10月30日(金)
俺の旅は大抵「高速バス」利用なんでね…なので前日(29日)の晩から始まるのです。
仕事はまず残業が無い(あっても間に合う)からさ…家に帰ってフツーに風呂入って夕飯食べて、21:30すぎに家を出たよ。
高速バスでの史跡ハントは去年の7月以来なんでYCATのバス乗り場が一瞬分からなくなってたくらいだわ。
出発前の記事にも載せたけど、これが今回の史跡ハントの旅程だよ~
スタートは「倉敷」からで…「呉」に行った後、シークレットがあって「広島」に戻り…最後は「松山」です。
①備中・松山城編
22:40に横浜YCATから高速バスは発車し…途中、足柄でトイレ休憩?があっただけだったよ。
足柄って横浜出て1時間後だからね…それから1回もSAに停まらなかったわ。
まぁトイレ付きのバスだけど、俺としては途中で停まるSAのお土産売場とか見るのも好きなんで…残念だったな。
7:00に岡山駅でけっこう乗客が降りて行ったけど、俺は自分の目的地「倉敷」に8:10着予定しか知らないんで…岡山着の7:00が早いのか遅いのか定刻通りなのか全く分からんのです。
でも何となく早そうな予感がしたんでスマホで倉敷から乗る伯備線の時刻表を調べてみると…俺は8:10着を想定して8:38発の伯備線しか調べてなかったけど、その前に8:08発があったんだよ。
バス会社の予定着時間じゃ間に合わない伯備線なんだけど…高速バスの到着時間次第じゃ8:08に乗れるかも知れないぞ
…なんて思ってたら久々の高速バスのせいか?ちょっと気分も悪くなり…バス内のトイレでウンコしておくことにしました。
そしたらエラく狭いトイレで、ちょうど俺が入ったころから市街地なのにやたら右折や左折するんだもん。
とりあえず、7:50「倉敷」に到着しました~ 途中、スマホの地図アプリ見て今どこ走ってるのか分かってたから(倉敷駅の)近くに来てることも分かってたよ…スマホに替えてから初めての史跡ハントだけど、ホント重宝してるわ。
15分くらい余裕ができちゃったんで、駅前のアンデルセン広場を見てたよ…って、俺が前に来たときはこんなの無かったな…というのも2009年に行った倉敷美観地区は南口で、今バスを降りたのは北口だったんだね。
この人、アンデルセン?
おぉ、マーメイド…でも、もう少しカワイイ顔にして欲しいな。
今回、倉敷は高速バスの降車場だけで用は無いんでさ…8:08発の伯備線に乗ろうとしたらホームが高校生たちで溢れかえってたよ。
どうやら列車に遅れが出てるようで…俺が乗る伯備線も3分遅れで出発したよ。
まぁ3分くらいね、どうってことないよ…もし8:38発のに乗ってたら目的地の「備中高梁」に着くのは9:13なんだわ。
「備中高梁(駅)」から「備中松山城」に行くための観光乗合タクシーが9:50発なんで全然問題は無いんだけど、俺はその約30分の待ち時間中にレンタサイクル借りて周辺の行けるトコを行っちゃおうって考えてたからさ。
だから8:08に乗れれば30分早い列車に乗れたことになるんで、「備中高梁」に着くのも30分早い8:45ごろでしょ…レンタサイクルも置いてある観光案内所が開くのは9:00だからさ、3分くらい発車が遅れても余裕なのですよ。
8:50ごろ「備中高梁」に着きました…伯備線、黄レンジャーの顔みたいだね。
ココも2009年に来る予定はあったんだけどさ…近くの吉備国際大学には俺の教え子が何十人も留学してたんだよ。
もう年月が経っちゃって、俺の教え子は皆卒業して中国に帰ってココにはもう誰もいない(はず)のよね。
9:00に観光案内所に行き、自転車を借りました(¥310)…約40分間で周辺の史跡ハントするぞ~
当初だと20分ほどしか無かったのが40分あるからね…まずは当初から(20分でも)予定に入れていた「山中鹿介」の墓に行きました。
「山中鹿介」は尼子氏の家臣でしたが「毛利元就」により尼子氏は滅亡されます。
その後、尼子氏再興のために「織田信長」に従い、「羽柴秀吉」や「黒田官兵衛」と共に戦いますが叶わず、上月城の戦いで捕えられた後謀殺されました。
俺は去年の大河ドラマ「軍師官兵衛」観てたからさ…「山中鹿介」の忠義は見事だったよ。
それからまた駅方面に戻り、美観地区方面へ。
紺屋川です。
こういう町イイなぁ。
高梁基督教会堂です。
