北山・京の鄙の里・田舎暮らし

北山、京の北に拡がる山々、その山里での生活を楽しんでいます。

さようなら、車で越える「栗尾峠」

2013-12-20 23:04:04 | 街道ノート
明12月21日は京北トンネルが開通します。ということはこの峠越えの旧道は、歩行者と自転車専用の道路となり、もう車では越えられなくなります。

クネクネと廻るこの峠越えの道を車で走る苦労は無くなり、2,313msのトンネルを数分で走り抜けるだけで、冬の雪や凍結の道を走る危険から解放される訳で道路事情としては有り難いことです。京北にとって悲願のトンネルが実現したので素直に喜びたいと思います。明21日は開通式と共に、様々なイベントが企画されています。

栗尾峠からの眺望は、かって北桑十景にも上げられた素晴らしいもので、最近このブログでもその雲海の写真を載せました。


この景色は自転車や歩きでは眺めることが出来るのですが、まあ夜に歩く事もなかろう、と思い、職場からの帰りにふと思い立ち夜道を峠へと車を走らせました。カメラを持ってなかったので、携帯電話のカメラで撮影しましたので貧弱なのですが、恥を忍んでアップします。

栗尾峠からの周山の夜景


夜に車で帰ってくる時にこの夜景を見て、帰ってきたなぁと感じたものですが、この景色はわざわざ歩いて見に行かないと見えないものとなります。

京北の人にとっての峠は、昔の歩きの時代には茶呑峠や祖父谷峠などでしたが、車社会になってからはそれはこの、栗尾峠、でした。峠を越えるとは京都へ、そしてその先への道であり、この峠を越えて新しい世界へと向かったものでした。そういう意味では、この峠を越えるときに見たこの景色は、出発の時に見、帰ってきた時に見、脳裏にはっきりと残っている景色です。

これからもちょっと歩けば見られるのですが、車で行く楽ちんさには及びません。ちょっぴり懐古気分になってしまったものです。


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4 コメント

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尾根沿いに楽しめそうです。 (徘徊堂)
2013-12-21 18:08:10
 本日21日は、残念ながら雨になってしまいましたね。「栗尾」トンネルではなくて、京北トンネル、このトンネルの持つ大きな意味を示していますね。
 まだ、京北側は車アウト、細野側はよろしいというイメージがつかめないのですが、今まではなかなか車を停めて栗尾峠からの眺望とは行きませんでしたが、これからはゆっくりと見ることが出来そうです。
 魚ヶ渕の方から登って、尾根沿いに栗尾峠まで一度歩いてみたいと思っています。
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栗尾峠の展望 (mfujino)
2013-12-21 18:50:53
徘徊堂さん、今日は雨の中大勢の人がイベントに参加されてたそうです。大型バスが4台シャトル運転していたそうです。私はお昼間へ二市内に向かい、帰りは13:30頃峠越えの道を走りました。これが最後の車による峠越えでした。

細野の高間谷から大川表林道に上がり、高瀬道を魚ケ淵へ下りる、またはその逆が京北トレイルのルートですが、この林道に上がられた時に東へ少し歩かれるのも良いかもしれませんし。何れにしても、栗尾峠への162旧道・大川表林道・高間谷・高瀬道をどう組み合わせて歩くか思案のしどころですね。車を何処にデポするかにもよりますし。

栗尾峠からの展望、ここから見える所についていろんな話を展開するのも京北の紹介になるかなとも考えています。
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心に残る景色 (鎌倉街道)
2013-12-21 19:03:05
誰にでもいつまでも持ち続ける懐かしい心に残る風景があります。故郷の景色は差ほど労せずして目に焼き付いている景色でした。でも、あらゆるものがすごい勢いで変化してゆき、今まであったものが消えていったりします。めまぐるしく変化する身の回りについてゆけずに、認知症が進む感じがしております。もっとゆっくり変化してゆけないものなのでしょうか。

今年もたくさんお世話になりました。有難うございました。
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ある意味では何も変わっていないかも (mfujino)
2013-12-21 23:34:48
鎌倉街道さん、この栗尾峠からの景色は何回見たことでしょう。恐らく死ぬまで我が脳裏に焼き付いていることでしょう、様々な思い出と共に。

明治維新前の生を受けて一生を過ごされた方々は大きな変化を経験されたでしょうけど、我々の世代も子供の頃から今まで戦後の社会変化を体感したのではないかと思っています。それは技術と経済の発展が基礎にある生活環境の変化だと思いますが、果たして精神的なものは変化したでしょうか?我々がギリシャ時代の芸術や古典を読むときには時代の差は感じられません。目に見える物は確かにめまぐるしく変化し続けるでしょうし、益々そのスピードは上がるかもしれませんが、心の世界は変わっていないのではないでしょうか?そう考えると外的な変化を楽しめるのではなかろうかと思うのですが。私はそういう意味での変化は絶えず求めています。変化しないと楽しくないですもん。変化を楽しんで悦に入っていたら、何にも変わっていない自分に気が付いた、ってところでしょうか。まあダボハゼ丸出しってところでしょうか(^_・)
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