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覚書あれこれ

かつて見た映画、かつてやったマイナーゲームなどの覚書と単発ラクガキなどなど

ノルティア神事の一環?

2008年05月13日 | ローマ小豆知識
例のヴォルトゥムナの釘打ち神事(エトルリアの聖地ヴォルトゥムナでは1年が過ぎるごとに壁に釘を一本打ち付けていくという神事があった)、のちにローマのカピトリウム丘のユピテル神殿でも同じ行事が行われてたらしい。いや、ここまでは他の本でも読んで知ってたんですが、今回はさらにそれが

ユピテル神殿奉献日の9月13日だった

ことが判明したのでメモっておきます!(わあ、どうでもいい情報だナ☆)
さらにどうでもいい情報として、最初に釘を打ったのはマルクス・ホラティウスだったらしい。前507年ごろのことらしいよ。

エトルリアの起源

2008年05月08日 | ローマ小豆知識
なんと!最近エトルリア人の起源は小アジアにあるんじゃないかという説が再び浮上しているらしいです!

というのも、近年イタリアかどこかが発達した科学技術を応用してDNA鑑定を行ったらしい。
①まず、トスカーナ地方特有の白い牛のDNAを調査→原種はアナトリア、及び近東らしい
②エトルリア系の苗字を持つトスカーナ人のDNAを調査→調査対象の5%がやはりアナトリア及び中東の人間のDNAと非常に似通っているとかそんな風な結果が出たらしい。

なんで、ヘロドトス以来のエトルリア人のリディアからの移住説が再浮上してるらしいよ。

とはいえ、リディア人は印欧語族だから、エトルリア人とは語族的にかみ合わないし、どんな民族もどこかしら遺伝子的に共通してる部分があるそうだから一概には言えないらしいのですが(人種差別主義者のイギリス人の学者のDNAを調査したらアフリカ人と似通ったDNAが検出されたなどという結果もあるらしい)

いや、どっちでもいいんだけど、リディアからの移住説は古い説で、今はエトルリア人は原住民だった説が主流っていう記述を信じてそう思っていたのでいまさらやっぱりリディアだったといわれたら変な感じです。

ローマ人の名前!

2008年04月17日 | ローマ小豆知識
ローマ人の名前、どの部分が何を指すかについては(備忘のためにも)、
詳しくはいつかちゃんと記事を作って「ローマ」コンテンツ内に収めたいとは思ってるのですが、今日はとりあえず
①ちょっとひどいんじゃないのと思ったこと
②ふーん、と思ったこと
の2点を。

ちょっとひどいんじゃない、と思った女性名について。
①ローマでは女性の名前はダイレクトに氏族名だったらしい。
 つまり、ユリウス氏族の女の人はみんなユリアだったんですよ!
 何人もいてややこしいので「3番目のユリアさん」とかそんな風に呼ばれてたらしい。

…でも、知った当初はそりゃひでえよ、と思ったけど、実は男性名だって種類が18種類しかなかったと知って(道理で何度も同名のやつが出てくるわけだ)ちょっと溜飲が下がった。


②ふーんと思ったこと
ポリュビオスを読んでると、ギリシア人やマケドニア人は「ピリッポス」とか「アンティゴノス」みたいに個人名オンリーなのに、ローマ人はティトゥス・アッティウスとか、絶対個人名の後ろに何かが連なってるんですよね。
 この個人名と氏族名(さらにコレに色々連なる場合もある)からなる人名構成って、当時のインド=ヨーロッパ語族にしては珍しいんだって。(合成語による単一個人名を使う場合がほとんどなんだそうな)。
でもって、実は古代イタリア半島の諸民族はみんなこの個人名と氏族名からなる人名構成を採用してたんだって(文化的コイネーの一端)。

 この人名構成、前8世紀だか前7世紀だかにエトルリアで発生したらしいですよ。

古い誓約

2008年04月02日 | ローマ小豆知識
ローマでは誓約の時には
ユピテル、マルス、クィリヌス
の三神に、三神一組で呼びかける習慣があったんだって。

以下、ポリュビオス(歴史)からの抜粋。

「条約に関して誓いを立てようとするものは、一個の石を手に取り、公の権威のもとで宣誓したのち、次の言葉を述べる『われ誓いを守るとき、われに幸あれ。だがもししからざる思いを抱き、またそのような行いを為すならば、すべての者が祖国に安らぎ、己の法のもとに生き、己の財産と神事と墓標を守るときにも、われひとり、こうして石のごとく落ちていくがよい』。こう言って手で石を投げ捨てるのである」

ケルト辺りにもありましたよね、多分ローマの誓い以上に強力な誓約(ゲッシュっていうんだっけ?)が。
「天が落ち、海があふれ、大地が裂けて我を押し潰さぬかぎり、我誓い破らるることなし」
みたいな文句の。
なんかちょっと思い出しました。