藩校「有終館」跡です。
明治4年(1871年)有終館は閉校し、現在は高梁幼稚園だそうです。
郷土資料館です…旧高梁尋常高等小学校の本館で、明治37年(1904年)に建築されました。
さすがに武家屋敷まで行く時間は無かったな…
9:40に観光案内所に戻ると、この回(9:50)の乗り合いタクシーに乗るのは4名で、俺が戻ってスグ1人来て揃ったということで9:45に出発となりました…って、俺、ワゴンみたいの想定してたらフツーのタクシーでした。
約10分で着く「ふいご峠駐車場」まで1人¥430です…まぁ自分1人でタクシー呼んで行ったら¥2,000以上はするんじゃない?けっこう山の上まで上がって行ったもん。
10:00ごろ「ふいご峠駐車場」に着きました…なんかタイかフィリピン方面から来てる団体がいたけど、今やどこにも外国人来るね。
この「臥牛山(標高約480m)」は、北から「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰からなります。
ココから約20分の登山?になりました…今回、汗かきたくなかったのに天気も良くてさぁ、汗が流れるとまでいかないけど汗かいちゃったな。
山道を上がって行くと…
中太鼓丸櫓跡があります。
山の下に御根小屋があり、そこと天守との伝達手段として使われた太鼓丸櫓がありました。
もう少し下に下太鼓丸櫓もあり、太鼓の合図で連絡を取り合っていたんだって。
瓦の破片みたいのいっぱい落ちてたけど、当時のモノだったのかなぁ?
さらに上がって行くと…
大手門跡に着きます…天然の岩盤の上に石垣を築いています。
石垣だけでも壮観な光景だよ。
土塀です…一部現存のモノがあるそうな。
この「三の平櫓東土塀」は現存の土塀だよ
この先が二の丸かな。
二の丸にある石碑。
二の丸から見る本丸。
そして「天守」へ…一般に「備中松山城」と呼ばれるのは「小松山城」で、この奥の方に「大松山城」ってのが戦国時代にはあったらしいよ。
1693年、城主だった水谷家断絶後は赤穂藩主「浅野長矩(浅野内匠頭)」が城受取りにあたり、家老「大石良雄(大石内蔵助)」が城番となっています。
入城¥300也。
篭城戦を想定した囲炉裏もあります。
「狭間」は弓、鉄砲用の穴で、「武者窓」は外から中は見えにくく、内からは広角に敵兵の動きを見ることができます
「石落とし」です。
天守からの景色だよ…「天守」自体は小さな建物だけど、建ってる場所が標高430mだからね~
天守裏の「二重櫓」です。
こんな高地にこれだけの石垣を築くのも当時じゃ大変な作業だろうよ。
本丸の裏側に行ってみました。
後曲輪です…チョットだけ紅葉してたよ。
「二重櫓」の裏側。
もう下山しまーす。
スゲェ山ん中だよね…だから年に数回「雲海」に浮かぶ城が観れるんだね。
帰りの乗り合いタクシーは11:40なんだけど、11:10ごろには駐車場に戻ってたよ…そしたら案の定タクシーも早めに来てくれたんで、11:35ごろ駅に向かって出発しました。
駅からもチョットだけ城が見えたよ
高梁市が舞台のアニメ「愛・天地無用!」だって…今度観てみようかな。
次は12:05「備中高梁」発だから20分くらい(実質15分くらい)余裕ができたんで、元々最後に行く予定にはしてたけど駅の反対側にある「薬師院」と「松連寺」に行きました。
城の砦として築かれた寺院が南北に建ち並んでいます。
左側のこの「薬師院」は映画「男はつらいよ 第32作 口笛を吹く寅次郎」(昭和58年)のロケ地で…この山門から境内に上がる階段でマドンナ役の「竹下景子」と寅さんが出会うんだって。
右隣の「松連寺」です。
普段は境内に入れないの?
境内からの景色だよ~
武家諸法度で城の新築は禁止され、修理も難しい時代に城の砦として築いたことは城郭づくりそのままの石垣がよく物語っています。
②讃岐・高松城/丸亀城編
12:05「備中高梁」発の特急やくも12号に乗り、12:38「岡山」に着きました。
当初の予定では次「岡山」から13:12発の快速マリンライナーに乗るんで、30分ほど空いちゃうことになってたんだよ。
でも岡山に着く前の車内アナウンスで12:42発の快速マリンライナーがあるみたい…俺は旅程を立てるとき乗り換え時間が短いんで12:42発のはチェックしてなかったのかな?
