みのおの森の小さな物語     

明治の森・箕面国定公園の散策日記から創作した、森と人と自然に関わる短編創作物語集 頑爺<肇&K>

*箕面の森のおもろい宴(1)

2020-08-20 | 第17話(箕面の森のおもろい宴)

 箕面の森の小さな物語(NO-17) 

<箕面の森のおもろい宴>(1)

 たけしが六箇山に着いたのは、気持ちのいいそよ風が吹く春の昼下がりのことだった。

 ヤマザクラやエドヒガン、コバノミツバツツジなどの花が咲き始め、箕面の山々も美しく化粧をし始めている・・

  午前中 箕面 新稲(にいな)から<教学の森>に入ったたけしは西尾根道を登り「海の見える丘」の前からヤブコギをしながら道なき道を下り<石澄の滝>を目指した。  昼なお暗い森の中にはイノシシやテン、シカなどの動物の足跡が随所に見て取れ、イノシシのヌタバもあった。 夜遅くまで昔の映画を見ていたので少し眠かったのに、五感パッチリ緊張気味にそんな森を通り抜けた。

  やっとの思いで石澄川の岩場に着いたが、ここは箕面市と池田市の境界を流れる小さな川で、さらに大小の岩場を北へ上り下りして滝壷の下についた。 前日の大雨の影響からか、馬の尾のように長細い滝がいつになく激しい水量で流れ落ちていて、たけしはその豪快な景観を一人堪能した。

  岩場でリュックを下ろし、ゆっくりとそんな景観を楽しみながら昼食の握り飯を食べ終えると、たけしはあえて近道を選び、横の急な崖道を山肌にへばりつくようにして登った。 今日はまだ一人のハイカーとも出会っていなかった。 「若い頃と違ってもうここを登るのはきついな・・ それに、もしここで滑落したら当分誰の目にもつかなくてお陀仏だな・・?  もう無理はできないな・・」  たけしは荒い呼吸をしながら、還暦もとうに過ぎたのに・・ まだ自分には体力がある大丈夫だ・・ と過信し、自負している自分を恥じた。

  やっと着いた六箇山頂には誰一人いなかった。 ここは箕面市西部に位置する低山だが、その昔はマツタケ山と知られていたとか・・ 正式には法恩寺松尾山と言う。  たけしは南西に広がる大阪湾方向を遠望しながら、太陽に反射してキラキラと輝く春の海をしばし眺めていた。 その手前には伊丹の大阪国際空港の滑走路が見え、丁度 一機の中型機が北の空へ飛び立っていくところだ。

  リュックを枕にして横になると、頭上をキセキレイやコルリ、コゲラやサンショウクイなど野鳥が飛び交い、木漏れ日の差し込む山頂の森の中でたけしはウトウトとまどろみ始めた。  「エ エ 気持ちやな~ ひねもすのたり のたりかな~ か」 ゆりかごに揺られているような心地いい春のそよ風に、身も心もうっとりと吸い込まれていった。

  「オ~イ みんな! 今日は年一回の森のパーテーやで! ようさん集まってておもろいしな、それに美味い酒も、美味い料理もなんぼでもあるさかいな・・ 最高やで!」 「オレも行くわ!」 「オレも連れてってや!」 「ボクも行く!」 「お前も行くやろ!?  オイ オイ  たけしも行くんやろ!」 「何? オレのこと!?」  たけしは自分が誰かに呼ばれていてビックリし顔を上げた・・ 見れば目の前で数匹のサルが話している。 たけしが再びビックリして起き上がり、ふっと自分の両手両足を見ると毛もくじゃらでまるで自分がサルの姿の様子に、思わず叫び声をあげそうになって周りを見回した。

  「何や こりゃ? ここはどこなんや?」 たけしが余りの変化にキョロキョロしていると・・ 「オイたけし! なにキョロキョロしとんねん 早よう行くで!」 たけしはサルに自分の名前を呼ばれて更に目を白黒させた。 たけしは前夜遅くまで見ていた昔の映画 「猿の惑星」 を思い出しながら、もしかしたら前世紀へタイムスリップでもしたのかな? と頭をひねった。  「いつからオレはサルになったんや? 今はいつの時代なんや?」 しかし、考える暇もなく仲間? に急かされ、たけしはみんなの後ろについていった。

