『国旗と国歌に起立』は『基本的な礼儀』であり『平和的姿勢の表現』である

『国旗と国歌に起立』は『基本的な礼儀』であり平和的姿勢の表現』である。

 国旗・国歌に起立する習慣
 -国際人としての基本的礼儀-

 3月26日付の毎日新聞の「記者の目」という欄に、大阪編集局の湯谷茂樹さんという記者が、「君が代不起立を理由に処分される教師」について書いている。(中略)

 学校というところは、衆人、或いは万人が「それは悪ではない」「それは常識」と見る基本を教えるところである。何が善かを教えるのは大変だが、殺人はいけない、と教えるところなのだ。先生は食事の前には手を洗えと生徒たちを指導する。衛生上、それは悪ではなく善であり、社会の常識になっているからだ。(中略)

 教育とはそういうものだ。誰にも基本を教える。しかし、それを守らない生徒も出る。出ていいのだ。教えを守らない時、初めてその生徒は自分の立場と責任を自覚している。しかし、教師が最初から、「手を洗わない方がいい」と教えたら、それはやはり非常識で、混乱を生じさせる。

 湯谷記者は「私たちは、多くの命が奪われたアジア・太平洋戦争から、『お国』も間違うことを学んだ。国旗・国歌はそれぞれ歴史を持つ『お国』の象徴だ。国民それぞれに思いがあるのは自然だ」と書いているが、それが間違いだ。(中略)

 自国の国旗と国歌に起立する習慣をつけることの目的はたった一つ、外国に行った時、相手国の『国旗と国歌に起立』するという『基本的な礼儀』を教えることなのだ。それが目下のところ、全地球上の人々が取っている『平和的姿勢の表現』だということを、この先生と新聞は記者はわかっていない。(曽野綾子 作家 「透明な歳月の光」 産経新聞平成20年3月31日)

真中 行造のページ より 引用
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