私を別院へのお参りに誘ってくれた同行からメールが来た。
「欲に負けてお参りできない」
というようなニュアンスの言葉であった。
このメールが来たのが別院に向かう列車の中であった。
「いったい何を考えているのか!!」
頭にきてすぐメールを削除した。私は心の中で件の同行を痛罵していた。
別院に到着し、勤行していても、怒りはおさまらぬ。仏さまの御前に坐しながら、腹の底に渦巻くは阿修羅の世界。
とても仏の法を聞きに来た「人間」ではなかった。
讃題は、「阿弥陀経」の光寿二無量のお言葉だった。
法座が始まり、しばらく経った後、利井興弘師の言葉を通したお説教を聞いて私は居ても立ってもいられなくなった。
私は念仏者だ、私は友同行が「欲に負けた」と言っている中、遊びをキャンセルして法座に参ったと言っているが、私の手を合わせ、口を開き、聞かぬ耳を開いて下さったのは、どこのどなたなのか……
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
とどまることのないお念仏が口をついて出る。
申し訳ない。日曜日に件の同行よりお参りの催促を受けながら、私は欲を満たすことばかり頭に浮かべていた。
参る気のない私が、普段信仰の不徹底を指摘している件の同行に動かされ、お念仏を申しているのに何てザマだ。
そんな時、合掌礼拝する左右の手を合わせさせ、南無阿弥陀仏と称える口を動かし、法座に参ろうとする心を動かすのはどなただったかが分かった。
阿弥陀さまに動かされた諸仏のお働きではないか。
現世利益和讃の諸仏護念の世界を、参らぬ私を参らす身体へのお働きとだけ味わっていたが、拝む手、称える口、感謝の念すべてが「おかげさま」なのだと知らされた。
よくよく考えてみれば、門徒の家に生まれた訳でもないのにお念仏を喜ぶ身になれたのは、身近なお同行の阿弥陀さまを讃嘆する言葉とお念仏の声であった。
件の同行も、実家が門徒でお念仏の声に育てられたとのこと。
「あの人も、この人も、おかげさまなんだなあ。そのおかげさまに動かされ、今ここに私の口からお念仏が出ているんだなあ」
お領解文を頂きながら、曇天模様の心の空に、光がさすのを感じた。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏
「欲に負けてお参りできない」
というようなニュアンスの言葉であった。
このメールが来たのが別院に向かう列車の中であった。
「いったい何を考えているのか!!」
頭にきてすぐメールを削除した。私は心の中で件の同行を痛罵していた。
別院に到着し、勤行していても、怒りはおさまらぬ。仏さまの御前に坐しながら、腹の底に渦巻くは阿修羅の世界。
とても仏の法を聞きに来た「人間」ではなかった。
讃題は、「阿弥陀経」の光寿二無量のお言葉だった。
法座が始まり、しばらく経った後、利井興弘師の言葉を通したお説教を聞いて私は居ても立ってもいられなくなった。
私は念仏者だ、私は友同行が「欲に負けた」と言っている中、遊びをキャンセルして法座に参ったと言っているが、私の手を合わせ、口を開き、聞かぬ耳を開いて下さったのは、どこのどなたなのか……
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
とどまることのないお念仏が口をついて出る。
申し訳ない。日曜日に件の同行よりお参りの催促を受けながら、私は欲を満たすことばかり頭に浮かべていた。
参る気のない私が、普段信仰の不徹底を指摘している件の同行に動かされ、お念仏を申しているのに何てザマだ。
そんな時、合掌礼拝する左右の手を合わせさせ、南無阿弥陀仏と称える口を動かし、法座に参ろうとする心を動かすのはどなただったかが分かった。
阿弥陀さまに動かされた諸仏のお働きではないか。
現世利益和讃の諸仏護念の世界を、参らぬ私を参らす身体へのお働きとだけ味わっていたが、拝む手、称える口、感謝の念すべてが「おかげさま」なのだと知らされた。
よくよく考えてみれば、門徒の家に生まれた訳でもないのにお念仏を喜ぶ身になれたのは、身近なお同行の阿弥陀さまを讃嘆する言葉とお念仏の声であった。
件の同行も、実家が門徒でお念仏の声に育てられたとのこと。
「あの人も、この人も、おかげさまなんだなあ。そのおかげさまに動かされ、今ここに私の口からお念仏が出ているんだなあ」
お領解文を頂きながら、曇天模様の心の空に、光がさすのを感じた。
南無阿弥陀仏
南無阿弥陀仏