連続無窮

ベイスターズファンの名も無き同行が他力信心を通して知らされた世界を綴らせて頂きます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏

つぶやき、ささやき

2013-05-19 23:15:00 | 真宗・信心
・自力を積み重ねると「信仰が進む」なんぞ世迷い言じゃ。法が私の方に進んでくる教えを知らぬがゆえの妄言であろう。

・自力の信心は進んでいった先の未来が目的となるが、阿弥陀さまのお助けは今、ここにいる私が目的である。

・「お助けが得られん」と危ぶむなかれ。慈光は休む間なく降り注いでおるぞ。自力の巣穴に引きこもっていても、阿弥陀さまの調熟の光明に引きずり出され、釈尊・六方諸仏のおすすめ、お同行のお念仏にいぶり出される。
 巣穴を出たが最後、南無阿弥陀仏の銃弾をぶち込まれ、ころりと倒され信受本願前念命終、即得往生後念即生。ああだこうだと計らった自力の信心は一撃で無くなり「唯信仏語 唯順祖教」と生まれ変わってしまうのだ。

・ウマは躾ければ人間の言うことを聞くようになるが、シマウマは人間になつくことはほとんど無く、騎乗や運搬用に訓練しても全くといっていいほど成功しない。過去に現れた幾多の仏さまに対して、シマウマのごとく仰せを拒絶してきた私が、南無阿弥陀仏と申すまでに阿弥陀さまにどれだけのお手間を掛けさせたことじゃやら。申し訳ない、申し訳ない。

・石をどんなに炊いたとて、ご飯にはならない。どんなに炊いても石は石のままである。自力をどんなに積み重ねたとて、それは他力にはならない。励めども励めども自力は自力でしかない。しかれども晴れたお慈悲に一度触れりゃ、瓦礫が転じて金となる。ご本願の不可思議なることよ。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

いつ聞くか、今でしょ!!

2013-05-14 22:05:00 | 真宗・信心
 浄土真宗のご法義は、今、ここで、私にかけられた阿弥陀さまの願いを聞かせていただく教えでございます。

「今、ここで」とお聞かせ頂きながら、以下のような聞き誤りもあるそうです。

「一生懸命善をして善の出来ぬ我が身と知らされてから弥陀をたのむ」

「善をしなければ信仰が進まないから因果の道理を信じて善をしてから弥陀をたのむ」

 これは嘘です。全部嘘です。

 阿弥陀さまの仰せは、
「汝一心正念にして直に来たれ、我よく汝を護らん、すべて水火の難に堕することを畏れざれ」
でございます。

 この義信めに「汝」と仰せになり、「直に来たれ」と仰せになりました。

「汝」
って誰のことですか?隣のご主人ですか?向かいの奥さんですか?

 貴方でしょ。

「直に」
っていつですか?

 今でしょ!!

 今、ここで阿弥陀さまの、
「助けるぞ」
の願いを込めた、
「南無阿弥陀仏」
の仰せを、
「ハイ」
と受け入れて、親さまの仰せに、
「南無阿弥陀仏」
と答えさせて頂きながら、世の生業に生きてゆく。これが真宗のご法義であります。

 南無阿弥陀仏(そのまま助ける、仏にする)の仰せをそのまま受け入れて、南無阿弥陀仏と申すご法義に不足があるなら、南都北嶺やチベット、スリランカあたりによき師がいますから、そちらのご縁で仏の道を歩めばいいだけです。

 この義信においては、釈尊、七高僧、ご開山さま、覚師、蓮師の仰せの通りに本願を信じ、お念仏を申すのみです。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

ウグイスの催促

2013-05-03 17:48:45 | 真宗・信心
ウォーキングの最中に、一羽のウグイスが鳴いている声が聞こえてきました。

「法聞けよ、法聞けよ」

ウグイスの催促に、
「あ、しまった。お念仏忘れてた」
と、慌てて

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

と称えていました。

「われ称えわれ聞くなれど南無阿弥陀 連れてゆくぞの親の喚び声 行け・来いの中で 忘るる己かな」(原口針水和上)

煩悩に穢れた口から出るお念仏は、泥田に咲いた蓮の華でございます。

無明の酒に酔いつぶれた酔いどれ義信を場として、阿弥陀さまが「南無阿弥陀仏」という声の仏さまとしてご活躍しておられると思うともったいなや申し訳なや。

酔っぱらいの義信にプレミアものの大吟醸であるご法義の酒を注がれて、出てくる言葉は、

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏

ばかりでございます。

南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