 六箇山裏山から箕面ゴルフ倶楽部コース脇を通り抜け北へ走った。 初めての四足で走る自分の姿が不思議でならなかった。  やがて大ケヤキ前から三国峠、箕面山を西に下り <箕面大瀧> 前に着いた。 ここまでの山道は、たけしがいつも歩き慣れている山道だった。

  もうすっかりと夜が更け、森の中は真っ暗闇だったが 箕面大瀧だけは大きな篝火がいくつも焚かれ、周辺には多くの行灯が置かれ、ひときは明るく輝き浮かび上がっていた。 よく見ると多くの人たちがあちこちに輪になったりして座り、酒盛りが始まっているようだ。 見ればその周りに沢山の美味そうなご馳走と酒類が山のように並んでいる。   たけしは仲間のサル達と大瀧前の休憩所の屋根に陣取り、そんな光景を上から眺めていた。 やがて猿の仲間たち? が次々と下から沢山の美味そうなご馳走と酒を持ってきて屋根の上でも宴会が始まった。

 落差33mの箕面大瀧はいつになく ドド ドド ドドドド・・ 激しいしい水しぶきをあげながら豪快に流れ落ちている。 その大瀧前には舞台が作られ横断幕が掲げられていた。

 そこには「第11874回 箕面の森ゆかりのおもろい宴とあった。

 「年一回の森のパーテーとはこの事だったのか・・ という事は~ 11874回とはもう1万年前から・・?  ウソやろ!」 たけしはそう首を傾げながらも、早速仲間が置いてくれた美味い酒を口に運んだ。 月明かりが差し込み、ひときわ明るくなった深夜の森に突然大きな太鼓の音が鳴り響いた・・

 ドン ドン ドンドン  ドドドドド  ドン!

 そして司会者らしき小さな女性が大きな声を張り上げた。

 「みなさん! お待ちどうさん! 今年はワテの当番だんねん・・ まあ最後までよろしゅう頼んますわ  ほな今年もそろそろ始めまひょか まず乾杯でんな・・ そこの信長はん! あんた乾杯の音頭頼んまっさ よろしゅうに!」

 たけしはそのコテコテの特徴ある大阪弁に・・ どっかで聞いた事があるな~? と思っていたが、すぐに思い出して仲間にささやいた・・ 「あの司会者な ミヤコ蝶々はんやで・・ ほれ 長いこと上方漫才や喜劇界を引っ張ってきた名女優や  懐かしいな・・ 当時ラジオやTVで 「夫婦善哉」なんかほんまおもろかったよな・・ 大阪・中座で連続23年間も座長公演しはったしな・・ なにせ7歳で父親が旅回りの一座を結成しはって、その娘座長として全国どさまわりしはった苦労人やで・・ 生粋の江戸っ子やがな、浪速が育てた芸人やな・・ 箕面の桜ヶ丘の自宅は今 「ミヤコ蝶々記念館」になってんねんけどな  オレは ようウオーキングでその前通るけどな・・  オイ オイ お前ら聞いてんのかいな?」隣の仲間サルたちはみんな知らん顔をして酒を飲んでいた。

 やがて信長はんが立ち上がった。「乾杯!」低く太いよく通ったその大きな一言には何かすごい威厳があった。 「信長? まさかあの 織田信長はんかいな?」 たけしはビックリして見直した。

 「あんた! この箕面大瀧へ来はったんわ いつのこっちゃいな?」 司会の蝶々はんが尋ねた。 「拙者がここへ来たのは、あれは天正7年の3月30日じゃったな・・ 鷹狩りの途中にここへ立ち寄った。 あの頃は伊丹の有岡城城主荒木 村重を成敗する戦の最中じゃったな  あの頃はこの北摂の山々で何度も軍事訓練をし、鷹狩りもしておったからな・・」

 「あんさんはあの頃、みんなからよう恐れられておったような?」 司会者の突っ込みに信長はんは頭をかきながら座った。

 「そう言うたらそこで豪快に酒飲んではる豪族のご一同は みんな箕面に縁がある人でっか? 源義経はんは、今の箕面・石丸あたりに所領持ってはったんやな  梶原景時はんと 熊谷直実はんは奉行として勝尾寺の再建を計りはったしな  赤松則村はんは 「箕面・瀬川合戦」で勝ちはったし、新田義貞はんと 足利尊氏はんは 「豊島河原合戦」で各々この箕面で勝利したと 「太平記」にありまんな・・」 各々が頷いている。

