いきもの語り 「忠犬ハチ公」生誕100年 世界に広がる共感、ウクライナでも

 

 

【いきもの語り】「忠犬ハチ公」生誕100年 世界に広がる共感、ウクライナでも

【いきもの語り】「忠犬ハチ公」生誕100年 世界に広がる共感、ウクライナでも

国内外で最も知られる日本の犬といっても過言ではないだろう。秋田犬のハチ。亡き主人の帰りを待ち続けた、との物語は今日まで、多くの人々の心に響き続ける。JR渋谷駅…

産経ニュース

 

国内外で最も知られる日本の犬といっても過言ではないだろう。秋田犬のハチ。亡き主人の帰りを待ち続けた、との物語は今日まで、多くの人々の心に響き続ける。JR渋谷駅前の銅像は、東京有数の待ち合わせ場所として定着し、人通りは絶えることがない。

「ガイドブックで見て、感動したんだ。日本に来たらぜひ見たいと思っていたよ。他の人たちも同じように考えているんだろうね」

25日午後、ハチ公の銅像前でポーズを取り、写真を撮っていたベトナムからの観光客、グエン・ヴァン・イーさん(43)は、笑顔でこう語った。英語では「Statue of Loyal Dog Hachiko」などと紹介される銅像前はこの日も長蛇の列ができていた。撮影タイミングで交わされる言葉は日本語だけでなく、英語や中国語など多国籍だ。

東大教授に引き取られ

ハチは大正12年11月10日、現在の秋田県二井田(にいだ)村(現・大館市)大子内(おおしない)で生まれた。生後3カ月ほどで東京帝国大(現・東京大)農学部教授で農業土木学者だった上野英三郎氏に引き取られる。教鞭(きょうべん)をとる傍ら、農商務省(現・農林水産省など)の兼任技師として多くの技術者を養成した。愛犬家の上野氏とハチを引き合わせたのは、ともに教え子で、当時秋田県耕地課長だった世間瀬千代松氏と部下の栗田礼蔵氏だ。

上京して間もなくのハチは、真冬の長旅だったこともあり、かなり衰弱していた。上野氏は自ら薬を飲ませ、さらに屋外飼いが当たり前だった時代に自らのベッドで寝かせるなど深い愛情を注いだという。

当時、上野氏の出講先は東京帝大の駒場キャンパスで、ハチは先に飼われていた洋犬2匹とともに松濤の自宅から徒歩出勤に付き合った。また、文京区内の農事試験場への出勤や出張時などには、上野氏を渋谷駅まで送っていたという。上野氏は試験場からの帰り、渋谷駅前で焼き鳥店に寄ることが多かったといい、いつからかハチが駅まで迎えにくるようになった

ただ、14年5月に上野氏が急逝し、環境は激変する。混乱の中、やむなく八重子夫人の親戚に預けられたハチだが、新たな家では上野氏から注がれたような愛情は望むべくもなかった。しばらくして、上野氏の教え子らの奔走で世田谷に落ち着けた夫人は、ハチとの同居を再開する。

駅利用者に疎まれ

この頃、ハチは時折、世田谷から姿を消し、渋谷辺りで目撃されている。生前の上野氏との生活を懐かしんだ行動だと感じた夫人は、出入りの植木職人で、富ケ谷在住だった小林菊三郎氏にハチを預ける。昭和2年の秋だった。ここから、今に知られるハチの渋谷駅通いが始まる。しかし、改札の前で動こうとしないハチは駅利用者から疎まれ、時には顔に落書きされるなど散々な扱いを受けた。転機となったのは、日本犬の保存活動を始めていた斎藤弘吉氏との出合いだ。

 

亡き主人、上野氏を慕ったと映るハチの行動や現在の不遇に心を痛め、東京朝日新聞に寄稿。のちに同紙が「いとしや老犬物語」(7年10月4日付朝刊)として記事化すると、忠義の犬と持ち上げられ、一挙に〝時の犬〟となる。

ハリウッドで映画に

興味深いのは「君に忠、親に孝」といった儒教的世界観とは異なる価値観の下でも、ハチの存在が大きくクローズアップされていることだ。同時代人であれば米国の社会福祉活動家、ヘレン・ケラーがハチの物語に涙した。また、近年でも邦画「ハチ公物語」をハリウッドが「HACHI 約束の犬」としてリメークし、ヒットした。ウクライナの首都キーウ(キエフ)近郊マカリウで、ロシア軍に殺害された飼い主の女性を待ち続けた秋田犬を、地元メディアが「マカリウのハチ公」と報じたことも広がりを示す一例だ。

ハチにまつわる研究を続ける白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の松井圭太学芸員は「死や別れに心を痛めた経験は誰もが持っている。そうした思いに重ねられる行動を取ったことが、共感を呼んでいるのだろう」と分析する。

 

ハチは今年、生誕100年を迎える。世紀を超えて、思いは語り継がれる。

(中村雅和)

 

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東大ハチ公物語 ハチ公と上野博士の像を東大に作る会

斎藤弘吉氏は次のように述べています:


「死ぬまで渋谷駅をなつかしんで、毎日のように通っていたハチ公を、人間的に解釈すると恩を忘れない美談になるかも知れませんが、ハチの心を考えると恩を忘れない、恩にむくいるなどという気持ちは少しもあったとは思えません。あったのは、ただ自分をかわいがってくれた主人への、それこそまじりけのない、愛情だけだったと思います。ハチに限らず、犬とはそうしたものだからです。無条件な絶対的愛情なのです。人間にたとえれば、子が母を慕い、親が子を愛するのに似た性質のものです。」「渋谷駅を離れなかったのは、心から可愛がってくれた到底忘れることのできない博士に会いたかったのである。ハチ公の本当の気持ちは、大好きな博士にとびつき自分の顔を思いきりおしつけて、尾をふりたかったのである。」


 私たちが東大に作る像は、上野博士が迎えに来たハチ公といつもそうしていたように、ハチ公が博士に飛びついてスキンシップをしている、大喜びの愛情あふれる姿です。人と犬との素晴らしい関係を象徴する像です。

 

 

人々の募金によって作られたこの銅像は、その後、戦争のための金属供出で溶かされ、わずかな金属塊となった戦後に2代目として作られたのが現在の渋谷ハチ公像である。

1935(昭和10年)3月8日

ハチ公、渋谷にて死去。

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