この写真は、前に住んでたおうちで撮りました。
もみじの木があって、秋にはきれいな落ち葉が
「こんにちは」してくれました。
そろそろ、人間たちは「モミジガリ」する頃でしょ?
さて、先週久しぶりにお医者さんに連れて行かれました。
その前の週に大々的に吐いたあと、
だんだん食欲がなくなってきたので
おかあさんが心配したのでした。
トロトロさん、食べてたのにぃ~。
おかあさんは、8時半に病院のドアが開く前に
自転車とばして駆けつけて
一番に診察券を置くのに成功!
で、9時にわたしをバッグに詰めて
自転車に乗せてまた飛ばしました。
例によって、すっごく丁寧な先生なので
おかあさんのお話を聞いたあと、
体重を量って(1月の時より1キロ減っていた)
触診をして(これがすごく長い時間・・)
体温を測って、
そのあと、診察内容を説明して
先生が準備するまで待たされて
点滴注射をされて(抗生物質・ビタミン剤など栄養剤・痛み止め)
そのあと、爪切りまでされました。
1年たたないのに1キロも体重が減るのは
ゆゆしきことらしい。
去年の初め頃から、慢性腎不全と診断されて、
それはもう治りませんよ、と言われていて
そのための治療食など食べながら
様子を見ていたわけです。
おかあさんは、わたしが病院嫌いなのを知ってるので
できればそっとしておいてあげたいらしいけど、
わたしの場合は腎臓のほかに、
肝臓とか糖尿病の疑いもあるとかで
おだやかに・・・・とはいかないですよと
(おかあさんの感じだと)おどかされたような
気分だったらしいです。
お医者さんから帰ってきた直後には
フードも少し食べられたけれど、
あの緊張感の中に長時間いたので
次の日はとてもグッタリしてしまいました。
おかあさんまでグッタリして
最低限のことしかできず
疲労感がハナハダシイ、と言っておりました。
だんだん年を取るのだから、
弱ってきて食べられなくなるのは
自然なことだから、
「苦しまない」というのを
一番に考えたい、というのが
おかあさんの希望らしいです。
それは、わたしに対しても
そして、自分のことででも、
というのです。
もみじの木があって、秋にはきれいな落ち葉が
「こんにちは」してくれました。
そろそろ、人間たちは「モミジガリ」する頃でしょ?
さて、先週久しぶりにお医者さんに連れて行かれました。
その前の週に大々的に吐いたあと、
だんだん食欲がなくなってきたので
おかあさんが心配したのでした。
トロトロさん、食べてたのにぃ~。
おかあさんは、8時半に病院のドアが開く前に
自転車とばして駆けつけて
一番に診察券を置くのに成功!
で、9時にわたしをバッグに詰めて
自転車に乗せてまた飛ばしました。
例によって、すっごく丁寧な先生なので
おかあさんのお話を聞いたあと、
体重を量って(1月の時より1キロ減っていた)
触診をして(これがすごく長い時間・・)
体温を測って、
そのあと、診察内容を説明して
先生が準備するまで待たされて
点滴注射をされて(抗生物質・ビタミン剤など栄養剤・痛み止め)
そのあと、爪切りまでされました。
1年たたないのに1キロも体重が減るのは
ゆゆしきことらしい。
去年の初め頃から、慢性腎不全と診断されて、
それはもう治りませんよ、と言われていて
そのための治療食など食べながら
様子を見ていたわけです。
おかあさんは、わたしが病院嫌いなのを知ってるので
できればそっとしておいてあげたいらしいけど、
わたしの場合は腎臓のほかに、
肝臓とか糖尿病の疑いもあるとかで
おだやかに・・・・とはいかないですよと
(おかあさんの感じだと)おどかされたような
気分だったらしいです。
お医者さんから帰ってきた直後には
フードも少し食べられたけれど、
あの緊張感の中に長時間いたので
次の日はとてもグッタリしてしまいました。
おかあさんまでグッタリして
最低限のことしかできず
疲労感がハナハダシイ、と言っておりました。
だんだん年を取るのだから、
弱ってきて食べられなくなるのは
自然なことだから、
「苦しまない」というのを
一番に考えたい、というのが
おかあさんの希望らしいです。
それは、わたしに対しても
そして、自分のことででも、
というのです。
その後の体調はいかがですか?
