予感がする・・ 時々そんな人に殴られたり、唾をかけられたり、飲み物を頭からかけられたりして嫌がらせをされるからだ。  恵人は自分と同じようなホームレス数人が逃げるように走り去っていくのを見ていたが、自分は足の痛みで動く事ができなかった。

  やがて・・ 「オメエら汚いばい菌や 今から掃除するで どかんかい!」  大声でわめきながら、少し前のホームレス一人がバットのようなものでこずかれ足蹴にされていたが、やがて頭を抱えていたホームレスからうめき声とともに血が流れ始めた。  次は自分だ もうダメや 神様・・ 恵人は背中を思い切り蹴飛ばされ、痛い右足をふんづけられて思わず痛みで悲鳴をあげた・・ 痛い! ポケットから転げ落ちた150円は奪われ、持っていたハーモニカもバラバラに壊されてしまった。

 その時 後方からバタバタバタと走ってきた人が大声で叫んだ・・ 「コラ! オマエら 何しとんねん  やめんか!」 そのお陰で彼らは走り去っていった。 後で血を流していたあのホームレスは亡くなったと聞いた。 

 

 恵人はその数日後 死に場所を求め、生まれ育った箕面へ向かった。 痛い足を引きづり、電車なら30分ほどの梅田~箕面間を3日かかって歩いた。 1日目は淀川大橋を渡り、十三駅の近くの公園に着き動けなくなった。 2日目は服部緑地まで歩き、公園の便所の中で寝た。 3日目は朝から一歩一歩足を引きづりながら歩き、やっと箕面駅前着いたのだった。 そこから地獄谷の東屋までのことは余り覚えていない・・ <ここで天に召されよう・・> 3日間何も食べてもいないのに不思議と空腹感はなかった。

  朝がしらじらと明けてきた・・ 「おお神様! 私はなぜまだ生きているのでしょうか? 早く主の御許へ召してください・・」と叫んだ。  恵人が目を閉じ祈り終えた時、森の樹間から一筋の木漏れ日が差込み、恵人の体を明るく照らした。  それは何かを暗示させる天からの使命を帯びているかのように光り輝いていた。

(2)へつづく


地獄谷からメリークリスマス(2)

2019-12-06 | 第25話(地獄谷からメリークリスマス)

箕面の森の小さな物語

<地獄谷からメリークリスマス!>(2)

 恵人は箕面の森の地獄谷で体いっぱいの朝陽を浴びると、何か天啓を受けたかのように心から湧き出る活力を感じた。 「この何日間 何も食べていないのにどうしてこんなに元気なんだろうか・・?」 心静かに目を閉じ祈った。 「私はいつ天に召されても構いません 主の御許に近づかん・・」 祈り終えると、目の前の谷間に何か光るものが目に入った。 「何だろう? 空き缶のキャップかな?」

  恵人が乾いたノドを潤そうと チョロチョロと流れる小さな谷川に下りると朽ちた木の横に何かが光っていた。  枯葉を払いのけて手にとってみると、それは古い財布のようだ。 光っていたのはその留め金具だった。 「誰かが落としたものに違いない・・ それにしても相当痛んでいるけどいつのものだろうか・・?」 恵人がそっとその泥まみれの財布を開いてみると、中には水に濡れた沢山のお金やカード、紙切れなどがいっぱい入っていた。

 恵人は一瞬 思った。 「これは神様からの思し召しかもしれない・・ このお金があれば食べられるし、安宿を探して風呂にも入れるし何よりこの痛い足を診てもらえるかもしれないし・・」  しかし恵人は、そんな自分の卑しい心を省みすぐに神様にお詫びした。 「これを落とした人はきっと困っているに違いない」

  恵人は財布を閉じると、そのままポケットに入れ、急いで地獄谷を下った。 と言っても痛い足を引きづるように一歩一歩と歩みを進めた。  やっと瀧道へでると、瀧安寺 昆虫館前から 一の橋を経て、やっとの思いで箕面駅前交番に着いたのはもうお昼になっていた。

  交番には若い警察官が一人いた。 恵人が戸を開けて入っていくと・・ 「何ですか?」とぶっきらぼうに言う。 この汚いホームレスの格好では何を言われても仕方が無い・・ 「実は山の中で財布を拾ったものですからお届けにきました」  若い警官はいぶかしげに恵人がポケットから取り出す汚いものに目をやった。 そして中を開きながら・・ 「拾った? アンタが? 何も中味取ってないやろな。 取ってきたんやないやろな!」  若い警官は乱暴な口のきき方をしながら、その財布の中味を机の上に次々とだしていた。 そして・・ 「ちょっと立て! ポケットの中みせてくれ 何か財布の中味抜いてないやろな 他に何か隠してないやろな・・」 そう言いながら汚れた服を丹念に調べだした。 恵人はそんな若い警官の為すがままに素直に応じていた。