 「そんでそこにいる 楠木正成はんは箕面・小野原で賞味しはったという名水 「楠水龍王」の祠が祀ってまんな、そんでそこで大酒飲んではる弁慶はんは・・ あんた一の谷の源平合戦に向かうとき箕面・瀬川鏡水に自分の姿を水面に映して戦況を占ったらしいな・・」 弁慶が酔顔で頷いている。

 「ところで 信長はん・・ あれれ もうイビキかいて寝てはるわ・・ いま始まったとこなんやで・・ ほんまに・・」

 森のおもろい宴はまだ始まったばかりだ・・

(2)へ続く


箕面の森のおもろい宴(2)

2020-08-20 | 第17話(箕面の森のおもろい宴)

箕面の森の小さな物語 

 <箕面の森のおもろい宴>(2)

  宴は始まったばかりだった。 司会の蝶々さんが次にたずねた・・

「ところでそこの 松尾芭蕉はん あんたはいつ箕面へきはったんや」「私は貞亨4年の4月22日に勝尾寺さんを訪ね、その時ですね  そう言えばその4年後だったか、私と門人のこの 岡田千川江戸で詠んだ連句があるんです 

    箕面の滝や玉をひるらん  (芭蕉)  

    箕面の滝のくもる山峰   (千川)  とね。 

「さすが上手いこと表現しはるわ  やっぱり芭蕉はんでんな」

 「俳句言うたらそこに座ってる 種田山頭火はん あんたは相当日本中を放浪しはりましたな  ほんで箕面にはいつ?」 「ハイ! わたしが箕面に来たのは昭和11年の3月8日でして箕面の駅近くの西江寺さんで開かれた句会です  一人だけ法衣姿で寒かったです その境内には今・・ 

 <みんな洋服で私一人が法衣で雪がふるふる (山頭火)> と石碑が残っております  句評は愉快だったし酒もご馳走も美味しく、雪は美しく、友情も温かかったです」 「あんさんは酒さえあればご機嫌さんでんな  そうでっしゃろ」 山頭火は丸いメガネの坊主頭をかいている。

 「俳句言うたら箕面はようさんいて、今日はぎょうさん俳人はんらも来てくれてまっせ・・ ええ~っと そこの 野村泊月はんは瀧道に、後藤夜半はんはこの大瀧前に句碑がありまんな・・ そんでそこの 水原秋桜子はんと山口誓子はんのは勝尾寺に、阿波野青敏はんのは箕面牧落八幡神社各々ええ句碑が立ってまんな・・ みなさん虚子門下でホトトギスの同人はんでしたな・・ それに え~っと そこには箕面山の風物を愛し、箕面賞楓稿残しはった儒学者の田中絹江はんもいはるし・・ それにああ 赤穂浪士の大高源五はんに箕面萱野の 萱野三平はんも一緒だっか・・ そう言うたらあんさんらも俳人で仲よかったんでしたな・・ しやけど大高はんら赤穂浪士のあの討ち入りの話は後で聞かせてんか・・ 」

 たけしが隣のサル仲間に口をはさんだ・・ (たけしはもうすっかり猿の仲間になっていた)

「あのなー 西国街道沿いの萱野に今 萱野三平旧邸とけい泉亭があるねんな 大阪府の史跡指定やけど、三平はんは赤穂浪士四十八番目の義士と言われてな 「忠」と「孝」 の狭間で苦しんで自害しはったんやが俳人としても江戸俳壇で高い評価を受けたんや・・ オイ! 聞いいてんのか? アホらし」 仲間サル達は知らん顔をして相変わらず酒を飲んでいる。

蝶々さんが続ける・・ 「ついで言うたら何なんやけど・・ この大瀧脇の大きな石碑には あそこで飲んでる 頼山陽はんの漢詩が残されておりまんねんワテ 難しゅうてよう詠めまへんが・・ え~っと水しぶきが輝いて秋の大瀧まえに風が吹いて ほんで紅葉の葉が舞ってるちゅう様子らしいでんな? ちょっと頼はん そうでっか?」

