(再掲・回顧)箕面の森の小さな物語(NOー19)
<ブルーグラス懐古店>(1)
そぼ降る小雨の中、箕面・桜井駅近くの路地を入った所にその店はあった。
蔦の絡まるレンガ造りの古い館だ。 玄関口には年代物のカントリーランプが灯り、その下には鉄製のアーリーアメリカンタイプの傘立てが置かれていた・・ やっと見つけたよ・・ こんな所にあったのか・・
有田 豊彦はもう小一時間ほど周辺をウロウロと探し回っていたので正直ホッとした。 「近くに朝から晩までブルーグラス音楽だけをかけているという小さな喫茶店がある・・」と小耳に挟んでいた。 「今日は雨だし、ちょっと探しに出かけてみるか・・」と 豊彦は傘をさして家から歩いてきたのだった。
箕面自由学園の校門前を通りかかると、チェアーリーデイング部が<7年連続 日本一>になったとかで、その大きな大横幕が雨に濡れながらはためいていた。 それに今朝の新聞には地元 府立箕面高校ダンス部 が何やらアメリカでの世界大会に優勝したとか書いてあったな・・ と少しわけもなく元気を貰ったような気がしていたが、初めての店探しには少々疲れた。
豊彦は口ヒゲについた雨滴を右手で拭いた・・ ヒゲは退職後、中近東へ旅行に行く前に、息子から「日本人は幼顔だからヒゲでも生やして行けよ」と言われ伸ばして出かけたものの、帰国後も元来の無精者でそのままにしているだけだった。
カントリースタイルの木の扉を開け、豊彦はそっと伺うように店に入った。 いきなり軽快なパンジョーのリズムが聞こえてくる・・ うん Rocky top かな? 「いらっしゃい!」 カウンターの中からアゴヒゲを生やし、カーボーイハットをかぶっマスターらしき人が声をかけた。 客は一人・・ カウンター前に小柄でメガネをかけた同年輩の男が一人いるだけだった。
豊彦は二つしかない四人掛けのテーブルに腰を下ろし、店内を見渡した。 10数坪の狭い店内だが、壁から天井までカントリースタイルのポスターや歌手の写真が所狭しと貼ってある。 そして所々にブルーグラスを奏でる楽器が置かれている。 五弦バンジョー、フラットマンドリン、ヴァイオリン(フィドル)、リゾネットギター(ドブロ)、ウッドベース、などなど・・
「レーコー 一つ!」「はい!」 梅雨の季節に入り、少し蒸し蒸ししていて暑い日だ・・ 豊彦はこの場所を探し回って汗ばんでいた体を冷やすため、出された冷たいコーヒーを一気に飲み干しノドを潤した。 東京じゃレーコー では全く通じなかったな・・ アイスコーヒーと言うまで「何ですか それは?」って何度も聞かれた事を思い出してクスッと笑った。 マスターはカウンター客と何やら昔話しをしているらしい・・ アップテンポの曲が次々と流れ、豊彦は体が勝手に動きだすかのようにそのリズムに酔った・・ 久しぶりにワクワクする気分に浸っていた。
「お客さん よかったらこっちへ来て座りませんか」 突然 マスターが声を掛けてきた。 豊彦は言われるままに腰を上げ、カウンター席に移った。 「ようこそ! ここは初めてのお客さんですね 私はマスターのビルです こちらは私の友人のマサさんです」 「ボクは有田です どうぞよろしく!」「有田さんはブルーグラスがお好きなんですか?」 カウンターに並んだお客のマサさんが、親しげに話しかけてきた。 どこかで見たような顔をしている・・「ええ まあ・・ と言ってもまだ3年ほど前からの事でして・・」「そうなんですか どんなきっかけだったんですか?」「それが・・」と、豊彦は訪ねられるままにそのきっかけを話し始めた。
「いつもの山歩きの帰り道、箕面駅前の商店街を歩いていると・・ 街頭スピーカーからいつも流れている音楽に うん? と立ち止まりましてね どこかで聞いたような懐かしい曲? それが ふっと思い出しましてね もう50年も前の昔々の古い話しなんですが、若き学生時代に一回だけ聞いたことのあるメロデーで、それが印象的でずっと心に残っていたんですよ でもそれっきりでどこの誰のどんなジャンルの曲かさえ分からないままでした それをその時に急に思い出したんですよ あの時の歌だ! ってね 後で知ったんですがね その商店街ではいつも地元のFM局の番組を流しているとのこと・・ それで<みのおFM・タッキー816>局と言うのを知りました でも何で七面鳥なのかと思っていたら、箕面の瀧のタッキーかも? と言われましたよ・・」