 そこへ年配の警官が外から帰ってきた。 「一体 何してんや?」 「ハイ 実はこいつが・・・」 と一連の経緯を話した後、「何かここから抜き取ってないかと思うて調べてるとこですわ」と。 すると年配の警官は若い警官を制して恵人をイスに座らせると向き合った。 「どうも失礼しました それはわざわざ届けて頂いてありがとうございました・・」と丁寧に応対すると、書類を取り出し・・ 「申し訳ありませんが、ここに拾得された場所や日時、その状況など分かる範囲で結構ですから記入していただけますか」 と話しかけた。

  恵人は久しぶりに書く慣れない文字に30分ほどかかってやっとその書類を書いた。  その間 二人の警官は財布の中味を一つ一つ取り出し、点検してリスト化し、別の書類に書き込んでいた。 <1万円札 10枚、各種クレジットカードや会員証、免許証に名刺、宝くじ2枚に小さな黒い袋・・> などと。 「身元はすぐに分かりそうだな・・」 書類を書き終えた若い警官は恵人に向かい・・ 「書類の下に住所、電話なんか書いといてや・・」と相変わらずぶっきらぼうに言う。

 恵人は自分はホームレスで住んでるところもなく勿論電話も無く、家族もいないし連絡先も無い旨を告げると、年配の警官が代わり・・ 「どこか 後ででも連絡の取れるようなところはありませんか・・」 と丁寧に聞いた。  恵人は唯一 子供の頃から知っているあの箕面の教会名牧師の名前書いておいた。

  恵人は手続きが終わると・・ 「誠に申し訳ありませんが、水をいっぱい頂けませんでしょうか」と頼んだ。 喉がカラカラだった。 年配の警官は若い警官に指示して水を持ってこさせると、自身は「ちょっとここで待っていて下さい・・」と言うと外へ出て行った。

  やがて年配の警官は駅前のコンビニでパンや缶コーヒーなど食べ物、とか飲み物を袋いっぱいに買ってきたようで、それを恵人に渡しながら・・ 「今日はわざわざ届けて頂いてありがとうございました。 これは私個人からの気持ちですから受け取って下さい・・」 そんな温かい言葉に、恵人の目から思わず涙がこぼれ落ちた。  恵人はその親切な言葉に心からお礼を言うと、有難く頂戴して交番を後にした。

  近くの芦原公園の池の前で、恵人はあの年配警官から頂いたパンや巻き寿司など、久しぶりに味わう美味しい食事を満喫した。 そして神様からの御恵みに感謝した。 その夜は公園のトイレで一夜を過ごしたが、寒くて眠れなかった。 それでもトイレの水で久しぶりに頭と体を洗った。

 

  再び朝がやってきた・・ 昨日の頂いた残りで朝食をすましたが・・ あれだけ死に場所を探して箕面の山に登ったのに、今はその気持ちも薄らいできた。 「さて今日は一日どうしてすごそうかな・・?」

 見れば公園に隣接して図書館がある。 入り口には「箕面市立中央図書館」とあった。  恵人はそれまでも大阪の公立図書館などでいろんな本を読むことがあった。  それは暑さ寒さをしのぐ為に、冷暖房の効いた公共施設などで一日を過ごす術でもあり、本が読める一石二鳥の過ごし方だった。  10時のオープンと共に図書館の中に入った。 「暖かい・・ ありがたい・・」  しかし 汚れたホームレスの格好なので、周りの人々に迷惑をかけないように・・ それに追い出されないように・・ と、息を潜めるようにして隅で本を読んでいた。

 昼を過ぎた頃だった・・ 「あら! ひょっとして恵人さんじゃないの?」 一瞬耳を疑った。  自分の名前を知っている人などいないはずなのに・・? 「あっ! 安藤のおばさん・・?」  それは子供の頃からよく親切にしてくれた教会員の人で、自分にあのハーモニカをプレゼントしてくれた人だった。

 「まあ どうしてたの? おお神様! もう何年も教会で見かけなかったから、心配してたのよ・・ 今日は私の家に来なさいよ その格好ではお風呂も長く入っていないようだし、それに亡夫の衣服も沢山あるからよかったら差し上げられるし・・ ね いいでしょ!」 