30分間「岡山」で待っててもヤルこと無いしさ…とりあえず12:42発にトライしてみようと急いで快速マリンライナーのホームに降りると、もう着てて乗れたよ
これも大きいんだよ…次の「高松」は約1時間しか取ってなかったからさ、これで30分多く観ることができるからね。
12:42発の快速マリンライナー31号は13:35「高松」に着いたよ…途中、海(瀬戸大橋)を渡って四国に入ったんだよね?その間眠っちゃってて、起きたら坂出だったよ。
さぁ、四国は土佐(高知)以来、初の香川県上陸だ~
隣のホームに停まってた列車は何だろ?
高松駅カワイイね。
駅から歩いてスグの「玉藻公園(高松城跡)」に行きました。
高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が“玉藻の浦”と呼ばれていたことによる…といわれています。
入園料¥200也。
ココらは二の丸跡です。
内堀から天守閣跡を観たトコ。
鞘橋を渡って…
天守閣跡に行ってみました。
松平氏時代の1670年に改築された天守は3重5階の南蛮造りで四国最大の規模を誇っていたそうです。
設計は築城の名手だった黒田孝高(官兵衛)とも細川忠興ともいわれています。
これは水門です…塀が海とつながっているので、潮の干潮による水位調節をするためにあります。
櫓が見えるぞ…月見櫓かな?
コレは艮櫓かな?
天守の礎石でしょうか?
園内では菊?が展示されてたよ。
披雲閣庭園に入ってみました。
コレが披雲閣なのかな? 昭和天皇・皇后御手植松です。
藩の政庁及び藩主の住居として使われていたそうです。(大正6年再建)
昭和天皇・皇后両陛下も宿泊されたんだって~
月見櫓・水手御門・渡櫓です。
月見櫓は北の丸の隅櫓として延宝4年(1676年)ごろに完成したといわれ、出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「着見櫓」ともいわれています。
天守閣跡は平成25年に修復工事が完了したばかりなんだよ。
艮櫓です。
旭門(東出入口)から出ました。
玉藻公園駐車場から撮った艮櫓です。
中掘りのスグ横を琴電が走ってるよ。
14:30「玉藻公園」を出ました。
琴電と艮櫓。
次は「高松」15:13発の予讃線だけど、まだ30分以上余裕があるぞ~
当初予定の1時間じゃ足りなかったかも…ココにも入る時間無かったよね。
せっかく香川に来たんだから「讃岐うどん」食べなきゃ…ってことで、釜玉(小)を食べたよ~
これは「琴電高松築港駅」です。
この近くの高松港からは鬼ヶ島(女木島)にも行けるんだけど…今回は時間が無く、旅程から外れました。
高松シンボルタワー内です。
次は当初の予定通り、15:13「高松」発の予讃線(南風リレー号)に乗り、「丸亀」に向かいます。
15:38「丸亀」に着きました。
「丸亀城」は駅からチョット歩くんだけど、この近く女子高でもあるの?女学生がいっぱいいたよ。
丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城です…内堀から天守へ向け、4層に重ねられた丸亀城の石垣は、高さにして約60メートル、日本一の高さを誇ります。
大手一の門は寛文10年(1670年)に建築され、藩士が太鼓を打って刻を知らせていたことから“太鼓門”とも呼ばれています。
今、15:55か…天守入城が16:00までらしいから土産屋は帰りに見よう。(帰りは閉店してた )
入城まで時間が無いんで急いで来たよ…途中、スゲェ急な上り坂があって「勘弁してくれよ~」って感じだったわ。(天守¥200也)
信長・秀吉に仕えた「生駒親正」が1587年に讃岐に入り、本城を高松城、支城をここ丸亀城として新たに築きました。
1615年の一国一城令で支城の丸亀城は一旦廃城となりましたが、生駒氏転封後に讃岐入りした山崎氏、京極氏(写真の肖像画は丸亀藩6代目藩主・京極高朗)により再築されました。
天守への階段です。
天守からの眺めだよ。
旧藩主居館の表門だった御殿表門は、かつて「玄関前御門」とも呼ばれていました。
月見櫓跡です。
帰りはゆっくり周囲を観ながら下りて行きます…ここは三の丸です。
なんか石碑が見えたんで行ってみました。
幕末から明治初めに活躍した郷土の勤王志士「土肥大作」と「村岡宗四郎」が大正8年に贈位されたのを記念して、勤王志士遺烈表彰会が大正12年に建立したそうです。
これが見返り坂…傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになったそうな。
そして“扇の勾配”で知られる美しい曲線は、丸亀城の美を代表する石の芸術品としての風格を漂わせています。
御殿表門です。
市立資料館はもう閉まってました。
「井上通女」は讃岐丸亀生まれの江戸中期の歌人です。
16:45「丸亀(駅)」に戻って来ました…次は17:19発の列車なんで、駅内?のスーパーに入りました。
おぉ「要潤」だ。
ブラ~っと惣菜とかも見てたらスゲェ安い弁当あったんで買い、ホームのイスに座って食べてたよ。
17:19発の特急しおかぜ19号に乗り…
18:46「今治」に着きました…バリィさんも出迎えてくれたよ。(←似てる?)