 「まあ そんなところですが、私が箕面大瀧へ来たのはあれは・・ 文政12年の11月19日のことです  紅葉の真っ盛りでこの田能村竹田  後藤松蔭らと一緒で・・ それにこの母も一緒でその美しい情景に母も喜んでくれました」 「それは親孝行しはりましたな・・ ここが「孝行の滝」と言われる所以でんな・・ そうや! 孝行いうたらそこの 野口英世はん あんさんはいつ箕面へ来はったんでっか?」 「あれは私がアメリカから帰国した頃で 大正4年の10月10日でした  母を連れてあの瀧道の料亭「琴の家」でお世話になりました  今、その前の山中に私の銅像が建てられ、それに千円札に肖像が印刷されたりしてちょっと恥ずかしいですわ  でもこの箕面の滝の思い出をこの母はずっと大切にしてくれました・・」

 「みんなその帰りにここの瀧安寺はんにお参りしはったんやな~ ワテは瀧安寺はん言うたら日本で最初に富くじ作りはった言うからな そんで宝くじ当たるように手を合わしてましたな・・ ハハハハ」

 「それはそうと ワテがまだ若うてベッピンさんやったころや・・」「今でもきれいやで!」  と後方から声がかかる・・ 「おおきに! この瀧道に駅前から大瀧まで観光客をのせた馬車が走ってましたな・・ よろしおましたな  それがこの狭い道を後ろからチリン チリン と鈴ならしながら走ってくると山裾にへばりつくようにして避けたもんですわ  そんな時に限ってあの大きな馬が尻の尾を持ち上げてドカッと馬糞を出しまんねんな  かないまへんな ああ すんまへん! みんな美味いもん食べてはるのに台無しや ハハハハハハハハ」

 「さて 次は・・ 今日はいつになくようさんのなじみの人が集まってくれはりましたな  おおきに! 美味い酒も料理もたっぷりとありますさかいな  あがっとくれやす ところで酒も飲まんとニコニコしてはるそこのお坊さんは・・? ああ 法然上人はんかいな?」 「はい! 今、皆さんのお話を楽しく聞いてました。 あそこに座ってらっしゃる御方は北朝第2代の光明天皇で、話を聞くと実はここの勝尾寺で崩御されたらしいですわ・・ あの光明院谷にある七重塔は実は 光明天皇陵らしいですよ」 「そうでっか それにあの勝尾寺創建しはった光仁天皇の皇子の開成皇子さんのお墓・・ 今も東海自然歩道沿い最勝ケ峰にあるけど、宮内庁云々の文字がありまんな・・ その辺の事 後で聞いてみまっさ!

 ところであんさんはいつ箕面へ・・?」 「私ですか 私は浄土宗を開祖したと言うものの後鳥羽上皇の怒りかって四国に流罪となりました  しかし、建永2年12月に罪を許され京に戻る前に4年間 この勝尾寺境内の二階堂で修行をしました  だからこの箕面はよく知っていますよ」

  屋根の上に座ってたけしは仲間サルにまた解説を始めていた。 「オレの知る限り、12世紀後半に後白河法皇によって編まれた今様歌集の <梁塵秘抄> にな 人里離れた深山で修行す 修験者、聖ひじりが修行した多くの山々が詠まれてるけど~ 箕面よ ~勝尾よ と詠まれてるから、中世からこの箕面の山々は物見遊山や観光地でなく、俗人が容易に入れない森厳しな山中異界だったらしいぞ・・」 相変わらず仲間サル達は知らん顔をしている。

  すると下のほうでは一人の男が立ち上がって蝶々はんと話している。 するとしばらくして蝶々はんが・・ 「は~い! みんな大いに盛り上がってまっけど ここでカルピスなんぞどうでっか? あんまり酒ばっか飲んでるとワテの相方やったそこの雄さんみたいに体悪うなりまっせ!」「じゃかましいわい!」 南都雄二が笑いながら返している。

 「そやさかいな ちょっとここで発酵乳でも飲んで胃なんぞ休めなはれや 三島海雲はん ちょっとみんなに配っとくなはれ・・」 「はいはい 私はこの箕面の稲に生まれましてな  明治35年に修行の為中国に渡りましてな  モンゴルの遊牧民が飲んでた発酵乳からヒントを得て造ったのがこの <カルピス> 言います  下界では 初恋の味 とか言うて、よう飲んでもろてます  健康第一! さあみなさん どうぞ どうぞ・・」

  みんながそんな一時の間をおいているいる時だった。  突然 大瀧前の舞台が明るくなった。篝火が一段と炎をあげて燃え盛り、周りは一気に明るくなった  ドドドドド  ドド  ドド~ン 

