箕面の森の小さな物語(NO-25)
*<地獄谷からメリークリスマス>(1)
「全てが終わった・・ オレの人生は何もかもがまぼろしだったのか・・?」
一晩野宿した地獄谷の森の中で、ホームレスの賀川恵人は寒くて朝まで眠れなかった。 暖冬とはいえ、12月に入ると急に朝晩の冷え込みがきつくなる。 恵人は眠い目をこすりながら朝陽を仰いだ。
昨日の夕方、梅田から2泊3日かかって歩いて箕面駅前に着いたが、そのままフラフラと瀧道を歩き、いつしか<つるしま橋>を渡り、目的も無く、無意識のうちに地獄谷を上っていた。 谷の上方にある東屋に着いた時はもう真っ暗闇になっていた。 シーンとした森の中で、動物の鳴き声や動き回る音も聞こえていたが、恵人の心は凍りついたままずーと死を待っていた。 もう3日間 何も食べていない・・
恵人は数日前 一人寂しく50歳を迎えたばかりだった。 学歴も無く、家もなく、家族もいない、金も服も無く・・ 何もかもがなかった。 しかし 生まれてから今日まで、社会にお世話になって生きてきたという気持ちがあって、行政や生活の保護を受ける事もなく、生きられるだけ自分で生きようと決めていた。 誰からも相手にされず、話す人も無く、ただその日その日を何とか生きるだけの毎日を過ごしていた。
恵人の人生は、その名前とは逆に生まれたときから悲惨だった。 50年前の寒い朝のこと・・ 箕面の小さな教会の玄関マットの上に、へその緒をつけたままの男の子が置かれていた。 生まれたばかりの赤ちゃんの横には、母親のものだったのか? 半分に切られ結ばれた安物の真珠のネックレスが置かれていたが、それ以外は何一つ手がかりになるものは無かった。
教会に新任してきたばかりの若い牧師によって、その子は神様に愛され恵みを授かれる人に、そして人に恵みを与えられるような人になるようにとの願いをこめて 恵人(けいと)と名付けられ、乳児院に預けられた。
恵人はやがて養護施設から中学校を出ると、大工の見習いとなった。 その間も日曜日になると教会の日曜学校や礼拝に参列し、熱心に聖書を開き、牧師の説教に聞き入っていた。 厳しい生活環境で育ったにもかかわらず、施設の人々や教会の人々の温かい援助もあって素直に育ち、正直者で仕事も真面目と評価され、やがて25歳で独立した。
その人柄と誠実さから仕事ぶりも評判となり、やがて自分の工務店を立ち上げることができた。 仕事は順調に入り、28歳の時 同業者の娘と結婚し、幸せな人生の始まり・・ のはずだった。
しかし その直後、妻となった同業者の父親から頼まれ連帯保証していた多額の手形が不渡りとなった。 すでに同業者は夜逃げし、翌日には妻もいなくなってしまった。 恵人の会社は巨額の負債を負わされあえなく倒産した。 さらに多額の個人保証分も借金として背負う事になってしまった。 債権者が連日朝晩押しかけ、怖い思いも沢山し、丸裸にされ、破産宣告をせざるを得なくなった。
あっという間に全てを失った恵人は、追われるままに東京のドヤ街 山谷に逃れ、なんとか生き延びていたが、ここでも人のいい恵人は何度か騙され続けた。 そして数年前に大阪に戻り、西成の釜が崎にたどり着いていた。 しかし 長年の厳しい生活に体をこわし、2年前からたまにあった日雇い仕事もなくなり、ナンバや梅田の繁華街をうろつきながらコンビニやレストランの廃棄食などゴミ箱をあさって食いつなぎ、公園や路上で夜を明かすホームレス生活を余儀なくされていた。
そして少し前のこと・・ 梅田の陸橋の上で、いつものハーモニカを吹いていた時だった。 時折 そんな恵人の前に5円玉や10円玉を置いてくれる人がいた。 そのハーモニカは恵人が子供の頃、教会の人にもらったハーモニカだったが、それが唯一の財産だった。 恵人はそれで子供の頃から好きだった聖歌や賛美歌を静かに吹き、自分を励まし、慰めと大きな心の支えとなっていた。
いつものようにその日も夕方から3時間ほどハーモニカを吹いた後、頂いた150円をポケットに入れ階段を下りていた時だった・・ 急にふらつき階段を踏み外し、上から下まで転がり落ちた・・ 痛い! 右足が動かない・・ どうしよう・・ 痛い! でも横を通る人々は誰一人助けてくれず、汚い服を着たホームレスが倒れていても見て見ぬふりをして通り過ぎていく・・
恵人はしばらくして何とか起き上がると、痛い右足を引きずりながらやっとの思いで信号を渡り梅田の地下街へ向かった。 冬は暖かい地下街が有難い・・ 全店の閉店を待って、今夜はここで寝よう・・ とゴミ箱から捨てられた新聞紙を取り出し、床タイルの上に引き、体に巻いて横になった。 痛い! 冷たい! 寒い!
やがて深夜3時を過ぎるとめっきり人はいなくなった。 その時だった・・ 酔った若者数人が大声をあげながら前方からやってきた。 嫌な予感がする・・ 時々そんな人に殴られたり、唾をかけられたり、飲み物を頭からかけられたりして嫌がらせをされるからだ。 恵人は自分と同じようなホームレス数人が逃げるように走り去っていくのを見ていたが、自分は足の痛みで動く事ができなかった。
やがて・・ 「オメエら汚いばい菌や 今から掃除するで どかんかい!」 大声でわめきながら、少し前のホームレス一人がバットのようなものでこずかれ足蹴にされていたが、やがて頭を抱えていたホームレスからうめき声とともに血が流れ始めた。 次は自分だ もうダメや 神様・・ 恵人は背中を思い切り蹴飛ばされ、痛い右足をふんづけられて思わず痛みで悲鳴をあげた・・ 痛い! ポケットから転げ落ちた150円は奪われ、持っていたハーモニカもバラバラに壊されてしまった。
その時 後方からバタバタバタと走ってきた人が大声で叫んだ・・ 「コラ! オマエら 何しとんねん やめんか!」 そのお陰で彼らは走り去っていった。 後で血を流していたあのホームレスは亡くなったと聞いた。
恵人はその数日後 死に場所を求め、生まれ育った箕面へ向かった。 痛い足を引きづり、電車なら30分ほどの梅田~箕面間を3日かかって歩いた。 1日目は淀川大橋を渡り、十三駅の近くの公園に着き動けなくなった。 2日目は服部緑地まで歩き、公園の便所の中で寝た。 3日目は朝から一歩一歩足を引きづりながら歩き、やっと箕面駅前に着いたのだった。 そこから地獄谷の東屋までのことは余り覚えていない・・ <ここで天に召されよう・・> 3日間何も食べてもいないのに不思議と空腹感はなかった。
朝がしらじらと明けてきた・・ 「おお神様! 私はなぜまだ生きているのでしょうか? 早く主の御許へ召してください・・」と叫んだ。 恵人が目を閉じ祈り終えた時、森の樹間から一筋の木漏れ日が差込み、恵人の体を明るく照らした。 それは何かを暗示させる天からの使命を帯びているかのように光り輝いていた。
(2)へつづく