今日泊まるネットカフェは駅から離れてるんだけど…歩いて「今治城」経由で行きます。
今治城までの途上でチェックしておいた「白楽天」で夕飯を食べました。
今治のB級グルメ「焼豚玉子飯」(¥750)をオーダー この店は「焼豚玉子飯」をメニューとして登場させた元祖なんだよ
まぁ…ご飯に焼豚を載せ、甘辛いタレをかけ、半熟目玉焼きを載せたシンプルな丼飯なんだけど…俺はもっとタレの味が濃くても良かったな。
ライトアップされた今治城です…明日は開城と同時に突入じゃ~
そして20:10すぎネットカフェに10時間のナイトパックでチェックインしたよ…明日、何時にチェックアウトしようかなぁ…?
③伊予国・今治城編
日付は10月31日となり…5:40ごろ起きたんだけど、1時間延長の7:10にチェックアウトしました。
今治城の開城は9:00で、仮に30分前に着いて周囲をブラついたり、次に行く「尾道」までのバスの切符を城の近くの営業所で買っておくにしても本来ネットカフェを8:00に出れば十分でさ…ココ、他に観るトコ無いんだもん。
チェックアウトする前に天気予報観たら1日の中国地方の天気が晴れのち曇りに変わってたよ
…でも2日は雨が降りそうだなぁ…問題は時間帯で、明け方や俺がその地を離れた後に降るならイイんだけどね~
とりあえず、今日もまた暑くなりそうだな…中に着てたヒートテックが暑いのか?と思って着なかったよ。
7:25に今治城に着いたよ…お、狼煙が上がってる?
な~んて、ただの飛行機雲でしょ?
今治城吹揚公園にある今治造船株式会社代表取締役檜垣俊幸会長の銅像。
原爆死没者慰霊碑です。
開城までまだ1時間半あるよ…
白鳥?
今治港の近くに「せとうちバス」の営業所?があるんで、7:40ごろ行ってみたんだけど営業前だったみたい。
また今治城に戻ったよ…
開城までまだ1時間あるわ…
とりあえず、今治駅に「せとうちバス」の切符を買いに行くことにしました。
昨日は陽も落ちた後だったからね…今買わなくても大丈夫なんだろうけど、次に行く「尾道」までのバスチケットを買っておいたよ。
駅前にあったのは何故か「猿飛佐助」像なんだけど…帰って調べたら「立川文庫」での原作者が愛媛県今治市出身の山田阿鉄一族だからなんだって。
今治のマンホールだよ。
昨晩「焼豚玉子飯」を食べた「白楽天」です。
今治国際ホテルだって…絶対、俺には泊まれないな。
8:50三度「今治城」に到着
山里櫓の門から入城じゃ~
天守と「藤堂高虎」像です。
「藤堂高虎」は関ヶ原の戦功で伊予半国20万石を領し、慶長7年(1602年)に築城を開始…約6年の歳月をかけて慶長13年ごろに完成したと考えられています。
高虎は何度も主君を変えた戦国武将として知られていますが、築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城し、黒田孝高(官兵衛)、加藤清正とともに築城の名人としても知られています。
今治綿業の父「矢野七三郎」だって。
吹揚神社です。
拝殿かな…って、脇の天守を見ると…
ちょうどそこが天守の入口でした。(入城¥500也)
内部の展示物です。
「藤堂高虎」の肖像画だよ…戦国無双じゃ超イケメンだけどね。
戦国無双では氷刃を使ってるよ。
天守から見た「鉄御門武具櫓」です。
遥か先には瀬戸内の島々(しまなみ海道)が臨めます。
天守を下りてから「櫓めぐりスタンプラリー」を急いでやって、9:30「今治城」を出ました。
枡形虎口の鉄御門です…扉や柱に貼られた鉄板に由来します。
さっき駅前で切符を買った「尾道」行のバスが出る今治港に向かいます。
今治桟橋9:50発の福山行のバスに乗り、まずは乗換地点の「因島大橋」まで行きまーす
今回の史跡ハント、まず序盤に立て続けで4城落としたぞ~
俺の旅は大抵「高速バス」利用なんでね…なので前日(29日)の晩から始まるのです。
仕事はまず残業が無い(あっても間に合う)からさ…家に帰ってフツーに風呂入って夕飯食べて、21:30すぎに家を出たよ。
高速バスでの史跡ハントは去年の7月以来なんでYCATのバス乗り場が一瞬分からなくなってたくらいだわ。
出発前の記事にも載せたけど、これが今回の史跡ハントの旅程だよ~
スタートは「倉敷」からで…「呉」に行った後、シークレットがあって「広島」に戻り…最後は「松山」です。
①備中・松山城編
22:40に横浜YCATから高速バスは発車し…途中、足柄でトイレ休憩?があっただけだったよ。
足柄って横浜出て1時間後だからね…それから1回もSAに停まらなかったわ。
まぁトイレ付きのバスだけど、俺としては途中で停まるSAのお土産売場とか見るのも好きなんで…残念だったな。