 恵人は10年ぶりに聞く、安藤のオバさんの親切な言葉に、感謝で感謝で顔を涙でクシャクシャにしてうなずいた。 「それにどうしたのその足は? ひどいんじゃないの?」 恵人が事情を話すと、安藤さんは近くの知り合いの医院へ連れていきすぐに診て貰った。  ひどい傷だが、幸い応急の手当てと薬も出してもらい、通院で治すようにしてもらった。 恵人はもうそれだけで天国にいるかのように、幸せと感謝の涙を流し続けた。

 安藤さんはもう80過ぎだがお元気だった。 本を読むのが好きで、図書館には老人用に文字の大きな本があるので、時々 家の近くのここへ借りに来るのだった。 それにしても奇跡に近い、偶然の再開だった。

 安藤さんは亡き夫の散髪をいつもしていたからと、古い箱の中からバリカンを取り出し、風呂上りの恵人を座らせて一気に長い髪をバッサリと切り、気持ちのよい髪形に整えてくれた。  更に昔 夫が着ていたという衣類を次々とだしてきてはアレコレと選び、恵人に着せてくれた。 そして・・ 「明後日の教会の日曜礼拝に一緒に行きましょうね  それまではここに居てくださいね」 恵人は溢れる涙でうなずいた。

  夕食に美味しい安藤さんの手作りカレーをご馳走になり、何年ぶりかで畳の上で、しかも布団の上で寝ることができた。 「神様 本当にありがとうございます・・ 暖かい・・」  安藤さんはその夜、何度も何度も夜中に起きては祈り、同じ事を考えていた。 そして翌朝、朝食の祈りの後で、自分が決心した事を恵人に伝えた。

 「恵人さん 私は貴方を幼い頃からとてもよく知っています  正直で誠実な人であること  神様を信じている事もね・・ だから私の話をよく聞いてくださいね・・ ご覧の通り、私は今ここに一人で住んでいます  部屋もいっぱい空いています  よかったらこの一室を貴方が使って下さい  貴方の居場所にしてほしいの・・ 私も一人居なので心強くなりますから・・ きっと神様のご計画のような気がしてますの・・」

  恵人にとってこれ以上のサプライズはなかった。 「まさか 本当ですか・・ 本当に・・ ありがとうございます・・」 もう涙と嗚咽で言葉にならなかった。  二人は天を仰ぎ、この神様からの思し召しに心からの感謝の祈りを捧げた。

  日曜日、恵人は安藤さんに連れられ、20数年ぶりに懐かしい箕面の教会礼拝に参列した。  演壇の上から恵人の姿を見つけた牧師は・・ 「おお 神様!」と、心の中で絶句した。  それは今朝、箕面警察から電話があり、恵人を探している事とその理由など一切を聞いていたからだった。  牧師はこの時、恵人に神様からの使命が与えられた事を強く感じた。

(3)へつづく


地獄谷からメリークリスマス(3)

2019-12-06 | 第25話(地獄谷からメリークリスマス)

箕面の森の小さな物語 

<地獄谷からメリークリスマス!>(3)

  礼拝が終わると、牧師は急ぎ足で演壇を下り恵人のもとにやってきて思い切り抱きしめた。 「恵人さん よく来てくれました  本当に嬉しいです  神様のお導きです  実は今朝早く箕面警察から電話がありました  いいお話です その事についてお話がありますから・・」 そう言うと、安藤さんと共に裏の牧師館へ二人を案内した。

  やがて連絡を受けた箕面警察署から担当警部と、先日 駅前交番で親切に食べ物を買ってきてくれた年配の警官が共に教会の牧師館にやってきた。  年配の警官は、恵人があの時の格好と余りにも違う別人のような服を着て、髪もきれいなのでビックリしていたけど・・ 「その節はご親切に本当にありがとうございました・・」と言う恵人の挨拶に、やっとあの時のホームレスだと確信した。  警部は恵人本人だと確認し、挨拶を交わした後で、牧師や安藤さんと共に恵人へ話し始めた。

  「実は賀川恵人さんが拾って届けて頂いた持ち主が分かりました。 一昨日、その持ち主さんにお会いし無事お返ししました。 本当に飛び上がらんばかりに喜ばれていました」 「そうですか それはよかったです  私も嬉しいです」 恵人は本当にそう思った。 「持ち主の方は北沢さんと申します  実は一年前、あの財布を無くされた直後から警察に相談され、私が担当しました。  箕面の駅前で何回もこの探し物チラシを持ち、ハイカーの皆さんや道行く人々に配布し、探しておられました。

 それには理由がありまして・・ お金やカードなんかじゃなく、黒い袋の中身だったんですが・・ その中身は私にも分からないのですが、その事は後でお話しますが、それ以外にビックニュースがありまして・・ 実はあの財布の中に入れてあった宝くじ2枚のうちの一枚が賞金1億円の当たりクジだそうで・・」 全員が顔を見合わせ、目を丸くした。 警部が話を続けた・・

