今、
結構、短歌にはまってる。
元々は俳句にはまってた。(今もはまってるけどね笑)
俳句初期の7年程前、
先生には、とにかく一杯詠め!と言われ、
1日50句位は詠んでた事もあった。
下手な句一杯詠んでた笑。(ほんと笑うほど下手だった笑)
厳しい先生にかなり鍛えられた。
実は、先生厳しすぎて、泣いてやめた人が結構いる位だ(笑)
自信作を出しても、こてんぱんに叱られ、けなされるからね(笑)
喧嘩みたいな感じになってやめた男性もいる(はらはらした笑)
かなりいい句ではないかと私自身思う句でも先生は褒めない。
でもけなさないので、あ、これは先生褒めてるね。
と思う位に褒めない(笑)
一点でも気になる所があると、もう駄目。
先生はある時、私のことを句敵(くがたき)とおっしゃった。
そういうイメージで見て下さってるのは有難いと思う。
今は、私と、後一人で、先生に個人的に教えて頂いてる。
(強い二人が残った笑)
卓球にしても、俳句にしても厳しい先生が私は好き(笑)
褒めてばかりの先生では、伸びないと思うから。
(あ、私の場合ね笑)
いつも、
俳句は、
出先とか、車運転中にとか色々な所で浮かんだりするので、
(そうそう、泳いでる時に意外と浮かぶ笑)
スマホにメモしておいて、
それを推敲して、
できた句をノートに書いてみる。
10から20位できたら、その中から提出句を選ぶ。
夫に見せたら、大体意見が一致して、
(夫は自分ではあまり詠まないけど、見る目はある笑)
提出句が決まる。
どの句を取るかの基準は、
ずばり「季語が動かない句」だ❗️
季語が主役になってるか、季語が生きてるか❗️
で選ぶ。
でも、
季語が動く句でも、
捨てがたい、いい句があるんよね~(自分で言うか笑)
残念な句❗️
はい❗️
長々と、つらつらと書いたけど(笑)
ここからが書きたい大事なとこだよ~~❗️(笑)
残念な句❗️(笑)
そんな捨てた残念な句を短歌で甦らせるのだ❗️❗️
これがめちゃ面白い❗️楽しい🎵
例えば、
今週「大寒」で20句程詠んだが、
そこから捨てた句を短歌にした。
例えば、
「靴に入る砂一粒や寒がわり」
の句が、
「靴に入る 砂一粒や 足裏の 一点さへも 生きてゐるらん」
と短歌になり、
「大寒や皿かたぶきて沈みゆく」
の句が、
「水中へ 皿かたぶきて 沈みゆく 厨(くりや)の夜は しんと更けゆく」
なあんて、
短歌にヘンシ~ンしちゃったよ~🎵
この元句2句は、
季語が動くと私は思う。
季語が動くとは季語が生きてない事。
季語が主役になってない事。
2句で言うと、「砂一粒」と「皿」が主役になっちゃってるね。
という事は、
もう少し、状況や心情を入れたい句と言えるのかな。
短歌にした方が生きるのではないかと思うような句なんよね。
俳句ではなく、
短歌向きというような状況、心情というのがあるのだと思う。
これが、
今ちょっと分かりかけていて、
というか分かってたんだけど、
私自身文章化できる程明確に分かってきた、
と言う事だと思う。
俳句は、状況を写生して、具体的な心情は述べない。
短歌は、そこへ自由に状況や心情を述べる事ができる。
そして、
俳句は写生するだけで、状況、心情までが生き生きと描写されるのがいい俳句。
それは短歌に変化させない俳句として堂々と生きている。
これは俳句にしよう。
これは短歌にしよう。
と明確に分かってきたと言う事かな。
これまで捨ててきた句は一杯あるので、
この際、色々、短歌に変身~❗️
させようと思う。
あ、勿論、捨てた句も違う季語の句で甦らせるのは、
これまでもしょっちゅうあって、
その時、捨てたと言っても、
ま、保留にして寝かせてるって感じかな。
こんな感じなので、
俳句はこのブログではあまり書かなかったが、
(発表済みの句は先生や結社には提出しないので)
短歌は書いていこうかな。
ま、今はそう思うけど、
ま、私の事だから分かりません。
ま、書きたい時に書きたい事を書くブログなので(笑)
この短歌2首と、
前、間違って4首投稿してしまった、4首目、
「天空を真綿の如く雪風に戯れふつと地に消えゆけり」
と合わせて3首を、
「水曜サロン」のネット短歌会へ投稿するつもり。
こんな感じで、
短歌にはまり中。楽しい🎵
一杯楽しい事ありすぎて、
実は大変❗️❗️
なのだけどね笑