大きな太鼓の音が森に響き渡り、派手な衣装を着た芸人が舞台に出てきて挨拶を始めた。 

 「・・これはこれは箕面にゆかりのある人たちが今宵は沢山お集まり頂きました  われらはここ摂津の箕面村の真ん中を貫く西国街道を通り、東は東海道、西は山陽道へと旅する芸人でございます  この脇往還は江戸への大名行列から牛、馬に引かれた荷車に至るまでせわしなく往来しております  中には遊行者、巡礼者、虚無僧、六部、山伏、行商人、渡職人、香具師や私らのような旅芸人も通ります  村の四つ辻なんかで繰り広げられるいろんな大道芸人から小猿をつれた猿回し、肩にかけた小さな箱で人形を遣う夷舞わし、どさ回りの芝居一座やサーカスなんかの一座もです  今宵はそんな旅芸人がいつも箕面村を通り、お世話になってきたお礼を兼ねまして演じますので どうぞ ごゆっくりと お楽しみください ませ~ 」

  そう言うと少し舞台が暗くなり、やがて初春に演じられる 万歳」「大黒舞」などの祝福芸人に 「太神楽」の一行も賑やかな音奏でながら入ってきた。 たけしは仲間サルと共に屋根の上で興奮気味にそんな舞台を楽しんだ。 その間、司会者の蝶々はんも一休みしながらみんなの間を回り、大声で笑ったりからかったりしながら話が尽きない・・

 「そやそや・・ みんな聞いとくなはれや 今日は後で、あの昭和の大横綱 双葉山の土俵入りもありまっせ! なにせ 双葉山はんは昭和14年にここ箕面小学校来てくれはんったんや  そこで立派な土俵入りが行われたんや」

まだまだ これから宴が盛り上がる気配だ・・

(3)へ続く


箕面の森のおもろい宴(3)

2020-08-20 | 第17話(箕面の森のおもろい宴)

箕面の森の小さな物語 

 <箕面の森のおもろい宴>(3)

  「ちょっとそこできれいな芸者さんとさしつさされつしてはんのは 桂太郎はんやおまへんか?  そんで横にいはるのは・・ 箕面有馬電気軌道の初代社長はんの 岩下清周はんでっか?  他にもそこにぎょうさんいはる人ら、あんさんらに関係ある 箕面観光ホテルな・・ ワテはその隣の箕面スパーガーデンの温泉が好きでしたわ ハハハハ・・」

 岩下 さんに聞いている・・「あのホテルの 桂 公爵別邸の名前はその桂はんでっか?」 「そうです・・ それにあの頃 箕面動物園が開園しましてな  日本で東京の上野、京都の東山に次いで三番目の動物園でしたな大きな観覧車も箕面駅前に設置してね  それは盛大でしたよ  当時の面積は3万坪で、広さは <日本一の箕面動物園> と 言われたものでしたな・・」

 桂 太郎が話を継いだ・・ 「ワシはこの新橋の芸者 お鯉をつれて、その動物園のある 松風閣へ泊まりにきましたんや・・」 「それ 続お鯉物語で読みましたわ  そんであんさん それ総理大臣になる前でっか?」 「いやいや 後の事ですな ワシが第11代内閣総理大臣を拝命したのは明治34年じゃからな  日露戦争を勝利した頃じゃなそれから第13代、第15代も総理を務めたのじゃ その頃の箕面は活気にあふれておったな・・ なあ 小林一三さんや」

 林 一三が話しを引き継いだ。 「ワシが今の阪急電車を興したのは明治40年の10月19日で日露戦争が終わって2年後でしたな  その3年後にこの箕面線と宝塚線が営業運転を始め それに併せて沿線の宅地開発もしました  大正11年9月には 箕面・桜ヶ丘で <住宅改造大博覧会> も開かれてそれは盛大でしたな・・  線路は神戸や京都へと拡張し、阪急百貨店や東宝、コマ劇場など次々作って大忙しでしたな・・・ この箕面動物園は明治43年11月に開園し、その後事情で大正5年3月に閉鎖して宝塚に移し、歌劇場なんかも併設したんですわ・・」