二人とも笑って豊彦の話を聞いている。 「それで駅前の観光案内所に置いてあった<みのおFM>の番組表をもらって見て見ると、これが毎日やっているブルーグラスという音楽番組だと知りました それで早速 翌朝から聞くようになり、特にDJの藤井 崇志さんの番組は素人の私にも分かりやすく、もうすぐファンになりましたよ」 と一気にいきさつを話した。
「藤井さんは何人もの世界的ブルーグラスアーチストを日本に招聘された方で、ご自分でも演奏されるし、それは詳しい方ですよ」とマスターが言う。 「それに 日本広しと言えども、毎日ブルーグラス音楽を流しているFM局はこの<みのおFM>しかないよね 」とマサさんが言う。 「ああ ここに今年の番組表があるよ・・ 何年か前よりこれでも3割以上時間が減ったようだけどね・・
* <みのおFM・タッキー816局>
・ ブルーグラス ランブル
(月)~(金) 毎朝 6時~ 55分間
(土) (日) 6時~ 116分間
・ ブルーグラス タイム (DJ 藤井 崇志)
(土) 10時30分~ 30分間
19時 ~ 30分間
(日) 18時30分 ~ 30分間
「ところでその50年前に聞いたという曲は何ていうんです?」「それは学生バンドが面白く歌っていた ”ヨーカンいかがです!” 」「ハハハ ハハハ よく分かりますよ 私も好きですよ ところでそれをどこで最初に耳にされたんですか?」 とマスターが問う。
豊彦は再び昔話しを続けた。 「あれは確か、新入生歓迎音楽会とかで、いろんな大学の新入生が集まり、中ノ島の中央公会堂で開かれた時の事だと思います」 「ああ そう言えばオレ達も行ったような・・?」とマサさんがマスターに言うと、マスターの思い出すかのように頷いている。 「ところで有田さんは何年生まれですか?」「私は1945年です」「ああ 私らと同じ年代ですね 実はブルーグラスも同じ1945年にケンタッキーで生まれた音楽でしてね・・ 日本では1960年代からはやったんで、ちょうど私らの学生時代にあったんですね」 マスターが話を続ける・・
「元々はね アメリカのケンタッキー テネシー ノースキャロライナやバージニアなどのいわゆるアパラチア地方に入植したアイルランド系、スコットランド系移民の伝承音楽をベースにしたものなんですよ それを1945年にビルモンローがブルーグラスボーイズを結成し、アール&スクラッグズなどが加わって発展してきたアコーステック音楽のジャンルなんですよ」 「そう言われてもボクにはよく分からないんですがね・・」と豊彦は頭をかいた。
「ブルーグラスとはビルモンローの故郷の地名にちなんで付けられた名で ブルーグラススタイルの音楽をそう呼ぶようになったんです 日本では箱根や滋賀で毎年大きなイベントもありますよ この近くだと<宝塚ブルーグラス フェステイバル>が1972年から毎年8月の第一土曜を含む週末に、宝塚近郊の山の中で開かれているので、一度行ってみて下さい すごい熱気ですよ これはアメリカ・インデイアナ州で1967年以来続いている<ビルモンロー記念ビーン・ブロッサム ブルーグラスフェステイバル>に次いで、世界で2番目に古い歴史をもっているんですよ 私もこれらの大会にはいつも参加して演奏していますから、是非一度いらしてください・・」
豊彦はマスターのそんな話を心弾ませながら聞いていたが・・ 「そう言えば先日・・ 5月18日だったか いつもの山歩きからの帰りに箕面の教学の森のキャンプ場に下りてきたら、森の中から懐かしいメロデーが聞こえてきたんですよ それでどこかと探してみると、野外活動センターの館に沢山の人たちがいてビックリで・・ 入り口に<稲葉 和裕ブルーグラスキャンプ>と看板があって、多くのプレーヤーもいて大いに盛り上がっていました」
「ああ あそこに私もいたんですよ 偶然ですね! 夜はみんな隣接する一泊600円とかの森のコテージに集まってね 遅くまで仲間と楽しみました・・ 来年はご一緒にいかがです?」
外は雨が本降りとなり、窓辺の木々の葉を激しく打ち始めた。 こんな日は、好きな音楽に浸りながら、初めて出会う人ながら、趣味や感性の合う人たちとお喋りできることが、何より至福のひと時だ。 そしてその時はまだ、さらに大きな至福のひと時が待っているとは想像がつかなかった。
(2)へ続く