そうなんだ・・。ココちゃんは今、
いくつもの病気を抱えているのね。しんどいね。
ココちゃんのおかあさんは
細かいところまで気遣って下さるとても優しい方だから
ココちゃんのお世話だけでなく精神面でも
いっぱいいっぱいになってしまわれるのかもね。
それがおかあさん自身の体調も加わって・・。
ココちゃん。加減がいい時は
トロトロさんを食べて元気出してね。
うちのおかあさんも
おじいちゃんおばあちゃんのことでいろいろ
本当にいろいろと考えた・・って言ってたわ。
肢体不自由でも頭が鮮明だったおばあちゃんは
とても迷いながら医者の勧めた胃ろうにしたけど、
関節の非常に辛い痛みも抱えてたおばあちゃんは
あろうことか、その後に気胸となり、それが治っても
次には肺炎、同時に敗血症を起こして
大変な状況下で命を落としてしまった。
おかあさんは結果的に、胃ろうになってからの
そんな辛い8ヶ月を過ごすより自然と体力が落ちていって
最期を迎えた方が良かったのではないかと思ったって。
でも、そんな壮絶な8ヶ月が来るとは想像もできなかったから、
やはり当時は少しでも長く生きていて欲しいと思って
胃ろうの道を取ったのだと思うけど・・。
そして、
上行結腸ガンから転移していて最終ステージだったおじいちゃん。
ご飯が食べられるように大腸の切除手術だけは受けました。
その他の治療は一切せず、
2年かけて徐々に弱りながらも穏やかに過ごしてたって。
昔からおじいちゃんは、基本出された食事は
好き嫌いもせず律儀にいつも食べてたけど、
とうとう本人から食べなくなって、
他の病気からも意識が朦朧とし出して・・
でもそのとき「胃ろうはしません…ね?」と医者から言ったとか。
でも、相談して高カロリー輸液の点滴は受けたので
おかあさんはおじいちゃんと2人ゆったりとした時間を
長く持てて良かったと言ってたわ。
手を握っていろいろと話しかけたり、懐かしい曲を一緒に聴いたり。
そして、おかあさんはその間にしっかりと心の整理がついてたみたい。
でも、もしかしたらウトウトが多かったおじいちゃんは
普通の点滴だけで、ひいばあちゃんの時のように
一ヶ月ほどで逝っても分からなかったかもしれないけど・・。
おかあさんはそんな相反する2人の様子を見て
穏やかに自然に近い形で逝けたらいいのではないかと
そう思ったようです。
とても、うれしかったですよ~。
それに、パコちゃんのおかあさんは
ご家族の介護を本当によくなさったのですね。
頭が下がります。
おじいちゃんやおばあちゃんたちは、
きっとパコちゃんのおかあさんに対して
感謝していて、今はずっとそばに居て
見守って下さっていると思います。
うちのおかあさんは、まだ独身の20代の頃、
おかあさんのおじいちゃんの看病をしていました。(自宅で)
94歳で亡くなるまでの2年間ほどですが、
おかあさんのお母さんが病弱だったので
代わりに看病するために仕事を辞めて
故郷に帰ったわけです。
あの頃は「介護」という言葉もなく、
看病の仕方も教えてくれるところもなく、
手探り状態で、看護婦さんのするところを見たり、
人様に訊いたりして日々格闘しておりました。
その間、実はおかあさんのお父さんは
半身不随で過ごしていて、
ある日、脳出血で亡くなり、
そのお葬式直後に、おかあさんのお母さんが
入院してしまい、
家と病院の行き来の日々でした。
でも、若かったから出来たというところもあったかなあ、
とおかあさんは言います。
腰痛になったり、胃潰瘍になったりしたけれど。
今思うと、大変だったけど、
おじいちゃんの看病をしていて良かったかも、
とおかあさんは言います。
おかあさんからパコちゃんのお母さんへ
「ご家族の介護のご様子を伺い、
よく頑張って来られました、お疲れ様でしたという思いです。
お母様に対しての治療法で迷われたお気持ちは、察して余りあるお辛いものだったでしょう。
私も『胃ろう』のことをテレビのドキュメンタリーとか、新聞で読んだりしていますが、
本人と介護する人との気持ちの差がある場合は、その選択にずいぶん悩まれると思います。
でも、お母様のことが、結果的にお父様の時に生かされたことになったのかも知れませんね。お母様はお辛かったでしょうけれど。
パコちゃんのおかあさんの優しさの根源を
伺わせていただきました。
ありがとうございました。」
介護をされてたのですか?!