 「皆さんは 箕面の発展に尽くしてきてくれはった人ばっかりやな」 話はまだまだ続く  夜は長い・・

 「ちょっと そこでベレー帽かぶって虫眺めてはる人は・・ ああ 手塚治虫はんやないかいな  ほんまあんた子供の頃から虫が好きやったんやな・・」 「ハイ~ 私の少年時代はこの箕面の山や森をよう歩き回りました  この大瀧の上にある 杉の茶屋付近で オオムラサキ蝶を見つけた時はもう興奮しましたよ  オオクワガタなんかもいっぱいしましたしね・・ 楽しかったな~」 と少年時代を回想している。 「それがあんた いつの間にやら医学博士になって、そんでいつの間にやら漫画の神さんになりはって・・ 鉄腕アトム、ジャングル大帝、ブラックジャック、リボンの騎士・・ 次々とぎょうさん人気漫画をつくりましたな~ 今でも子供からええおっさんまで大人気でんがな・・ 多彩な人やわ」

 「手塚 治虫はんの隣で、何やら草眺めて絵描いてはる人は・・?」 「この方は日本の植物学の父と言われる 牧野富太郎博士ですよ」 「いやいや 何しろこの箕面の山々には日本の150種ほどの羊歯シダの 種類が生息しているように、多様な植物が昔から自生しているのでね それに横にいるのは 江崎悌三さんですよ <誰が箕面で初めて採集したか?>(累策社刊)を書いた人です  日本が世界に誇る偉大な虫聖とも言うべき人ですよ」 「いえいえ 箕面は山岳地帯で多くの昆虫学者を育てた昆虫相が 豊かな場所なんです そして昆虫たちは鳥たちと共に箕面の植物学者を育てた豊かな植物相に支えられており、それらは箕面の地層と河川に支えられてきたのですよ  またその地勢から生じる気流にも恵まれて多様な植物種が繁茂し、豊かな生態系が箕面の森を育んできたんですよ・・」

 「ワテにはよう分かりまへんけど、なにせ箕面の面積の大半は自然豊かな山でっさかいな・・ と蝶々さんが頷く。

 「それはそうと、そこで真面目な顔して座ってはる人は・・?  ああ 日本人初のあのノーベル化学賞を貰いはった 福井謙一はんおまへんか・・」 「ハイ こんばんわ! 私は子供の頃から昆虫が好きでしてね・・ 私の家がここに近いこともあって、何度も箕面の山々を歩きましたわ  学校の生物部に入ってたこともあって、箕面のどこにどういう昆虫やクワガタが棲みついているかということまで、頭に入ってましたな~  今思えばそんな経験で学ぶ事の尊さを痛感しましたな・・ 後々大いに自分の研究にも役立ちましたよ」

 「ノーベル賞いうたら文学賞もらいはった 川端康成 はんはどこでっか?  おもろい文学の話でも聞かせてんか・・・」 「オイ オイ 蝶々はん ちょっと待ってや 今ワシと昔の思い出 話ししてましたんや」 「ああ あんさんは 笹川良一はんでっか」 「そうや ワシはこのボンとはな 子供の頃からの友達でな・・」

  休憩所の屋根の上では たけしがまた仲間サルへの解説をしていた。「みんな知ってると思うけど、箕面駅前から瀧道に入ってしばらくするとお母さんを背負って階段上がってる男の人の銅像あるやろ・・ あれが 笹川 良一はんやねな  なにせ日本の首領とか 日本の政財界の黒幕とか いろいろ言われてきた人やけどな  A級戦犯容疑かと思うたら衆議院議員やったり、競艇事業創設したり後年は日本財団創ってな  多大な慈善事業や社会貢献もしてきはった  どでかいスケールの人やったんやで・・ オイ オイ みんなオレの話し聞いてんのかいな?  アホらし!」

  川端 康成が頭を掻きながら話している・・ 「このゴン太にはよう助けられましたわ  私は虚弱で弱虫やったけどこいつは村一番の暴れん坊で、そんでゴン太言うあだ名がついてましたな・・ 私は祖父と貧しい暮らしやったけど、ゴン太は箕面・小野原の酒蔵持ちで大きな庄屋の長男やったんで、二人の境遇も性格も正反対やったのによう気がおうて遊びましたな  私の家とは小学校挟んでゴン太の家と一里ぐらい離れてたんで、夕方私が遊んで帰る時にはあの小野原村の春日神社の森が怖くて怖くて・・ それでようゴン太に送ってもらいましたわ  同級生やのにちょっと恥ずかしいですな」 「いやいや あんたとは15歳ぐらいまでいつも一緒やったな  けどこいつは頭がようて一高から東大ですわ  ワシは寺の修行に出されましてな  あれが運命の分かれ道やったな・・」 二人の話は尽きない・・

