贋・明月記―紅旗征戎非吾事―

中世の歌人藤原定家の日記「明月記」に倣って、身辺の瑣事をぐだぐだと綴る。

再開できるかな?

2006-07-17 20:30:52 | Weblog
書き込みが長らく滞っている。
ぼつぼつ再開したいと思うのだが、さて、再開はしても、それが続くかどうかがいささか心配。
あまり、気張らずに、そろりと再開しよう。

ここ一週間ほどの間に、二人の方から、「ブログを読んでいたのに、最近更新しないのが残念」という連絡をいただいた。
こんなブログでも読んでくれる方がいるのはまことにありがたいことなので、なんとか再開しようと決心した次第。

一昨日(15日)は東京で研究発表、その続きで、昨日は東京で大学のクラス会。
その行き来の電車の中で読んだ本は、2冊。

一冊は、内田樹『子どもは判ってくれない』(文春文庫)。
私が内田本にはまるきっかけになった『ためらいの倫理学』と同じで、内田氏のブログを本にしたもの。
おもしろかった。
論理の組み立て方などは、おなじみのものであるが、やはりおもしろい。

実を言うと、このブログを書き始めようと思ったのは、内田氏のこれらの本と、その元になっているブログに影響されてのことである。(このことは既に書いたかな?)
しかし、なかなか内田氏のようなわけにはいかない。

まあ、そのことはいい。

さて、『子どもは判ってくれない』で、「えっ、そうなの」と思ったのは、内田氏が自ら、

 私は業界内的には「ネオソフト・ナショナリスト」に分類されているが

と書いていたこと。
ふーむ、そうですか。
今となっては、20年以上前の「左」「右」の区別は意味をなさないのはわかっているけれど、いやあ、そうなのか。

もう一冊は、米澤穂信『春期限定いちごタルト事件』(創元推理文庫)。
いかにもライトノベルという感じの表紙なので、ちょっと敬遠していたのだが、一部の本屋さんで山積みになっていたので、気になって、読んでみた。

念のために言うと、山積みになっている本は、原則的には「買わない」ことにしている。
特に100万部以上売れたような本は、3年後くらいに読むことにしている。
勢いで読んでしまうのが、なんだかもったいない気がするからだ。

それが、今回は、なんとなく心が動いてしまった。
「勘」というやつでしょうか。
いやあ、おもったより良かった。
これなどは、手軽に手にとって、すっと読むのが一番。

主人公二人の性格の悪さが利いている。
しかも本人達が、それを自覚していて、矯正しようと努力しているわけで、それがこの小説の独特の世界を作り上げている。
高校生時代の「自意識過剰」というのは懐かしい。

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1 コメント

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お久しぶりです。 (センツル)
2006-07-18 21:32:42
深津先生



漸くの更新、クビを長~くしてお待ち申しておりました。やはり人の書棚はついつい覗いてみたくなるものです。

これからもブログを楽しみにしております。

時節柄くれぐれもご自愛下さい。(センツル)
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