江戸散歩
老中や若年寄といった幕府の要職に就いている大名は、江戸城内で働いているので毎日登城するが、幕府内に職務のない大名は式日などにたまに登城するだけだった。それなのに、登城時は大名という立場から、供をそろえて行列を仕立てなくてはならなかったというのだから大変だった。さらには、そうやってわざわざそろえた供であっても大手門をくぐるときには、外に残していかなかればならなかった。いくら江戸城が広いとはいえ、多数の大名がそれぞれ持つ大勢の家臣まではすべて収容できないからだ。
大名は駕籠から降り、ひとりで城内に入る。すると、日ごろは何もかも家臣まかせの大名は、 ひとりでは何もできない。ましてや慣れない城内である。その手助けをするために江戸城にいたのが「お城坊主」。いわば大名の世話係である。小間使いのよう な存在で、お城勤めの役人としては下っ端だが、彼らの力は大きかった。なにしろ間違った作法を教えるなどして、大名に恥をかかせることもできたからであ る。大名のほうが萎縮してゴマをすらねばならないほどだった。
そのゴマすりの代表がお城坊主からのチップの要求に応えることだった。お城坊主は、城内では請求しづらいので、後日大名の屋敷を訪ねて集金して回ったという。。お城坊主の訪問を受けた屋敷では、主君が恥をかいては困るので、家臣がこっそり渡すのがしきたりだった。
このようにして、大名からお金をせしめるお城坊主の最大の稼ぎどきは正月だった。正月に大名の屋敷を訪ね、部屋にある調度品などをさりげなくほめるのだ。
お城坊主を最大限もてなさなければならない大名は、ほめられれば「与える」といわざるをえない。それを承知で大名のほうもたいしたものは部屋には飾らなかったというが、お城坊主は自分が担当する大名の屋敷をいくつか回ればそれなりの役得にありつけたのである。
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