7:00に岡山駅でけっこう乗客が降りて行ったけど、俺は自分の目的地「倉敷」に8:10着予定しか知らないんで…岡山着の7:00が早いのか遅いのか定刻通りなのか全く分からんのです。
でも何となく早そうな予感がしたんでスマホで倉敷から乗る伯備線の時刻表を調べてみると…俺は8:10着を想定して8:38発の伯備線しか調べてなかったけど、その前に8:08発があったんだよ。
バス会社の予定着時間じゃ間に合わない伯備線なんだけど…高速バスの到着時間次第じゃ8:08に乗れるかも知れないぞ
…なんて思ってたら久々の高速バスのせいか?ちょっと気分も悪くなり…バス内のトイレでウンコしておくことにしました。
そしたらエラく狭いトイレで、ちょうど俺が入ったころから市街地なのにやたら右折や左折するんだもん。
とりあえず、7:50「倉敷」に到着しました~ 途中、スマホの地図アプリ見て今どこ走ってるのか分かってたから(倉敷駅の)近くに来てることも分かってたよ…スマホに替えてから初めての史跡ハントだけど、ホント重宝してるわ。
15分くらい余裕ができちゃったんで、駅前のアンデルセン広場を見てたよ…って、俺が前に来たときはこんなの無かったな…というのも2009年に行った倉敷美観地区は南口で、今バスを降りたのは北口だったんだね。
この人、アンデルセン?
おぉ、マーメイド…でも、もう少しカワイイ顔にして欲しいな。
今回、倉敷は高速バスの降車場だけで用は無いんでさ…8:08発の伯備線に乗ろうとしたらホームが高校生たちで溢れかえってたよ。
どうやら列車に遅れが出てるようで…俺が乗る伯備線も3分遅れで出発したよ。
まぁ3分くらいね、どうってことないよ…もし8:38発のに乗ってたら目的地の「備中高梁」に着くのは9:13なんだわ。
「備中高梁(駅)」から「備中松山城」に行くための観光乗合タクシーが9:50発なんで全然問題は無いんだけど、俺はその約30分の待ち時間中にレンタサイクル借りて周辺の行けるトコを行っちゃおうって考えてたからさ。
だから8:08に乗れれば30分早い列車に乗れたことになるんで、「備中高梁」に着くのも30分早い8:45ごろでしょ…レンタサイクルも置いてある観光案内所が開くのは9:00だからさ、3分くらい発車が遅れても余裕なのですよ。
8:50ごろ「備中高梁」に着きました…伯備線、黄レンジャーの顔みたいだね。
ココも2009年に来る予定はあったんだけどさ…近くの吉備国際大学には俺の教え子が何十人も留学してたんだよ。
もう年月が経っちゃって、俺の教え子は皆卒業して中国に帰ってココにはもう誰もいない(はず)のよね。
9:00に観光案内所に行き、自転車を借りました(¥310)…約40分間で周辺の史跡ハントするぞ~
当初だと20分ほどしか無かったのが40分あるからね…まずは当初から(20分でも)予定に入れていた「山中鹿介」の墓に行きました。
「山中鹿介」は尼子氏の家臣でしたが「毛利元就」により尼子氏は滅亡されます。
その後、尼子氏再興のために「織田信長」に従い、「羽柴秀吉」や「黒田官兵衛」と共に戦いますが叶わず、上月城の戦いで捕えられた後謀殺されました。
俺は去年の大河ドラマ「軍師官兵衛」観てたからさ…「山中鹿介」の忠義は見事だったよ。
それからまた駅方面に戻り、美観地区方面へ。
紺屋川です。
こういう町イイなぁ。
高梁基督教会堂です。
藩校「有終館」跡です。
明治4年(1871年)有終館は閉校し、現在は高梁幼稚園だそうです。
郷土資料館です…旧高梁尋常高等小学校の本館で、明治37年(1904年)に建築されました。
さすがに武家屋敷まで行く時間は無かったな…
9:40に観光案内所に戻ると、この回(9:50)の乗り合いタクシーに乗るのは4名で、俺が戻ってスグ1人来て揃ったということで9:45に出発となりました…って、俺、ワゴンみたいの想定してたらフツーのタクシーでした。
約10分で着く「ふいご峠駐車場」まで1人¥430です…まぁ自分1人でタクシー呼んで行ったら¥2,000以上はするんじゃない?けっこう山の上まで上がって行ったもん。
10:00ごろ「ふいご峠駐車場」に着きました…なんかタイかフィリピン方面から来てる団体がいたけど、今やどこにも外国人来るね。
この「臥牛山(標高約480m)」は、北から「大松山」「天神の丸」「小松山」「前山」の四つの峰からなります。
ココから約20分の登山?になりました…今回、汗かきたくなかったのに天気も良くてさぁ、汗が流れるとまでいかないけど汗かいちゃったな。
山道を上がって行くと…
中太鼓丸櫓跡があります。
山の下に御根小屋があり、そこと天守との伝達手段として使われた太鼓丸櫓がありました。
もう少し下に下太鼓丸櫓もあり、太鼓の合図で連絡を取り合っていたんだって。
瓦の破片みたいのいっぱい落ちてたけど、当時のモノだったのかなぁ?