 川端 康成は近くで飲んでいる 夏目漱石 に話しかけた・・ 「ところで あんたは 箕面動物園みましたかな?」

 (4)へつづく・・


箕面の森のおもろい宴(4)

2020-08-20 | 第17話(箕面の森のおもろい宴)

箕面の森の小さな物語 

 <箕面の森のおもろい宴>(4)

   川端 康成の話のふりに 夏目漱石 が少し酔い顔で応じた。 箕面動物園? ああ ありましたな・・ 私の記憶にあるのは・・ 明治44年の8月12日でしたか 大阪の朝日新聞の友人を訪ねたら箕面の紅葉の名所へ行こうと誘われてここへ来ましたよ  真夏で紅葉には早かったけど、渓流に鳥が鳴き、山があって山の行き当たりにこの大瀧があって大変好い所でした  友人はボクを休ませるために箕面の森の中にある社有の倶楽部朝日閣に案内してくれて、そこで風呂に入り牛睡しました  暑い日だったけど箕面の森は涼しくて気持ちよかったですよ  私の小説<彼岸過迄>に少し書きましたがな・・」

  司会が引き継ぐ・・ 「朝日閣 ちゅうたらそこの 坂田三吉はん  あんた7段やったな将棋 名手新手合でそこの8段 関根金次郎はんと箕面のここで勝負しはったな 「そうやな 大正2年の7月16日やったわ しやけど今日の酒は美味いでんな・・」と言いながら酔いつぶれてしまった。

  先程まで前の舞台でいろんな芸をして楽しませていた旅芸人たちがみんなの宴の中に入ってきて一緒に酒盛りが始まり、宴は益々賑やかになってきた。 あちこちで大阪弁が飛び交っている・・ 「アホ言いなはんな  けったいやな  おちょくらんといて~や  さっぱりワーやな  そうでっか  おまへんのや  もうやめときまっさ 何言うてはりまんの  ウチらよういわんわ  そんなんちょろいわ そないしとくれやす  そうでんな・・」 

 司会者が少し一休みして座ったところ・・ 「それはそうと そこにいるのは 鴨長明はんやないでっか?  あんさんが58歳の時に書きはった <方丈記> 800年前の本やのに今でも人気ありまっせ・・ そや! 箕面川ダム湖畔にあんたの歌碑 ありまっけど知ってまっか?」

 みのおやま 雲影つくる峰の庵は松のひびきも手枕のもと> 鴨長明

 あれは鎌倉時代末の<夫木集>にありますね  他にも・・・

<なかれてと思うこころの深きにぞなにかみのおの滝となるへき>後九条

<わすれては雨かとぞ思う滝の音にみのおの山の名をやからまし>津守国助

 「昔から箕面の山はそう詠まれてたんやな  へえ おおきに! 今宵はいろんな人が集まってくれて面白話しも聞けてよろしでんな  ワテもちょっとお腹すいたんで休憩して、ちょっと美味しそうなおでんでももろてきまっさ・・」

 「みなさん! ここに箕面名物の もみじのてんぷら がぎょうさんありまっせ  どんどん食べとくなはれやちょっと 中井市長はん そこの座布団ちょっと取っとくなはれや・・ ところで昔の市長はんやけど 箕面っていつできたん?」 「え~と 箕面村から箕面町になったんが昭和23年元旦からで、箕面市になったんは昭和31年の12月1日からですな  あの頃、<箕面>言うたら人の数よりサルの方が多いんちゃうか? なんてよう外の人に冷やかされましたわ・・ それが今 箕面の人口は13万人超えてまんねんな・・」  

 蝶々さんが一休みで座った前に旅装束の人がいた・・ 「あれ? あんさんひょっとして 伊能忠敬はんやおまへんか? あんさんも箕面へ来た事ありまんのか?」 たけしは屋根の上でまた膝をたたき、何も聞いていない仲間サルにまた話し始めた。 「あの方は楽隠居などせんとな 55歳から17年間も日本中歩き回って最初の日本地図を完成させはった人やで・・」 

