日本国憲法は、日本への執拗な極度の軽蔑と復讐の文書である

アーロン収容所 読んでない人は さわりだけでも 見ておこう

西村眞悟

日本国憲法は、日本への執拗な極度の軽蔑と復讐の文書である

「憲法記念日!」に、「アーロン収容所」を思い浮かべた。
京都大学の教授だった会田雄次さんは、日本軍兵士としてビルマ戦線で戦い、敗れてイギリス軍の捕虜となって二年余の間、ビルマにあるイギリス軍の「アーロン収容所」に収容された。
そして、戦後、「アーロン収容所」という本を書いた。何故書いたのか。その理由を「まえがき」に次のように述べている。
「私たちだけが知られざる英軍の、イギリス人の正体を垣間見た気がしてならなかったからである。いや、たしかに、見届けたはずだ。それは、恐ろしい怪物であった。
この怪物が、ほとんどの全アジア人を、何百年にわたって支配してきた。そして、そのことが全アジア人のすべての不幸の根源になってきたのだ。」

次に、その「アーロン収容所」の本文に紹介されている、イギリス人の「発想」と「論理」を紹介する。この論理こそ、会田雄次さんが、「怪物」と言ったイギリス人の
アジア人もしくは有色人種そして異教徒に接するときに現れる論理である。つまり、
最も非人道的なことを、さらに、最も野蛮なことを、人道主義の名において、そして、信仰の何おいて、為せる発想と論理だ。

(1)イギリス軍は、
日本兵捕虜の「収容小屋」の横に「豚小屋」を建てた。そして、豚に与える餌を、
日本軍捕虜に与える餌(食事)よりも上質なものにした。そこで、堪え兼ねた日本軍将校が、イギリス軍将校に、せめて、豚に与えている餌のレベルに我らの食事を改善してくれと要求した。すると、イギリス軍将校は、次のように答えた。
我らは、非常に人道的に君たちを扱っている。豚に与えている餌を君たちに与えるという非人道的なことはしない。」

(2)イギリス軍が、日本軍捕虜に与える米は、ビルマの下等米で、しかもひどく臭い米であった。その上、ある時期にはやたら砂が多く、三割ぐらい泥と砂の場合もあった。
それで、捕虜達は、日本軍司令部に、イギリス軍に抗議してくれと申し込んだ。その抗議に対し、イギリス軍担当者は、真面目にそして真剣に、次の通り返答した。
日本軍に支給している米は、当ビルマにおいて、家畜飼料として使用し、なんら害なきものである。」

(3)イギリス軍は、イラワジ川の、潮が満ちてくれば何時間も一尺くらいの深さになるまで水没する毛ガニがたくさんいる中洲に、百何十人かの日本軍鉄道隊の捕虜を収容した。
捕虜達は飢えに苦しんだ。しかし、中洲にいる毛ガニは美味しいカニだが、アメーバー赤痢菌をもっており生で食えば赤痢に罹患し血便と血反吐を吐いて死ぬ。
そこで、イギリス軍は、カニには病原菌がいるから生食してはいけないという命令を出していた。しかし、一日数時間も水没する中洲に薪は無く、飢えた兵隊は生で毛ガニを食べて死んでいった。
監視のイギリス兵は、みんなが死に絶えるまで、岸から双眼鏡で毎日観察していた。そして、全員が死に絶えたのを見届けて、次の通り上司に報告した。
日本兵は衛生観念に乏しく、イギリス軍の度重なる警告にもかかわらず、生カニを補食し、疫病にかかって全滅した。まことに遺憾である。」

(4)イギリス人の女達は、日本兵捕虜を人間として意識していない。
会田さんは、看護婦や女兵士の部屋の掃除をするために部屋に入り驚いた。一人の女が全裸で鏡の前に立って髪をすいていたからだ。しかし、女は、入ってきたのが日本兵だと知ると、何事も無かったかのようにまた髪をすき始めた。イギリス人は、大小の用便中でも
日本兵捕虜が掃除のために、部屋にはいっても平気であった。

イギリス軍の処置の中には、「復讐」という意味がかならずふくまれていた・・・。問題は、その復讐の仕方である。日本人がよくやったような、殴ったり蹴ったりの直接行動はほとんどない。しかし、一見いかにも合理的な処置の奥底に、この上なく執拗な、極度の軽蔑と、猫がネズミをいたぶるような復讐、がこめられていたように思う(会田雄次氏)。

以上が、会田雄次さんが、「アーロン収容所」を書くに至った、捕虜として体験したイギリス人である。
そして、私は、憲法記念日!?に、この「アーロン収容所」を思い出したのだ。

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