お仕事を辞めて地元に帰って来ての2年にも及ぶ介護。
そうそう...その頃は家族が介護するのが当たり前の時代で
寝付くと24時間誰かがついててお世話しないと過ごせない。
病院でだって当時は24時間つきっきりだった。と
お母さんが言ってました。
うちのお母さんも、ひいばあちゃんと(←世話は4人でですが、22~35歳まで)
お父さんのお母さんの世話を(24~27歳で)一人でずっとしてきて、
そして途中、お父さんの手術時(26歳のとき)も付き添いに入ってたそうです。
だから、ココちゃんのお母さんと同じ
うちのお母さんもその頃は20代でした。
同年代の人たちはたいていみな自分のために自由に時間を使ったり、
ダンナさんや子どもたちのために過ごしてただろうにね。
でも状況からして、当時のココちゃんのお母さんの方が
うちのお母さんよりもそうとう大変だったと思う。って言ってます。
おじいちゃんの2年に及ぶ介護。
お父さんの介護とお葬式、その後の手続きいろいろ。
そして直後には、体の弱いお母さんの入院。お世話。
長い介護だけでなく、いっぺんにやることが覆い被さってしまい、
それはそれは凄く大変だったことが想像つくそうで
お母さんはとても驚いていました。
そして、こうも言ってました。
最初は右も左も分からなくて大変だった介護も
一人の介護に携わることでノウハウが自分なりに掴めてくるので
次の時は(そんな場面はない方がいいのですが)
迷ったり悩んだりすることも減り、手際良く介助したり、
書類や周りとの関わりなどいろんな面でも対処が分かりやすかったって。
そこで私が思ったことは・・・
ココちゃんのお母さんも、うちのお母さんも
「世話する側」の人間なんですね。
でも私も、ココちゃんも
お母さん自身の体も大切にして過ごして欲しいです。
でないとみんなが悲しみます。
わたしもおかあさんもありがたく
読ませて頂きました。
パコちゃんのお母さんも若い頃から
介護介護の日々だったのですね。
本当に、ほかの同じくらいのお友達などは
楽しい時間を過ごしている間にも
家族のお世話に明け暮れていたパコちゃんのお母さん、
でも、うちのおかあさんも同じこと言ってるけど、
その体験がいろいろ今生かされている場面も
多いのかもしれないわねえ。
だけどね、うちのおかあさんはそそっかしいところが多いから、
デンと構えて対処するなんて無理だわ。
誰が病気になってもオロオロするのよ、いつも。
パコちゃんお母さんは、ケアマネジャーになれるくらいに
経験豊富かもしれないわね。
パコちゃんもそんなお母さんに可愛がられて
幸せよ~♪
ココちゃん。トロトロさん食べてますか?
吐き気は大丈夫?
今日ね。お母さんは
ぐーぐーちゃんと会うんだって
まっちゃんに待望の初孫ちゃんが出来たので
お祝いを買いに行くのが目的だって言ってたわ。
けどね、他にも目的があること、わたし知ってるのよ
えふさんがお好きだった丸福珈琲店がハルカスにもあって
「珈琲ロールケーキが美味しい」って
ぐーぐーちゃんから聞いたお母さんが
「それ絶対食べてみたい♪」って言ってたこと
あ。「あと1時間したら出な~」と言って
バタバタ片付けしてるわ
じゃあまたお邪魔させてね。ココちゃんU^ェ^U
パコちゃんのお母さんが楽しいことをしに
出かけるところを見て「いってらっしゃ~い」って
言ってあげたのね、えらいわあ。
おともだちのおめでたいことのお祝いプレゼントをあげるって、
人間はいい習慣を持ってるわよねえ。
選ぶことは楽しいらしいわよ。
それと、ロールケーキを食べに行くというのは、
きっとえふ母さんの追悼イベントなのよね♪
食べながら、えふ母さんの思い出話をしてるはずよ。
その場には、絶対えふ母さんが
ニッコリしながら同席してると思うわ。
嬉しそうにね。
パコちゃん、お母さんが帰ってきたら
うんと甘えてね。
含蓄のあるコメント拝見しました。
私の場合は、
もう一段階父の腎臓が悪化したら、
透析と言われていて、
水分コントロールに加え、
週3日ほぼ半日かけて行う毎日に、
と言われているのですが、
本人は拒否。
生きて欲しいという
私の勝手な気持ちより
本人の意思が大切と思うものの
なかなか「わかったー!」という
気持ちにもなれず。
介護は心震える体験です。
これが命の重さだなと思う毎日です。
ココちゃんは
寒いから
あったかくしてもらって
頑張るんだよー!
「介護は心震える体験」
重みのあるお言葉、ジンと来ました。
今、わたしは介護されてる状態だけど、
おかあさんからすると、
『至って普通にしているような』感じに見える
らしいです。
でも、体力もなくなっているし、
目もあまり見えなくなってるから
以前はできたことができなくなっている自分に
戸惑いもあるのです。
「ココちゃんは自分の身体のことで
文句も愚痴も言わないから
えらいねえ~」って
ウルウルしながら言います。
トラネコさんのお父様のご意思と
トラネコさんの希望とのずれ、とでも言いましょうか、
そこが辛いところでもあるんですね。
わたしのことも、
おかあさんが病院へ連れて行くことを
なるべく最小限にしようとしています。
行かない時間の方が「平和」だから。
行くことによって、心乱れるから、らしいです。
おうちにいる間は、
ヒーターを点け、こたつも温め
寒い時間にエアコンつける、
という状態です。
あー、電気代が怖い、
とおかあさんはつぶやいています。
トラネコさん、励ましをありがとう!!