泥棒に備えてはいけないというのが日本国憲法
でも心ある先祖は再軍備可能なしかけを作っていた



日本に欠けている2つの権利

北朝鮮がまたミサイルを連射し、中国海軍は尖閣諸島領海に侵入し台湾への威嚇を繰り返しています。

欧州ではロシア軍が国境に10万人を集結させウクライナ侵攻を狙い、NATOも数万人規模を招集しようとしています。

日本では岸田政権が先制攻撃能力の獲得と、先制攻撃の明文化、防衛費の1%枠突破を公約にしています。


防衛危機が高まっているわけで、同盟国アメリカからは「日本は防衛分担せよ」と要求されています。

ここで問題になるのが日本国憲法9条と護憲主義者で、実は彼らは中国やソ連の命を受けたスパイなのだが、取り締まる法律が無い。

日本国憲法は1945年に日本を占領したGHQのアルバイトが英文で1週間ほどで書き、日本語に翻訳したものです。


原文では「侵略戦争のための軍備を放棄する」だったのだが、翻訳を間違えて「国際紛争解決の為の軍備を放棄する」になった

憲法9条をよく読むと「国権の発動たる戦争」という意味不明な文字があるが、これも侵略による先制攻撃のような意味です。

「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」も英文を翻訳する過程で意味不明な日本語になった


9条には「国権の発動たる戦争」「武力による威嚇」「武力の行使」の3つだけを放棄すると書かれています。

そして3つを放棄するのは「国際紛争を解決する手段として」だけだと宣言しています。

話を要約すると侵略のための武力、侵略の為の威嚇、侵略の為の武力行使を目的とする先制攻撃だけを禁止すると書いてあります。


でも国会で可決する時GHQの検閲を受け、マッカーサーの命令を無理やり英文を日本語にしたから意味不明になりました。

こうしてマッカーサーやトルーマンも知らないうちに、誰も理解できない日本語の憲法9条ができた。

もう一つ指摘しなくてはならないのが「永久にこれを放棄する」という日本語です。


例えばあなたが財布を落として「永久にこれを放棄する」と誓約書を書いたら、落とした財布を拾わない宣言になります。

でも新しく財布を買って使うのは自由で、旧日本軍は放棄するが新日本軍を再結成しないとは言っていない。

日本国憲法をGHQが強制したとき、ほぼすべての国会議員が反対したが、米軍が「もう一度爆撃してやろうか」と脅して成立させた。



憲法9条は基本的人権の侵害です

当時の心ある国会議員はGHQにばれないように、わざと難解な日本語で日本が再軍備する「余地」を残しました。

こうして誰がどう読んでもまったく意味不明な憲法9条が成立し、現在の日本人を悩ませています。

今問題になっているのは日本を侵略する野心を持つ国がある事で、1945年には想定されていませんでした。


当時のアメリカは全世界の軍事力と経済力を独占していて、逆らう者がいない状況でした。

将来アメリカに対抗する国が表れて日本を狙うとは考えず、在日米軍も撤退する計画でした。

アメリカには「武装する権利」が憲法に明記されていて、国でも個人でも武装は基本的人権のひとつです。


欧州は個人の武装を認めていないが、国単位では「軍備は基本的人権」だと認識しています。

自国民を侵略したり威圧する国が現れた時、国が武装していなかったら国民の権利を守れないからです。

最近日本で非常におかしいと感じたのは、「車載工具を車に積んでいたら逮捕や起訴された」ようなニュースでした。


法律が厳しくなって従来違法ではなかったものが違法になり、しかも一般的に売られている物を持ち歩いただけで逮捕されます。

違法になったのは「長さ15センチ以上のドライバー」「刃の長さ6センチのカッター」「24センチ以上のバール」などです

実際これらを車に積んでいた大工が逮捕され起訴された例があり、警察の格好の「稼ぎ」になっています


きっと将来は金属製の空気入れやタイヤ交換に使うジャッキ、ボルトを締めるレンチも違法にするでしょう。

日本国憲法もそのようなものです