北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

荻野須磨(深尾須磨子)先生

2006-08-18 20:49:06 | 人物
今朝、KBS京都のラジオ番組 「笑福亭晃瓶のほっかほかラジオ」を聞いた.朝8時過ぎから、ゼミナールハウス主催の「深尾須磨子」に関連した企画の電話インタビューを放送する番組があり、その現場に居合わした為である.ライブ番組で電話インタビューを受け、企画を説明するゼミナールハウスの木下恵子さん、早朝出勤して緊張の面持ちであったが、見事にその役目を果たされていた.

深尾須磨子については今まで全く知らなかった.ちょっとウエブを検索しただけであるが、こんなサイトが参考になるかしら;
今回のゼミの企画記事 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060814-00000018-kyt-l26
神戸新聞の記事 http://www.kobe-np.co.jp/rensai/cul/167.html>
「さらさ」のページ http://www.kkr.mlit.go.jp/river/river_old/sarasa/sas_97sm/ku_00.html

神戸新聞の記事のなかにある;
>その中で須磨子の教え子らは、「此の学校では荻野先生と云って、僅(わず)か
>一学期間だった」「非常なハイカラで庭球などされて、今のモダンガールとかアプレ
>ゲールとかよりもっと先鋭な存在だった…とに角異色ある恩師」と回顧。
>また別の証言では「歌の上手な先生がいて此の前の川で尻まくりをしてゴリ(小魚
>)すくいをしていられた…今思えばその先生が詩人深尾先生だった」とも。晩年の「ふ
>るさと」の一節〈川にごんろく/いまも居るか/ふるさとよ〉が浮かぶエピソードだ。

や、彼女の詩、「ふるさと 丹波のOさんへ」
  山あれば  川がある ふるさとよ
  山にきつね 川にごんろく いまも居るか
  ふるさとよ

などを読んで懐かしい気持ちになった.

はるか明治時代の話であるが、当時の養源小学校の生徒にとっては強烈な印象の先生ではなかったかろうか、と想像できます.我が亡き父は生きていたらもう100才を越えますが、その同時代に養源小学校で学ばれた方には文才豊かな人が多かったと、姉が畑に水をやりながらの立ち話で教えてくれた.

日本では与謝野晶子、フランスではコレットに師事されたという深尾須磨子さん、きっと熱き心の持ち主であったのでしょう.小塩の里で深尾須磨子先生に教えを受けられた我が先人に羨ましさを覚えます.素晴らしい人に出会えるという人生における最大の幸せ.教育について思いを馳せました.

尻まくりをしてゴリすくいをする、モダンガール、歌の上手な先生、って最高(^.^)

僅か一年間物理の授業を受けただけなのに今もお付き合いさせていただいている高校時代の先生、暑中見舞いに素晴らしい日本語で返事を頂く大学時代教えを受けたフランス語の先生、少年時代の想い出いっぱいの小学校の先生.社会に出てからは厳く接して頂いた先輩には感謝感謝をしております.今思いをいたすに、今心に残る先生方はご自身がひたむきに目的に向かっていられた想いが我が心に伝わったのだろうと思います.

それに反して、中学校時代、ある教師が我が同窓生の行動に対して、猿はこうする、という意味の発言をした.これは教育者として絶対に許せない!という想いを未だに抱いている.あの人を教師とは呼ぶけれど、決して、先生、とは呼ばない.

※昭和51年発行、山国小学校創立100年時の恩師住所録、養源小学校の欄には荻野須磨(深尾須磨子) 先生が 明治42年に勤務された記録が掲載されています.

※「金子みすゞ」の詩も少し前によくマスコミに出ていたけれど、、もっと人に知られて良いのではないかなあ、、、



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