人生は喜劇だ

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人生は喜劇だ

ゲーテの『ファウスト』や、ダンテの『神曲』は、いずれも人類の歴史に残る文学の傑作なのだが、何が良いのか分かり難いし、そもそも、これらを読んだ人は、そんなに多くはいないだろう。
いずれも、簡単に言えば、「人生が嫌になった中年男が救いを求めるお話」である。
そして、いずれも、鍵は「女」である・・・と言ったら下品に聞こえるかもしれないが、そんなものである。
ファウスト(錬金術師の怪しい男)は老人に近い歳と思うが、グレートヒェンという若い娘(何歳かは分からないが、15~17歳と思える)に夢中になるという、言ってみれば、スケベジジイと言ったら怒られそうだが、やっぱり、そんなものである。
そもそも、ゲーテ自体が、歳を取っても若い女の子が大好きで、いろいろやらかしている。
一方、ダンテの方は、実生活での片思いの相手、ベアトリーチェを『神曲』の絶対的ヒロインにするが、ダンテとベアトリーチェは、お互い9歳の時に出会って、ダンテの方が夢中になるが、ベアトリーチェがダンテに友好的だったことは全くなく、むしろ、拒否されていたところがあり、ベアトリーチェは他の男に嫁ぎ、24歳で病死した。
だが、ダンテは、『神曲』の中でベアトリーチェと深い交流を果たすという、妄想的願望がイタリア最大の文学を生み出したわけである。
ファウストとグレートヒェンは無残な結果に終わっているが、おそらく、グレートヒェンにはモデルがいて、それは、いい歳をしたゲーテのお気に入りの美少女だったのではあるまいかと勝手な想像をするが、ゲーテのことを考えれば、無理な想像ではない。
ゲーテもダンテも、きっと、彼らの人生が、自分で思うような人生ではなく、幸福感を感じておらず、むしろ、人生の辛さに苦しんでいたと言って間違いないだろう。
そもそも、満ち足りた人間が文学を生んだりしない。
だから、もし、あなたが文学的作家になりたいなら、幸福な人生は望めない。これは間違いない。
いや、たとえ、娯楽作品を書く作家だとしても、深い心の傷を抱えていない限り、読者の心を掴めるものは書けないはずである。
だが、作家というのは、どこか、人生の苦しみに折り合いをつけた者だとも言える。
ただ苦しい、悲しい、辛いだけでは、やはり作品は書けない。
自分が見つけた、人生の苦しみを克服する鍵が文学のテーマになる。
『ファウスト』にも『神曲』にも、それ(人生の苦しみを克服する鍵)がある。しかし、極めて難しい鍵であるし、鍵というよりは希望の欠片といったものだろう。
つまるところ、ゲーテもダンテも、生涯、救われなかった。
だが、それで良かったのだと言える。
『ファウスト』も『神曲』も、彼らが自分の生涯をお芝居(戯曲)にしたものであり、良い終わり方にはならなかったが、とにかく、「はい、芝居はここで終わり」というふうにした・・・つまり、落とし前をつけた(評価を下した)のだ。
自分で、どう落とし前をつけるかで、人生の満足度が決まるのである。
ベートーヴェンが死に際に「諸君、拍手を。喜劇は終わった」と言ったが、彼は、彼なりに、自分の人生に落とし前をつけたから、そんなことを言えたのだろう。
人生は、自分で落とし前をつけるべき喜劇だ。
実際、『神曲』というタイトルは、森鴎外が勝手につけたもので、本当のタイトルは『神聖なる喜劇』であり、ダンテ自身は、タイトルをただ『喜劇』としていた。
ゲーテの生涯も、ダンテの生涯も、ただの喜劇だった。
それなら、私やあなたと何の違いもない。
我々の生涯は喜劇である。
だが、最初から、そう思えば、案外に面白いのである。
実を言えば、シェイクスピアも、イェイツ(「20世紀最大の詩人」と呼ばれた詩人・劇作家。ノーベル賞受賞)も、人生が芝居に過ぎないことはよく認識しており、それは、やはり喜劇であった。
何度も言うが、我々の生涯は喜劇である。
伊達政宗も言ったではないか。
「馬上少年過 style="color: #0000ff;">馬に乗って戦場を駆け巡った少年(若い頃の自分)の時代は過ぎ、世の中は平和になり、私も歳を取った。
天が私をまだ生き長らえさせているのだから、大いに楽しもう。
・・・だいたい、そんな意味である。彼に深刻さはない。
我々も同じで、まだ馬上の少年なのか、戦う時代は終わったのかは分からないが、楽しむべきである。
だが、無理な楽しみ方をする必要はない。
どの時代であろうが、真言を唱えることを忘れなければ、楽しいこと、嬉しいこと、面白いことだらけである。
そうなるように、真言が与えられたのである。
これは、多くの証拠があり、間違いのないことである。
人生はただの喜劇であるのだから、楽しまねばならない。
まあ、ゲーテもダンテも、そこそこは楽しんだと思う。
だが、あれだけの大天才でも、真言を知らなかった。
いや、知っていたかもしれない。知っていたら、彼らも人生を楽しめただろう。しかし、それは分からない。
だが、我々は間違いなく知っているので人生は面白いに決まっているのである。
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