結構、短歌にはまってる。
元々は俳句にはまってた。(今もはまってるけどね笑)
俳句初期の7年程前、
先生には、とにかく一杯詠め!と言われ、
1日50句位は詠んでた事もあった。
下手な句一杯詠んでた笑。(ほんと笑うほど下手だった笑)
厳しい先生にかなり鍛えられた。
実は、先生厳しすぎて、泣いてやめた人が結構いる位だ(笑)
自信作を出しても、こてんぱんに叱られ、けなされるからね(笑)
喧嘩みたいな感じになってやめた男性もいる(はらはらした笑)
かなりいい句ではないかと私自身思う句でも先生は褒めない。
でもけなさないので、あ、これは先生褒めてるね。
と思う位に褒めない(笑)
一点でも気になる所があると、もう駄目。
先生はある時、私のことを句敵(くがたき)とおっしゃった。
そういうイメージで見て下さってるのは有難いと思う。
今は、私と、後一人で、先生に個人的に教えて頂いてる。
(強い二人が残った笑)
卓球にしても、俳句にしても厳しい先生が私は好き(笑)
褒めてばかりの先生では、伸びないと思うから。
(あ、私の場合ね笑)
いつも、
俳句は、
出先とか、車運転中にとか色々な所で浮かんだりするので、
(そうそう、泳いでる時に意外と浮かぶ笑)
スマホにメモしておいて、
それを推敲して、
できた句をノートに書いてみる。
10から20位できたら、その中から提出句を選ぶ。
夫に見せたら、大体意見が一致して、
(夫は自分ではあまり詠まないけど、見る目はある笑)
提出句が決まる。
どの句を取るかの基準は、
ずばり「季語が動かない句」だ❗️
季語が主役になってるか、季語が生きてるか❗️
で選ぶ。
でも、
季語が動く句でも、
捨てがたい、いい句があるんよね~(自分で言うか笑)
残念な句❗️
はい❗️
長々と、つらつらと書いたけど(笑)
ここからが書きたい大事なとこだよ~~❗️(笑)
残念な句❗️(笑)
そんな捨てた残念な句を短歌で甦らせるのだ❗️❗️
これがめちゃ面白い❗️楽しい🎵
例えば、
今週「大寒」で20句程詠んだが、
そこから捨てた句を短歌にした。
例えば、
「靴に入る砂一粒や寒がわり」
の句が、
「靴に入る 砂一粒や 足裏の 一点さへも 生きてゐるらん」
と短歌になり、
「大寒や皿かたぶきて沈みゆく」
の句が、
「水中へ 皿かたぶきて 沈みゆく 厨(くりや)の夜は しんと更けゆく」
なあんて、
短歌にヘンシ~ンしちゃったよ~🎵
この元句2句は、
季語が動くと私は思う。
季語が動くとは季語が生きてない事。
季語が主役になってない事。
2句で言うと、「砂一粒」と「皿」が主役になっちゃってるね。
という事は、
もう少し、状況や心情を入れたい句と言えるのかな。
短歌にした方が生きるのではないかと思うような句なんよね。
俳句ではなく、
短歌向きというような状況、心情というのがあるのだと思う。
これが、
今ちょっと分かりかけていて、
というか分かってたんだけど、
私自身文章化できる程明確に分かってきた、
と言う事だと思う。
俳句は、状況を写生して、具体的な心情は述べない。
短歌は、そこへ自由に状況や心情を述べる事ができる。
そして、
俳句は写生するだけで、状況、心情までが生き生きと描写されるのがいい俳句。
それは短歌に変化させない俳句として堂々と生きている。
これは俳句にしよう。
これは短歌にしよう。
と明確に分かってきたと言う事かな。
これまで捨ててきた句は一杯あるので、
この際、色々、短歌に変身~❗️
させようと思う。
あ、勿論、捨てた句も違う季語の句で甦らせるのは、
これまでもしょっちゅうあって、
その時、捨てたと言っても、
ま、保留にして寝かせてるって感じかな。
こんな感じなので、
俳句はこのブログではあまり書かなかったが、
(発表済みの句は先生や結社には提出しないので)
短歌は書いていこうかな。
ま、今はそう思うけど、
ま、私の事だから分かりません。
ま、書きたい時に書きたい事を書くブログなので(笑)
この短歌2首と、
前、間違って4首投稿してしまった、4首目、
「天空を真綿の如く雪風に戯れふつと地に消えゆけり」
と合わせて3首を、
「水曜サロン」のネット短歌会へ投稿するつもり。
こんな感じで、
短歌にはまり中。楽しい🎵
一杯楽しい事ありすぎて、
実は大変❗️❗️
なのだけどね笑