  「北沢さんはその当たりクジを、もしあの黒い袋が戻るなら、全て差し上げてもいいですから・・ と当初より警察に相談されていたんです  どうしても仕事の都合で北沢さんは来週になるそうですが、その引き換え期限は後10日ほどしかありませんが、是非貴方に貰って頂きたい・・と」  全員が再び顔を見合わせ、キツネにつままれたような顔をしていた。

 

  次の週、海外出張から帰国した足で北沢さんが、すぐに箕面の教会に駆けつけた。 牧師館に揃っていた先週のメンバー5人と挨拶を交わした後、恵人に深々とお辞儀をし、感謝とお礼の言葉を述べられた。 差し出された名刺には・・ 「北沢貿易株式会社 代表取締役社長 北沢  絆」とあった。

 そして北沢さんは話し始めた・・ 「私は幸い仕事で財をなし、お金はもう充分にあります  どうかこれは亡き母の願いのような気がして・・ 是非 この当りクジ券を貴方のものとして受け取って頂きたいのです  私の元へ戻ったこの黒い袋の中身は、亡き母の形見です  この形見のお陰で、私は当りクジの何十倍もの富を与えて頂きましたから・・」

  恵人はふっと口を挟むと・・ 「もし 差支えがなければ そのお母さんのお話をお聞きかせ願えませんでしょうか・・」 「ハイ ではお話しますが・・ これは母が亡くなる少し前に聞いたのですが、母は10代の頃家出をし、悪い遊びをしていたそうです  私の父はヤクザで強盗をするようなワルの塊のような男だったそうです  そんな退廃的な生活の中で母はいろいろあったようですが、その後 私を妊娠したものの、その数ヵ月後に父は再び強盗をし、逃げる途中で車に轢かれ死んだそうです  それから母は私を産み、母子施設で私は育ちました。

  その頃から母はなぜか冬になると、年1回だけ貧しいお金をやりくりし、宝くじを2枚だけ買って、宝くじ発祥の地と言われる この箕面の瀧安寺にお参りしてました。  私は母についてきてましたが、物心付いた後もそれがなぜだか分からず習慣のようで、とうとうそれは30数年も続いていたんです。 それで母が亡くなった後も、私は母の意図が分からないまま、なぜか冬に2枚の宝くじを買う習慣が付いていました。

 そして一年前の事・・ 妻と箕面の山歩きに行く前、売り場で当選番号を見てもらうと、なんと当りクジでビックリ・・ 今まで何十年と買っていても300円が何回かあった位なのに・・ でも私はそれを財布に入れたまま、妻と地獄谷からこもれびの森勝尾寺の方へと森の散策を楽しみました。  ところが箕面駅に戻って財布が無くなっていることに気づいたもののもう夕暮れで山は暗くなり、探しようがありませんでした。 翌日から何度も何度も同じ道を歩いて探しましたが、見つかりませんでした。 私はその宝くじもさることながらお金じゃなく、いつも持ち歩いていた母の形見を見つけたかったのです。

  母は私が幼い頃から必死に働いていました。 衣服を安く仕入れ、それを背に担ぎ、幼い私の手をつなぎながら一軒一軒と行商に回っていました。 そして私が小学校に入る頃、1坪ほどの小さな店を開きました。 狭いながらもよく売れるようになり、少しづつ大きくしていきました。  そして私は大学まで出してもらい、その頃から一緒に仕事を手伝うようになり、やがてFC化し、徐々に全国展開するようになりました。 その商品供給は世界各地にまたがり、それが今の北沢貿易の原点です。

 母は大きな財を成しても、冬の宝くじ2枚は毎年欠かさず買っていました。  きっと10代の頃の、貧しく辛く苦しかった頃に何かあったのでしょう  そしていつもこの黒い袋を身につけていました。 そして亡くなる前、母は私にこの袋を差し出し、か細い声でこう話してくれました。 <この黒い袋があったからこそ今があるんだよ。 これからも離さないようにしてね・・ お守りよ>と それに私の名前<絆>は辞書によると、<離れがたい関係>とあり、母なりに意味があって名づけたのだと言い残しました・・」と北沢さんは話し終えた。

  黙って聴いていた老牧師は、何を感じたのか 北沢さんに声をかけた。「その黒い袋の中身を、私に見せて頂けませんか・・?」  北沢さんはいぶかしげに黒い袋を牧師に手渡した。  牧師はゆっくりと袋を広げ中を確認するとうなづき、天を仰いだまま動かなかった・・ そして「少し待っていてください・・」と奥へ引き込んだ。

  しばらくして牧師は、茶色の封筒を持って戻ってきた。 「北沢さん その黒い袋の中のものを机の上に出していただけませんか・・」 北沢さんは牧師に言われるままに、黒い袋を広げ、その中のものを取り出して机の上に置いた。

  牧師は持ってきた古びた封筒から同じように中のものを取り出し机の上に出して置いた。 全員が息をのんだ・・

” 同じだ!”

