ある方が「みんなもさかつめさんみたいに自由に生きられてらいいのにと思います」というので、私は二つの点から意見を述べた。
一つ目は「ええと、まず、私は『みんな』という言葉があまり好きではありません。みんなとか多分幻なんじゃないだろうかと思うので、他のひとのことはとりあえず置いておいて、自分に集中していればいいような気がします」という点。
二つ目は「自由じゃないひとなんて実際はいなくて、やりたいことをやる自由もあれば、やりたくないことをやる自由もあるし、楽しく生きる自由もあれば、深刻に思い悩みながら生きる自由もあるし、自分なりに自由を行使して生きているのが現在なのだと思います」という点。
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「やっぱり、2年間の家のない生活は大きかったように思います。自分でも無意識の内に、その時期に、多分、私は二つの覚悟を決めていたのだと思います。
ひとつ目は『ひとりでもいい』という覚悟。
理解者はいなくてもいい、仲間も友達も恋人も家族も協力者もできなくてもいい、ひとりでもいいから自分は自分がこれだと思った生き方を続けていくのだという覚悟。
ふたつ目は『死んでもいい』という覚悟。
他にも様々な生き方があった中でこの生き方を選んでいる訳ではなく、いろいろとやってみたけれどどれもダメで、結果的にこういう生き方しかできなかった自分を認める覚悟、自分を殺して生きるくらいなら、自分を出し切って死ぬのだと腹を括る覚悟のようなものを、無意識の内にしていたのだと思います。
そして、不思議なことに、ひとりでもいいと思ってからの方が、自分はひとりではないのだという実感が増していることを感じています。そして、死んでもいいと思ってからの方が、生きていることの実感は増していることを感じています」