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あとはおまかせ
乾正人 オフレコ破りは背信行為である
乾ぶし 待ってました!
世の中の動きが速すぎるのか、こちらが年をとったせいなのか。たぶんその両方なのだろうが、あっという間に2月も半ばを過ぎた。
中国語で「新聞」と書けば、ニュースの意味だが、今日の新聞は、明日には旧聞となる。2週間前の話なぞ忘却のかなたにあっても不思議でないが、新聞記者の端くれとしてもやもやが消えない一件がある。
「もやもや」感が消えない
性的少数者や同性婚をめぐって「隣に住んでいるのもちょっと嫌だ。同性婚を認めたら国を捨てる人が出てくる」などと3日夜、記者団に発言し、首相秘書官を更迭された荒井勝喜氏の件である。
彼の発言は、酔っ払い中年の居酒屋談議ならいざ知らず、首相秘書官としてアウトだ。はやりの言葉で書けば、国家公務員としての人権意識が「国際標準」に達していない。
もやもやしているのは、彼の発言が首相官邸内での記者団との立ち話の中で飛び出したことである。官邸内での秘書官と記者の立ち話は、発言内容を実名で報じないオフレコが前提なのは、私が首相番記者をしていた34年前も今も変わらない。
「官邸内での発言は、首相のみならず事務の副長官や秘書官の発言もすべてオンレコにすべきだ」という論議は、昔からあった。それがオフレコのままなのは、オンレコにすれば、守秘義務を課せられている副長官や秘書官が記者団の前を素通りしてしまうのを危惧したからだ。このため原則として副長官は「政府筋」、秘書官は「首相周辺」との匿名で報道する慣習が続いている。
先日、歴代ナンバーワン官房副長官と評された石原信雄氏が亡くなった。彼は首相官邸への通勤途上で、北朝鮮のノドン発射を記者団にリークしたのだが、情報源を示す主語はどの新聞もテレビも「政府筋」だった。実名が新聞で明かされたのは、かなり後のことである。
今回の一件で、取材する側とされる側の微妙なバランスが崩れてしまうのではないか、と還暦記者は憂える。メディアと権力側との「なれ合い」はあってはならないが、取材源の秘匿という最低限の「信頼」関係がなければ、ますます権力側の本音が隠されてしまいかねない、と。
なぜその場で言わないのか
荒井発言をいちはやくネットニュースで報じた毎日新聞の説明によると、発言を聞いた記者は官邸キャップを通じて本社政治部に報告、編集編成局での協議で、オンレコ報道に踏み切ることを決めたという。
本当に残念だ。現場の記者が、上司の判断を仰ぐ前にその場で「今の発言は重大なので、オンレコで報道させてもらいます」となぜ言わなかったのか。オフレコ前提で話をしている以上、秘書官が自らの発言の過ちに気付き、その場で訂正するチャンスを与えるべきだった。
私が駆け出し政治記者のころ、大人数のオフレコ懇談の場で政治家や官僚が「重大発言」をしたとき、他社の先輩記者が「今の発言はオンレコにしていいですか」と必ず確かめていた。「オフレコ破り」は背信行為である。それをあえてする以上、上司ではなく自ら判断を下す覚悟がなくてはならない、と私は思う。
元秘書官には何の義理もないが、十分反省して、出直してほしい。
ではまた、再来週のこころだあ!
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