今日はゆっぴぃの授業参観日・・。
デキの悪いわが子の授業風景を見ることほどの
ストレスはありません。
ぐっと堪えて今日は笑って迎えなければ、と思いつつ・・・。
ムリでした
それはさておき、
廊下に節分の鬼の絵が飾られていました。
赤鬼、青鬼、子どもたちが描いた色とりどりの鬼の絵が張られています。
ゆっぴぃのは、なんか色が・・・。
くらい~。
この暗さはなんなのか・・・とかなりショックを受けました。
やっぱり私の病気のこととかで、子ども心に悪影響があるのだろうか、
と気になるほどの暗い色使いなのです。
それでなくてもまた登校途中のお友達のことで問題があり、
ゆっぴぃと二人で、アタマを悩ませていたところです。
今日帰ったら先生にお電話でゆっぴぃの様子を聞いてみようかな、とか
思いながら廊下を歩いていたら、校長室からでてこられた校長先生に
ばったり。
今まで個人的にお話したこともなければ、目と目が合った事すらない、
雲の上の方です。
私の魂が何を求めてしまったのか・・・。
思わず、校長先生に、声をかけてしまいました。
先生はちょうど2年生のご父兄との保護者会に出られるため、
今はお話する時間がないので、機会をつくってまたゆっくりお話しましょう、
とおっしゃり、私の背中をさすって去っていかれました。
私は涙があふれてあふれて、学校の廊下で泣き出していたのです・・・。
一旦帰宅しようと、車に乗っても涙が止まりません。
それでもおなかは空くもので、食事を取るためショッピングセンターへ。
そしてそこでもまた私の魂が何かを求めて・・・。
日曜学校の牧師様(女性です)にお電話していました。
「どうしました?」
の問いかけに
「助けてください・・・」
もうその時には涙が止まりませんでした。
1時間後、牧師様とお目にかかり、2時間、お話してきました。
牧師様にしてみれば、7ヶ月も成人科に通った後、行かなくなった私は
求道中、何かに「つまづいた人間」。
いったい何につまづいたのか、と考えていたそうです。
そして、お帰りなさい、帰ってきてくれて、うれしい、とおっしゃっていました。
つかまえた!とは思わないから安心してね、とも。
2時間、泣きっぱなしでした。
乳癌になって、私はつらかった。
なのに毎日毎日、癌になる前と同じ生活が続いていて、
私以外の回りは、まったく変わらなくて、とても孤独だった。
時々、[私は癌なのよ!!!」って叫びたくなる時があった。
癌以外の人は、私の気持ちなんかわからない、って思った。
毎日癌の恐怖ととなりあわせなのに、普通に生活できて、毎日普通にできている
ことが「ありがたい」というより我慢できなかった。
今日のように健康で、明るくてきれいなおかあさま方の集団といっしょにいた後は、
特に孤独を感じた。
私は死にたくない。
ゆっぴぃを「お母さんが病気のかわいそうな子」にしたくない。
「お母さんが死んじゃったかわいそうな子」にしたくない!!
様々な思いが、今日、爆発してしまったようです。
牧師様は、職業柄、いつも病気の方、天国に近い方を見舞われています。
私のような人もたくさん、見ていることでしょう。
そんな中、いわれたのが、
「癌であっても、あなたが普通に生活できて、抗がん剤の副作用も少なくて、
元気でいられることを神様に感謝したい・・」って。
感謝?
