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蔡英文の父の謎
(2020/06/16)AC 論説 No.792 蔡英文の父の謎
蔡英文の学位詐称と真相隠蔽を追及する人が増えたにもかかわらず、蔡英文の真面目を知らない人が多い。メディアが蔡英文のニュースを報道しないのでユーチューブの報道に頼るしかないのだが、彼女の嘘がバレてもまだ彼女を弁護する人がいる。
「論文ゲート」を知れば知るほど何故こんな壮大な嘘がまかり通るのかという疑問が湧く。その疑問が彼女の父の蔡潔生の一生涯を知ることでわかってくる。蔡潔生が蒋介石・宋美齢の手足となった戦後から今日までの歴史である。蒋介石が台湾に流亡した1949年から2020年までの「蒋家王朝」を詳しく調べたのは童文薫弁護士である。彼女の調査や関係者のインタビューなどで蔡英文とDeep State の実相がだんだんわかって来たのである。
童文薫女史は先月、蔡英文の「論文ゲート三部曲」を発売した。第一部「論文真偽の謎」、第二部「党と国の女」、第三部「台北故事館」である。この大作の発表に続いて蔡英文の「総統青春館」を執筆中で、調査の進展を毎日ユーチューブで発表している。この本を発売したあと日本語訳と英語訳、電子版も発行する予定だという。
蔡潔生は戦後間もなく台北の中山北路、今のロイヤルホテル(老爺飯店)のすぐ隣の公園がある土地で「朝陽汽車」という自動車修理工場を経営していた。戦後すぐに起きた228事件で蒋介石が軍隊を派遣して鎮圧したあとの白色恐怖の時期で、ほとんどの台湾人が戦々恐々だった時代である。そのような時期に蔡潔生だけが特務を恐れなかったのは不思議である。
彼が特務を恐れなかった理由は蔡潔生が蒋介石直属の部下、任覚五と知り合ったからである。戦後まもなく朝鮮戦争で米軍の顧問団が台湾に駐屯した。台北市の米軍顧問団の建物があった地区の公園予定地を任覚五が「中央各軍事学校予定地」の名義で確保し、建築許可を取ってから蔡潔生に譲渡して楽馬飯店「Hotel Roma」と名付けた売春宿を経営した。これがその後「海覇王」と名前を変えた建物である。公園予定地を軍事要地の名義で横領した任覚五から蔡潔生に売却され、「正中公司」と名前を変えて蔡英文が株主となり、およそ百億元と評価される商業用地に変更されたのである。
まだある。米軍顧問団の上級軍人たちは陽明山にある住宅地区で暮らしていたが、この土地の片隅に特別許可があったのか蔡潔生が豪邸を建てたのだ。蔡英文もここで育ったと言われる。蔡潔生はどうしてこんな特権階級になれたのか不思議である。
今回の記事は私がいつも見ているユーチューブで「論文ゲート」を追及している彭文正の「政経関不了」と、童文薫の「総統青春館」などみて感じた蔡潔生に関する三つの謎である。第二次大戦後の台北で自動車修理工場を経営していた30歳にもならない蔡潔生が白色恐怖時代に蒋介石の知遇を得て、蒋介石と宋美齢の援助で屈指の大富豪になった経過について私の推測である。
第一の謎は蔡潔生はなぜ白色恐怖で特務に連行される恐れがなかったことだ。蔡潔生は朝陽公司という自動車修理工場を経営していた。戦後の台湾で車を持っていたのは国民党の高級幹部だったから朝陽汽車修理工場は国民党幹部に必要な会社だったと思われる。しかもそのあと228事件で中国から進駐した軍隊の自動車の修理も彼が請け負ったと思われる。だから白色恐怖を恐れることはなかった。その上に自動車の修理で軍のトップである任覚五と知り合った。任覚五は蒋介石直属の情報部のトップである。やがて蔡潔生は蒋介石の乗用車を修理した関係で蒋介石、宋美齢の知遇を得たと思われる。これが第一の謎解きである。
終戦後の台湾では中国から来た国民党の高級幹部が日本政府や日本人が明け渡した土地(日産)をいろいろな方法で取得することができた。この時期の日産土地処理委員会の主任が伍守恭であった。もう一人の任覚五は「軍統」と呼ばれる国民党情報部のトップである。二人とも蒋介石直属の部下だった。やがて朝鮮戦争で米軍顧問団が台湾に駐屯したとき、米軍の動向を監視するのは任覚五の任務だった。任覚五は米軍の動向を監視するため公園予定地を「中央各軍事学校予定地」名義で占領し、ホテルローマを建ててその経営を蔡潔生に任せた。同じように陽明山の米軍住宅区の片隅に建てた蔡潔生の住宅も実際は米軍監視所だったはずだ。これが第二の謎解きである。
第3の謎は、どうして任覚五がこれほど蔡潔生を信用して米軍監視の仕事を命じたのかである。任覚五は軍統(国民党政府軍事委員会調査統計局)の主任である。228事件のあとの白色恐怖時代で、台湾人と外省人の関係が最悪だった時代に軍統のトップ任覚五が台湾人の蔡潔生に米軍監視の任務を任せたのは蒋介石の許可が必要だったはずだ。この時代に蒋介石や任覚五が絶対的に信用したのは「血盟」、青幇(チンパン)の仲間だけである。
こう考えたら蔡潔生は任覚五の情報部員だけでなく、青幇の一員だったと推測してもよいだろう。青幇は上下関係を重視する結社だから蒋介石、任覚五、蔡潔生の「縦の繋がり」があった。このような関係があったからこそDeep Stateの援護で大富豪になれたし、娘の蔡英文も蒋介石系Deep Stateと宋美齢系Deep State の援護を得て留学し、学位がなくても大学教授に裏口就職し、学位詐称と文書偽造の真相隠蔽を続けることができたたのである。
青幇は秘密結社だから真相調査は難しい。任覚五と伍守訓は戦後の台湾で大きな仕事をした有名人である。伍守訓は国際的にも有名な弁護士で戦後の日産処理委員会の主任だったし、台湾の悪性インフレの時に台湾紙幣を4万元から1元に切り下げた責任者だった。それなのに二人をGoogleとWikipedeiaで検索しても何ひとつ出てこない。
童文薫女史からのメールでは、ここに書いた第一と第二の謎についての推測は彼女の調査と報道と一致するけれど、第三の蔡潔生が青幇の一員かについては今後の調査が必要だと書いていた。
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