「私が箕面に立ち寄ったのは第7次測量の時ですね  文化6年、今から200年以上前のことですが、8月27日に江戸を発って九州へ向かう時でした 各地を測量しながら 11月4日に大津に着き、翌日は京都で、7日には茨木宿川原の郡山宿、そして 11月8日の夜明けから箕面に入り、西国街道を測量し芝村、萱野村を測量して歩きました  その時にこの大瀧にも立ち寄ったのです  見事な滝の流れで身も心も癒されました  その日は箕面・瀬川宿に泊まり、翌日 伊丹の昆陽宿まで測り山陽道へと南下しました・・」

  「あの最初の日本地図の測量に箕面も入れてもろて おおきに」 「それはそうと今宵は外人はんもようさんおりまっけど、あの人 どっかで見た事ありまんな・・?  そうや ワテの好きやったアメリカのケネデイ大統領の弟はんのロバート・ケネデイ司法長官はんやおまへんか?  グット イブニング・・ あんさん いつ箕面へ?」 「蝶々さんビューテイフル!です」 「アホ いいなはんな 口うまいでんな ハハハハ」 「私は昭和37年の7月9日でした このマンスフィールド駐日大使らと今の箕面市立西小学校にあった企業学校を視察に来ましたよ」

  そんな会話を楽しんでいる時だった。 すこし毛色の変わった人々がみんなの目の前を通り過ぎた。 「ああちょっと そこの縄文はんに弥生はんら・・ あんたらももっとこっちへきなはれや・・・ 何? 恥ずかしい・・ なに言うてまんねん あんたら紀元前から箕面にいはりまんのんやろ 古いでんな  大先輩や  大昔の箕面なんぞ聞かせてえや・・ ええっと 皆さん! 今宵は縄文はんや弥生はんらがぎょうさん来てくれてはりまっさかいな  大いに大昔の箕面の話しなん 聞いとくなはれや・・

  屋根の上にいた たけしは、突然の縄文人や弥生人にビックリしながら、だれも聞いてない仲間サルに懲りずにまた話している。 「確かに箕面には縄文時代の土器、石器も白島村あたりから出土してるし、如意谷村には銅鐸が出土し、3世紀の古墳群が新稲村にもあって3万年前の大昔から、この箕面には人が住んでいた物的証拠が多くあるらしいぞ・・ しかし、なんで3万年前の人から、昨日の人まで一緒にここにおるんやろ 分からんな?」

  たけしはしばらく首を傾げていたが やがて・・ 「そうや ワシ ちょっと蝶々さんに話し聞いてくるわ・・」 たけしは自分がサルであることをつい忘れて屋根を下り、宴の中に入っていった。 あふれんばかりの人並みをかき分け、やっと司会者の前に出た。

 「あの~ ちょっとすんまへんが・・ この宴に何で大昔の人から今の人まで一緒におるんでっか? 教えてもらおうと思うて・・」 「ちょっと ちょっと あんた!  どっから紛れこんだんや?  ここは人間だけなんやで・・ あきまへんがな! なんや あんた人間かいな? そんなサルの格好してからに・・ そやけどあんた まだ生きてはるんとちゃうの? ここはあの世の天の国の住人専用なんやで・・ そうや あんたもよかったら今から手続きしたるさかいに入らんか?」 「え~ そんな! いやいや結構です も少し息してたいから・・ さいなら~ すんまへんでしたな・・」 「けったいなやっちゃな!」

 けしが慌てて逃げるようにしてキビを返した時だった・・

 ド--ン!  ゴロゴロゴロ  ピッカ! ドカ--ン

  頭上で激しい大音響が響きわたった。

たけしは慌てて飛び起きた・・ ここはどこや? 山? ひょっとして・・  あの世の天の国か?

  たけしは長い長い昼寝からやっと目を覚ましたもののキョロ キョロと周りを見渡していた・・

    夢?  夢やったんかいな?

 もう夕暮れが近づいていた。

遠くで再びカミナリが鳴り響き稲光が光った。 うすぐ夕立がきそう・・ それにしてもよう寝てたな~  たけしはリュックを背負い、少しふらつきながら六箇山頂から腰をあげた。  まだ夢の世界と現実の世界の狭間でもうろうとしていた。 その時だった・・

 少し先の山道を数匹のサルの群れが横切り、たけしを見つめながら何か口を動かした・・ 「たけし! きのうはおもろかったな  また来年も行こな・・ 「そやな! え ええ~! まさか そんな・?」

たけしの頭の中はまだ半分 <箕面の森のおもろい宴> が続いていた。

 (完)