癌になって神様に感謝なんかできません、私。
でも、「~よりまし」、という意味では感謝しなくてはならないのでしょうか。
結局、信仰という観点からは私と牧師様は平行線でした。
ただ、今日の牧師様との面談は私が計画したことではなく、私の魂が「助け」を
聖職者である牧師様に求めたから実現したことです。
トリガーは、学校でお目にかかったシスターである校長先生との接触。
結局、私は何かに救いを求めているようです。
大量の涙と牧師様とのお話は、私の心の毒素を少しだけ洗い流してくれました。
何も解決はしないけど・・・。
さて、ゆっぴぃの心の問題とも向き合わなくては・・・。
デキの悪いわが子の授業風景を見ることほどの
ストレスはありません。
ぐっと堪えて今日は笑って迎えなければ、と思いつつ・・・。
ムリでした
それはさておき、
廊下に節分の鬼の絵が飾られていました。
赤鬼、青鬼、子どもたちが描いた色とりどりの鬼の絵が張られています。
ゆっぴぃのは、なんか色が・・・。
くらい~。
この暗さはなんなのか・・・とかなりショックを受けました。
やっぱり私の病気のこととかで、子ども心に悪影響があるのだろうか、
と気になるほどの暗い色使いなのです。
それでなくてもまた登校途中のお友達のことで問題があり、
ゆっぴぃと二人で、アタマを悩ませていたところです。
今日帰ったら先生にお電話でゆっぴぃの様子を聞いてみようかな、とか
思いながら廊下を歩いていたら、校長室からでてこられた校長先生に
ばったり。
今まで個人的にお話したこともなければ、目と目が合った事すらない、
雲の上の方です。
私の魂が何を求めてしまったのか・・・。
思わず、校長先生に、声をかけてしまいました。
先生はちょうど2年生のご父兄との保護者会に出られるため、
今はお話する時間がないので、機会をつくってまたゆっくりお話しましょう、
とおっしゃり、私の背中をさすって去っていかれました。
私は涙があふれてあふれて、学校の廊下で泣き出していたのです・・・。
一旦帰宅しようと、車に乗っても涙が止まりません。
それでもおなかは空くもので、食事を取るためショッピングセンターへ。
そしてそこでもまた私の魂が何かを求めて・・・。
日曜学校の牧師様(女性です)にお電話していました。
「どうしました?」
の問いかけに
「助けてください・・・」
もうその時には涙が止まりませんでした。
1時間後、牧師様とお目にかかり、2時間、お話してきました。
牧師様にしてみれば、7ヶ月も成人科に通った後、行かなくなった私は
求道中、何かに「つまづいた人間」。
いったい何につまづいたのか、と考えていたそうです。
そして、お帰りなさい、帰ってきてくれて、うれしい、とおっしゃっていました。
つかまえた!とは思わないから安心してね、とも。
2時間、泣きっぱなしでした。
乳癌になって、私はつらかった。
なのに毎日毎日、癌になる前と同じ生活が続いていて、
私以外の回りは、まったく変わらなくて、とても孤独だった。
時々、[私は癌なのよ!!!」って叫びたくなる時があった。
癌以外の人は、私の気持ちなんかわからない、って思った。
毎日癌の恐怖ととなりあわせなのに、普通に生活できて、毎日普通にできている
ことが「ありがたい」というより我慢できなかった。
今日のように健康で、明るくてきれいなおかあさま方の集団といっしょにいた後は、
特に孤独を感じた。
私は死にたくない。
ゆっぴぃを「お母さんが病気のかわいそうな子」にしたくない。
「お母さんが死んじゃったかわいそうな子」にしたくない!!
様々な思いが、今日、爆発してしまったようです。
牧師様は、職業柄、いつも病気の方、天国に近い方を見舞われています。
私のような人もたくさん、見ていることでしょう。
そんな中、いわれたのが、
「癌であっても、あなたが普通に生活できて、抗がん剤の副作用も少なくて、
元気でいられることを神様に感謝したい・・」って。
感謝?
癌になって神様に感謝なんかできません、私。
でも、「~よりまし」、という意味では感謝しなくてはならないのでしょうか。
結局、信仰という観点からは私と牧師様は平行線でした。
ただ、今日の牧師様との面談は私が計画したことではなく、私の魂が「助け」を
聖職者である牧師様に求めたから実現したことです。
トリガーは、学校でお目にかかったシスターである校長先生との接触。
結局、私は何かに救いを求めているようです。
大量の涙と牧師様とのお話は、私の心の毒素を少しだけ洗い流してくれました。
何も解決はしないけど・・・。
さて、ゆっぴぃの心の問題とも向き合わなくては・・・。