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ぶらり「北京」散歩~其之十九「周口店北京猿人遺址」編Part.1

2009年05月02日 | 北京散歩
5月2日(土)1/2
今日は8:00に起きてみました。
「天気」も良く、最近「重くなった腰」を上げて、一応「計画」しておいた『周口店北京猿人遺址』に行ってみることにしました。
軽く「朝食」を食べて、9:10「宿舎」を出ました。
まず「大学」前から、いつも「Kさん宅」に行く時と同じ「691路バス」に乗るんだけど、ちょうど行ってしまったばかりで、「10分」ほど待って9:30に乗りました。
そして10:10「六里橋東」で降り、「ネット調べ」では「ここ」から「房山37路」に乗換えて「周口店路口」に行くんだけど…「バス停」に「房山37路」なんて無いじゃん…

とりあえず「他の路線」を見てみると…「917路」が「周口店路口」まで行くみたいなんだけど…「人民」がメチャ待ってるし、しかも並ばないから「バス」が来ると、この様に群がって来るんです…
こりゃ諦めるしか無いかな…と思って「近く」の「917路快」の「路線図」を見ると…これも「周口店路口」に行くじゃん
「917路」だと「周口店路口」の先の「十渡風景区」の方まで行くんでね…多分そのせいで混んでるんだと思います。
でも「917路快」は「周口店路口(終点の1バス停前)」がほぼ「終点」のようなモンなんでね…
10:35「917路快」に乗りました。
やっぱ、そんな混んでなかったんで座れました。

そして12:15すぎ「周口店路口」で降りました。
「房山県周口店」は「北京」の中心部から「西南約50Km」の地点です。
これだけ「郊外」に出ると、「北京市」内って感じが全くしませんね。

「バス」を降りると「周口店文化広場(だったかな?)」がありました。

「周口店路口」から「2Km」あるらしいんだけど、「標識」に沿って歩いて行きました。

12:35ごろ、どうやら「近く」まで着いたようです。

「人類文明之脈源 周口店」と彫られた「石碑」ですが、「2008年8月8日」に建てられたんだね。(オリンピック開会日ですね)

「北京原人」が描かれた「壁画」もありました。

これも「近く」にあった「石碑」です。

その「広場?」の奥に見えるのが「遺址」の「入口」かな?

「踏切」の先にありました~

1両の「電車」がずっと停まってました。

巨大な「北京原人」の胸像が「お出迎え」です。

この「周口店北京猿人遺址」は1987年に「世界文化遺産」に認定されていますが、「世界地質公園」にも認定(こちらもユネスコ)されてるんですね。

「入場券(30元)」を買って、12:45ごろ入りました。
せっかく「学生証」を持って行ったのに、「大学生はダメ」なんだってさ。

「日本」に「留学」していたこともある「歴史学者」の「郭沫若(1892-1978)」も当然訪れています。

路傍には「鹿」や…

「ハイエナ」など、恐らくこの「遺址」から「骨」が見つかった「動物」の模型が置かれていました。
さて…どの「ルート」で「見学」すればいいのか分からないんで、適当に歩いて行きました。

今度は「サーベル・タイガー」ですか。

おぉ、出た「北京原人」

「鳩の洞」から行ってみました。
この「洞窟」を抜けると「第1地点」になります。

これは「灰の層」です。
つまり「北京原人」が「火」を使っていたことの「証」なワケです。

ここで、1959年「北京原人の下顎の骨」が発見されました。

これは「猿人洞」です。
「北京原人」が断続的に「30万年」くらい「生活」してたらしいですよ…
この「地点」は1921年に発見され、1927年から系統的な「発掘調査」が行われたんだって。

ここは1929年に「北京原人」の1つ目の「頭蓋骨」が発見された所です。

さて「北京原人」について、ちょっと「解説」しましょう。
最近では「ホモ・エレクトゥス・ペキネンシス」というようです。
1921年、この「石灰岩洞窟」から発掘された「化石人類」で、年代は「約50万年前から約20万年前」まで。
「火の使用」が初めて認められたことでも、よく知られています。
1929年に「完全な原人の下顎」が発見されましたが、「第2次世界大戦」中の混乱で「行方不明」になったそうです。

さて…まぁ「続き」は“Part.2”にて。


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