  そこには半分に切って結ばれた、安物の真珠のネックレスが二つ並んだ。  封筒には50年前の日付と、牧師が 賀川恵人 と名付けた名前が記されていた。

  「なぜ? まさか!?  貴方はもしかして 私の兄さん!?」 北沢さんは恵人を指差しながら、驚きの言葉を発した。 「・・母が亡くなる前に、苦しそうに言いました・・ <・・貴方には兄さんがいる・・> と・・」 「まさか? 捨て子でホームレスの私に弟が・・?」

  牧師のうなづきに、二人は絶句したままやがて抱き合いしばし互いに大粒の涙を流した。  同席していた皆が一様に、その奇跡の出会いに驚嘆し、感動の涙を流した。

 

  あの宝くじは、引き換え期限当日に、恵人がある目的の為に、自分の当りクジとして賞金一億円を受け取った。  それは天啓を受けたかのように、自分の考えを弟の北沢さんに話したら「大賛成!」と賛同し、協力を約束してくれたからだった。

  それは前年の寒い冬の事・・ ホームレスとしてその厳しい外の寒さをしのぐ為、府立図書館の中で過ごしていた時に手にした一冊の本の中にあった。

 それはアメリカで、自助努力の遠く及ばない深刻なホームレス10万人に安定的な住居を提供し、社会的排除や貧困、医療、教育、雇用の問題を改善しようと全米130以上の地域で、コミューニテイー再生事業を展開している ロザンヌ・ハガテー女史の本に出会ったからだった。 「こんなにも素晴らしい女性がいるんだな・・」と、他国の他人事のように思って読んでいたけど・・ 恵人はなぜかその使命が自分に与えられたように思えたのだ。  

 ハガテー女史はたった一人でNPОを立ち上げ、官民の資金を集め、あの荒廃したニューヨーク・マンハッタンの廃ホテルを買い取り、周辺のホームレスの為の恒久的な生活の場として見事に蘇生させたのだ。 それは一時的なシェルターだけでなく、政府や行政を批判するだけの人々や旧態依然とした左右の観念論から抜け出せない人々、口だけの政治家や文句ばかり言う人々に彼女は行動でその何たるかを示した。  行政の事なかれ主義、非効率さにヘキヘキしながらも、その中で協力者を見つけながら、前向きに一歩一歩成果をだしてきている。 理想主義と現実主義が交差する新たな公共領域のフロンテイアを開拓し続けている。 女史のその本から恵人は、大きな勇気と希望を与えられていたのだ。

  それを聞いた弟の北沢さんは、私財から同額の1億円をだし、あの安藤さんや教会関係者の協力も仰ぎ、共に一緒になってNPО法人を設立することになり、恵人がその代表として実務に就くことになった。  恵人は生まれて初めて、自分が今日までこの使命を授かる為に、いろんな底辺の生活を体験してきた事、生かされてきたことを実感した。

 「兄さん 母さんは兄さんの事を一日たりとも忘れた事はなかったと思うよ  だって私が物心ついた頃から、毎晩寝るとき、あの黒い袋を両手に持って願い事や祈りごとをしていたからね・・ こんな形で母の生涯の願い事がかなえられるなんて想像もつかなかった・・ これで母が私を一人で産んだとき名付けた<絆>の意味がよく分かったよ  半分づつの糸でつないでくれていたんだね・・」

 

  新御堂筋から箕面グリーンロードトンネルへの入り口 白島山麓には今年も巨大なクリスマスツリーが立ち、キラキラと輝いている。 箕面の街に箕面山麓の聖母被昇天学院の中・高生徒による美しいハンドベルクワイアと、清らかな聖歌隊の調べが静かに流れてきた。 

  数奇な運命と出会いを経て、絆で結ばれた兄と弟二人は、箕面の森の地獄谷から空を見上げていた・・ きれいな小雪が舞い、それがキラキラと幻想的なスノーダストとなって兄弟の頭上に優しく降り注いでいる・・ 二人は天を仰ぎ、母の愛に想いを抱きつつ大きな声で叫んだ・・

 メリー クリスマス!!

(完)