さらに上がって行くと…
大手門跡に着きます…天然の岩盤の上に石垣を築いています。
石垣だけでも壮観な光景だよ。
土塀です…一部現存のモノがあるそうな。
この「三の平櫓東土塀」は現存の土塀だよ
この先が二の丸かな。
二の丸にある石碑。
二の丸から見る本丸。
そして「天守」へ…一般に「備中松山城」と呼ばれるのは「小松山城」で、この奥の方に「大松山城」ってのが戦国時代にはあったらしいよ。
1693年、城主だった水谷家断絶後は赤穂藩主「浅野長矩(浅野内匠頭)」が城受取りにあたり、家老「大石良雄(大石内蔵助)」が城番となっています。
入城¥300也。
篭城戦を想定した囲炉裏もあります。
「狭間」は弓、鉄砲用の穴で、「武者窓」は外から中は見えにくく、内からは広角に敵兵の動きを見ることができます
「石落とし」です。
天守からの景色だよ…「天守」自体は小さな建物だけど、建ってる場所が標高430mだからね~
天守裏の「二重櫓」です。
こんな高地にこれだけの石垣を築くのも当時じゃ大変な作業だろうよ。
本丸の裏側に行ってみました。
後曲輪です…チョットだけ紅葉してたよ。
「二重櫓」の裏側。
もう下山しまーす。
スゲェ山ん中だよね…だから年に数回「雲海」に浮かぶ城が観れるんだね。
帰りの乗り合いタクシーは11:40なんだけど、11:10ごろには駐車場に戻ってたよ…そしたら案の定タクシーも早めに来てくれたんで、11:35ごろ駅に向かって出発しました。
駅からもチョットだけ城が見えたよ
高梁市が舞台のアニメ「愛・天地無用!」だって…今度観てみようかな。
次は12:05「備中高梁」発だから20分くらい(実質15分くらい)余裕ができたんで、元々最後に行く予定にはしてたけど駅の反対側にある「薬師院」と「松連寺」に行きました。
城の砦として築かれた寺院が南北に建ち並んでいます。
左側のこの「薬師院」は映画「男はつらいよ 第32作 口笛を吹く寅次郎」(昭和58年)のロケ地で…この山門から境内に上がる階段でマドンナ役の「竹下景子」と寅さんが出会うんだって。
右隣の「松連寺」です。
普段は境内に入れないの?
境内からの景色だよ~
武家諸法度で城の新築は禁止され、修理も難しい時代に城の砦として築いたことは城郭づくりそのままの石垣がよく物語っています。
②讃岐・高松城/丸亀城編
12:05「備中高梁」発の特急やくも12号に乗り、12:38「岡山」に着きました。
当初の予定では次「岡山」から13:12発の快速マリンライナーに乗るんで、30分ほど空いちゃうことになってたんだよ。
でも岡山に着く前の車内アナウンスで12:42発の快速マリンライナーがあるみたい…俺は旅程を立てるとき乗り換え時間が短いんで12:42発のはチェックしてなかったのかな?
30分間「岡山」で待っててもヤルこと無いしさ…とりあえず12:42発にトライしてみようと急いで快速マリンライナーのホームに降りると、もう着てて乗れたよ
これも大きいんだよ…次の「高松」は約1時間しか取ってなかったからさ、これで30分多く観ることができるからね。
12:42発の快速マリンライナー31号は13:35「高松」に着いたよ…途中、海(瀬戸大橋)を渡って四国に入ったんだよね?その間眠っちゃってて、起きたら坂出だったよ。
さぁ、四国は土佐(高知)以来、初の香川県上陸だ~
隣のホームに停まってた列車は何だろ?
高松駅カワイイね。
駅から歩いてスグの「玉藻公園(高松城跡)」に行きました。
高松城は、またの名を玉藻城と呼ばれていますが、その由来は万葉集で柿本人麿が讃岐の国の枕言葉に「玉藻よし」と詠んだことに因んで、このあたりの海が“玉藻の浦”と呼ばれていたことによる…といわれています。
入園料¥200也。
ココらは二の丸跡です。
内堀から天守閣跡を観たトコ。
鞘橋を渡って…
天守閣跡に行ってみました。
松平氏時代の1670年に改築された天守は3重5階の南蛮造りで四国最大の規模を誇っていたそうです。
設計は築城の名手だった黒田孝高(官兵衛)とも細川忠興ともいわれています。
これは水門です…塀が海とつながっているので、潮の干潮による水位調節をするためにあります。
櫓が見えるぞ…月見櫓かな?
コレは艮櫓かな?
天守の礎石でしょうか?
園内では菊?が展示されてたよ。
披雲閣庭園に入ってみました。
コレが披雲閣なのかな? 昭和天皇・皇后御手植松です。
藩の政庁及び藩主の住居として使われていたそうです。(大正6年再建)
昭和天皇・皇后両陛下も宿泊されたんだって~
月見櫓・水手御門・渡櫓です。
月見櫓は北の丸の隅櫓として延宝4年(1676年)ごろに完成したといわれ、出入りする船を監視する役割を持つとともに、藩主が江戸から船で帰られるのをこの櫓から望み見たので「着見櫓」ともいわれています。
天守閣跡は平成25年に修復工事が完了したばかりなんだよ。
艮櫓です。
旭門(東出入口)から出ました。
玉藻公園駐車場から撮った艮櫓です。
中掘りのスグ横を琴電が走ってるよ。
14:30「玉藻公園」を出ました。
琴電と艮櫓。
次は「高松」15:13発の予讃線だけど、まだ30分以上余裕があるぞ~
当初予定の1時間じゃ足りなかったかも…ココにも入る時間無かったよね。
せっかく香川に来たんだから「讃岐うどん」食べなきゃ…ってことで、釜玉(小)を食べたよ~
これは「琴電高松築港駅」です。
この近くの高松港からは鬼ヶ島(女木島)にも行けるんだけど…今回は時間が無く、旅程から外れました。
高松シンボルタワー内です。
次は当初の予定通り、15:13「高松」発の予讃線(南風リレー号)に乗り、「丸亀」に向かいます。
15:38「丸亀」に着きました。
「丸亀城」は駅からチョット歩くんだけど、この近く女子高でもあるの?女学生がいっぱいいたよ。
丸亀城は標高66mの亀山に築かれた平山城です…内堀から天守へ向け、4層に重ねられた丸亀城の石垣は、高さにして約60メートル、日本一の高さを誇ります。
大手一の門は寛文10年(1670年)に建築され、藩士が太鼓を打って刻を知らせていたことから“太鼓門”とも呼ばれています。
今、15:55か…天守入城が16:00までらしいから土産屋は帰りに見よう。(帰りは閉店してた )
入城まで時間が無いんで急いで来たよ…途中、スゲェ急な上り坂があって「勘弁してくれよ~」って感じだったわ。(天守¥200也)
信長・秀吉に仕えた「生駒親正」が1587年に讃岐に入り、本城を高松城、支城をここ丸亀城として新たに築きました。
1615年の一国一城令で支城の丸亀城は一旦廃城となりましたが、生駒氏転封後に讃岐入りした山崎氏、京極氏(写真の肖像画は丸亀藩6代目藩主・京極高朗)により再築されました。
天守への階段です。
天守からの眺めだよ。
旧藩主居館の表門だった御殿表門は、かつて「玄関前御門」とも呼ばれていました。
月見櫓跡です。
帰りはゆっくり周囲を観ながら下りて行きます…ここは三の丸です。
なんか石碑が見えたんで行ってみました。
幕末から明治初めに活躍した郷土の勤王志士「土肥大作」と「村岡宗四郎」が大正8年に贈位されたのを記念して、勤王志士遺烈表彰会が大正12年に建立したそうです。
これが見返り坂…傾斜が急で、時々立ち止まって振り返りたくなることから、いつしかそう呼ばれるようになったそうな。
そして“扇の勾配”で知られる美しい曲線は、丸亀城の美を代表する石の芸術品としての風格を漂わせています。
御殿表門です。
市立資料館はもう閉まってました。
「井上通女」は讃岐丸亀生まれの江戸中期の歌人です。
16:45「丸亀(駅)」に戻って来ました…次は17:19発の列車なんで、駅内?のスーパーに入りました。
おぉ「要潤」だ。
ブラ~っと惣菜とかも見てたらスゲェ安い弁当あったんで買い、ホームのイスに座って食べてたよ。
17:19発の特急しおかぜ19号に乗り…
18:46「今治」に着きました…バリィさんも出迎えてくれたよ。(←似てる?)
今日泊まるネットカフェは駅から離れてるんだけど…歩いて「今治城」経由で行きます。
今治城までの途上でチェックしておいた「白楽天」で夕飯を食べました。
今治のB級グルメ「焼豚玉子飯」(¥750)をオーダー この店は「焼豚玉子飯」をメニューとして登場させた元祖なんだよ
まぁ…ご飯に焼豚を載せ、甘辛いタレをかけ、半熟目玉焼きを載せたシンプルな丼飯なんだけど…俺はもっとタレの味が濃くても良かったな。
ライトアップされた今治城です…明日は開城と同時に突入じゃ~
そして20:10すぎネットカフェに10時間のナイトパックでチェックインしたよ…明日、何時にチェックアウトしようかなぁ…?
③伊予国・今治城編
日付は10月31日となり…5:40ごろ起きたんだけど、1時間延長の7:10にチェックアウトしました。
今治城の開城は9:00で、仮に30分前に着いて周囲をブラついたり、次に行く「尾道」までのバスの切符を城の近くの営業所で買っておくにしても本来ネットカフェを8:00に出れば十分でさ…ココ、他に観るトコ無いんだもん。
チェックアウトする前に天気予報観たら1日の中国地方の天気が晴れのち曇りに変わってたよ
…でも2日は雨が降りそうだなぁ…問題は時間帯で、明け方や俺がその地を離れた後に降るならイイんだけどね~
とりあえず、今日もまた暑くなりそうだな…中に着てたヒートテックが暑いのか?と思って着なかったよ。
7:25に今治城に着いたよ…お、狼煙が上がってる?
な~んて、ただの飛行機雲でしょ?
今治城吹揚公園にある今治造船株式会社代表取締役檜垣俊幸会長の銅像。
原爆死没者慰霊碑です。
開城までまだ1時間半あるよ…
白鳥?
今治港の近くに「せとうちバス」の営業所?があるんで、7:40ごろ行ってみたんだけど営業前だったみたい。
また今治城に戻ったよ…
開城までまだ1時間あるわ…
とりあえず、今治駅に「せとうちバス」の切符を買いに行くことにしました。
昨日は陽も落ちた後だったからね…今買わなくても大丈夫なんだろうけど、次に行く「尾道」までのバスチケットを買っておいたよ。
駅前にあったのは何故か「猿飛佐助」像なんだけど…帰って調べたら「立川文庫」での原作者が愛媛県今治市出身の山田阿鉄一族だからなんだって。
今治のマンホールだよ。
昨晩「焼豚玉子飯」を食べた「白楽天」です。
今治国際ホテルだって…絶対、俺には泊まれないな。
8:50三度「今治城」に到着
山里櫓の門から入城じゃ~
天守と「藤堂高虎」像です。
「藤堂高虎」は関ヶ原の戦功で伊予半国20万石を領し、慶長7年(1602年)に築城を開始…約6年の歳月をかけて慶長13年ごろに完成したと考えられています。
高虎は何度も主君を変えた戦国武将として知られていますが、築城技術に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城・膳所城などを築城し、黒田孝高(官兵衛)、加藤清正とともに築城の名人としても知られています。
今治綿業の父「矢野七三郎」だって。
吹揚神社です。
拝殿かな…って、脇の天守を見ると…
ちょうどそこが天守の入口でした。(入城¥500也)
内部の展示物です。
「藤堂高虎」の肖像画だよ…戦国無双じゃ超イケメンだけどね。
戦国無双では氷刃を使ってるよ。
天守から見た「鉄御門武具櫓」です。
遥か先には瀬戸内の島々(しまなみ海道)が臨めます。
天守を下りてから「櫓めぐりスタンプラリー」を急いでやって、9:30「今治城」を出ました。
枡形虎口の鉄御門です…扉や柱に貼られた鉄板に由来します。
さっき駅前で切符を買った「尾道」行のバスが出る今治港に向かいます。
今治桟橋9:50発の福山行のバスに乗り、まずは乗換地点の「因島大橋」まで行きまーす
今回の史跡ハント、まず序盤に立て続けで4城落としたぞ~
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